生も死も厳粛なこと | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2007年  10月2日

老人になると、身体の機能の衰えを感じる様になる。そして普通に生きている事にどんなに多くの機能が働いているかが実感できる。

老人になる迄は元気で身体の事など考えなかった。

生きている事自体、厳粛な事であると段々と実感してくる。

私の若い頃、戦時中やその後、苦労したことも忘れてしまって、又、バブル経済の時期もあり、多くの人は浮かれていた様だ。「サラリーマンは気楽な稼業と」の歌も流行り、ヘラヘラ、ホイホイと。

老人になると死は身近な事として考えて来るが、不吉な事として考えたくない人もいる様である。

死も又、厳粛な事である。

若い時には死が必ず来るとは判っているが、当分先の事で今の自分には関係がないと大抵の人は思っている様である。

しかし死は何なのか死後はどうなるのか、誰にとっても重大なはずである。

私も若い頃、人に聞いたり本で読んだりして見たが、

「そんな事判る訳がない。今を楽しくしていれば良いではないか」

との意見が多かった。

死を本当に考えなくても良いのか。逃げていて良いのか?

私は逃げなかった。そして2、3年、本当に苦しんだ。

そして神を見つけた途端、死の意味が判った。そして生きる意味も判った。


○人間すべて目的を持って生まれて来た。

○人間すべて創られた者である。

○人間すべて創った神の意志にそう義務がある。

○人間すべて死が終りではない。

これ等はすべての人にとって大問題である。

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