神様から直接は語られなかったにせよ、人がその思いを知っている事は多いようだ。
しかもそれが重大な問題でさえそうである。
多くの献身者はその様である。
具体的には何も聞いていなくても、神様の自分に対する意思をはっきりと知っている。
だから一生の間に起きる色々な問題の時、招命を疑わない。
私の場合もそうである。
10年近くも勤め居心地の良かった会社を辞める時、神様からは一言の言葉も無かった。
しかし辞める2、3年前から判然と知っていた。
又、私が本を読むことを神様は嫌がられた。
しかし一言も聞いてはいない。
読んだり止めたりを半年近くも繰り返して確認した。
断食もそうである。
これも一言も聞いていない。
毎年40日間ユダヤ式断食を多分20年以上続けているが、10年位前から、これを毎日続ける事が私に対する神様の思いである事が、うすうす判ってはいた。
何年間もやったり止めたり、昼間は菓子や果物を食べてみたり、牛乳等飲んでみたり、朝食や夕食の時間も色々と変えてみたり。
結局、現在のところ9時から午後4時迄はお茶コーヒー以外は何も食べない事に落ち着いた。
初めの頃は断食をしないと体重が増加して血圧が上がるので、其の為にも昼食抜きは必要であったが、どうもこれは神様が与えた業(わざ)と思っている(これでやらざるを得なかった)。
今やっていることは最低限の断食であるが、これでも神様は納得して下さっている様である。
最近、思うのであるが、人にとって重大な事柄を神様は一言も語ろうとしない理由が少し判った。
「神の思いを知って自発的に行う方が、具体的に命令されて行うより、人にとって遥かに栄誉ある事である」
志願兵と召集兵の違いである。
同志と雇い人の違いである。
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