一日本人の回想⑰ 戦後の生活 3 | 海南島のヨハネの黙示録

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キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2019年7月26日(3)

一日本人の回想⑰ 戦後の生活 3

戦後でショックだった事の一つに、アメリカからの援助物資がある。

日本での乳児の死亡は戦前からあったと思うが、終戦後は世界の問題になるまで大きかった様だ。

大人でもやっと生きていた食料事情では当然であろう。

私の妹は時々言っていた。

「その下の兄弟を死なせたのは自分のせいだ」

と。

戦時中にも妊婦や乳児には特別配給があった…しかしそれは名目で…。

母親は自分の乳が出ないので、米粉を作り、ミルクを作り、それを上の兄弟が奪い合って飲んだ。

乳児が育つ訳がない。

戦後直ぐにアメリカの母親(プロテスタント信者集団)が立ち上がり、日本の乳児を助けようと、粉ミルクを送ってくれた。

古着や必需品も…。

これで乳児も子供も生き延びた。

日本人はこれを忘れてはいけない。

「恩を知らない野蛮人」と言われないためにも。

自分の親族を殺した敵国人の乳児のために食料を送る…日本人には想像外であろう。


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