その頃、続々と霊的経験をした。
前後がはっきりしないが、1958年から1962年まで続いた。
先ず神様は、ご自身の思いを私に打ち明けられた(と言うより、ぶちまけられた)。
私が帰りに家の門迄来た時、一つの幻を視た。
一人の子供がおり、その子供は死にかかっていて、母親がその子に取りすがっていた。
母親は半狂乱になって叫んでいた。
「わたしの子供が死んでいく!わたしの子供が死んでいく!!」
その光景は凄まじいものであった。
見ていると、その母親は振り返り、私を睨みつけて言った。
「わたしの子供達が死んでいくのに、あなたは何もして呉れないのですか!?」
その瞬間、その母親はイエス・キリストである事が判った。
そこで幻は終わったが、全くショックを受けた。
もう一つの幻はこうであった。
見ていると、神様が居られ、丁度お城の様であった。
外堀があり、その大きさは東京の宮城の様であった(お城はもっともっと大きかった)。
外堀のすぐ外側には、大勢のクリスチャンが居り、お城を見ていた。
内堀と外堀の間くらいに2、3の人が地面にひざまづいて神様を礼拝していた。
そして神様の大きい声が、ため息と共にあった。
「義人はいない。一人もいない。神を求めるものはいない。一人もいない。」
(長いため息)
「義人はいない一人もいない。神を求めるものはいない。一人もいない。」
(長いため息)
※もう一度、繰り返したかも知れない。
これもショックな幻であって、神の声のアクセントは今でも少し覚えている。
世の中には、随分立派な神の聖徒とも見える人々が沢山いるのに、心から神を拝する人が 2、3人とは、全く意外な事であった。
また無数のクリスチャンがいたが、外堀の外から神を見ているだけの傍観者である事も意外であった。
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