生きる事は厳粛な事 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2009年 5月5日

判っているつもりでも、生死を考えなくても良い毎日が続くと、段々と他人の事の様に思ってくる。

たまに葬式に出ると、死も又「厳粛な事実」と思い返す。

クリスチャンでは恵み慣れと言うのであろうか…。

日本人には平和ボケと言う言葉もあった。

老人になって振り返ると、10年や20年は短い様である。

秀吉の辞世の句のように、

「難波の事は夢のまた夢」

と言う程ではないが…。

世の中の事に没頭していた何十年は楽しくはあったが、無駄な人生であった様に感じている。

もちろんすべてが無駄と言う訳ではないが…。

生きるに何の問題もなく、体も元気の時には、 やがて自分も死んでしまうとの宿命を当分先の問題ぐらいしか感じていなかった。

死後の事を考えない人間は、卒業後の事を考えない学生と同様であろう。 

多くの人は人生と言う訓練学校の学生である事すら自覚していない。

その人達にとって、死は、期限切れの強制退学の様で学生であるとするなら、就職どころか受け入れ先も難しい。

どこも行くところが無ければ、消滅、又は無になる。

死んだら何もない無であるという信仰も、ある程度当たっている様である。

戦中戦後、日本人の多くは、生きる為に大変な苦労であった。

でも生きる為に現在では考えられない程の力を発揮した様である。

人間は創造の神に恐ろしい程の能力を与えられているのに、現代人はその何分の一も使っていない様に思う。

もう一昔前の事であるが、阪神大震災の時、鉄道も不通になったので、大勢の人が阪急西宮北口から神戸市内まで、大きな荷物を抱えて瓦礫の道を数時間も歩いていた。

私は携帯の自転車で何往復もしたが、全く驚く光景であった。

若い人も老人も歩いたのである。

子を思い、孫を思い、親を思いの愛情がそれをさせたと見ていたが、現代人もいざとなると恐ろしい程のパワーを持っている。

戦時中や戦後、何とか子供を生かしたいとの愛情が親達のパワーを引き出した。

暑い狭い住宅で夜に寝付けず、むずかる子供をお母さんはろくろく寝もしないで、蚊を追い払い、団扇であおいでいた。

食事も住居も満足に無かった当時の子供は不幸であった。

しかし、そんな時しか経験できない親の愛情を受けた子供達は、この世で受ける事の出来る最上の宝を受けた様に思う。

果たして、現代人は何不自由の無い生活が幸福であるのだろうか、不幸なのであろうか…。

私の母親も同じく、残飯の様な物を食べながらも私達兄弟を育てて呉れた。

しかし子供心では当然と感謝の念は無かった。

自分が親になって初めて、親の愛情が判った。

多分みんなそうだと思う。

天地創造の神と仲直りをすれば、その思いを知る事が出来る。

実に、神は人間の親以上に人間に愛情を注いで、育てているのである。

神に背き、無視し、冒涜する人に対してさえ、同じである。


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