東京の大学 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2019年8月2日(1)

東京の大学

私は、新生中学卒業時には、

「もう学校なんか、行くものか」

と思っていた。

しかし、好奇心は旺盛で、本を見たり人に聞いたりしていた。

田舎では勉強に不便で、ついに上京した。

就職して独学で国家試験に合格した。

資格のためにも就職のためにも、学校に入る必要はなかったのであるが、

「勉強するなら、ここがいい」

と、東京電機大学短大へ入った。

高校には 1日も行っていないが、入学試験は無かったと記憶している。

係員曰く、

「この人は学部卒が何年か勉強して取る資格を既に持っている」

それで入試は不要という説明であった。

高校3年をスキップで有る…。

多くの人は短大卒で、二部の3年に編入していた。

何かあっても、学部中退よりも短大卒業の方が良いからであろう。

入学して直ぐに3人の友達が出来た。

 一人は私の子分の様で、何でも聞いてくれた。

出席簿のサインは全部その男の仕事であった。

私はフリーな状態で、日勤が1日、夜勤が1日、休みが1日、休みには教団で神学生と同じ生活をしていた。

これは聴講神学生の様なもので、これも何年か続いた。

そして多くの神学生と友人となった。

数年後、彼らは牧師となり、日本全国私の訪問する場所になった。

大学の授業の好き嫌いは大きく、製図などは下手だからと、一人だけ高校生用を書かされ、卒業時には、

「世間では、この大学の卒業生だとは言うな」

と釘を刺された。

しかし電気理論は得意で、教授をバカにしていたので、仲が悪かった。

試験でも答案を暗算5分で出すので、教授は、

「そんな事ができるか」

という態度。

腹立ちは当然かも。

高校を3年間スキップした事で、仕事では同僚に対し三年の先輩になった。

学生アルバイトは、何人も私の助手となった。

3人の友達は学部の三年に編入した。

大学へのレポートは私に頼みに来た。

もう3、4年は大学もスキップの状態。

だから私は編入はしなかった。


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