2019年7月26日(2)
一日本人の回想⑯ 戦後の生活 2
都会では傷痍軍人の姿が多くなった。
戦争は肌に染みて憎んでいても、傷痍軍人には国民は同情的であった様だ。
松葉杖をついてアコーデオンを弾いて、
「…今日も暮れゆく異国の…」(※異国の丘)
この歌は高齢者はだれでも覚えているだろう。
食料はますます厳しくなった感じ。
終戦の年には日照りが続き、米の成長は悪く、台風が来ると崖も崩れ、川は氾濫し、戦災の後、まるで往復ビンタの感じであった。
田舎の疎開者も次々と元の都会に帰り、少し馴染んだ友達からは羨望の目で見られた。
泣きながら疎開して、学校ではからかわれ、いじめられた。
東京から来た女の子は、「おっこっちゃた」というあだ名で呼ばれていた。
私の場合、同級生の何割かは従兄弟であったが、慣れるまでは1~2年はかかったと思う。
私も中学卒業で都会に戻ったが、田舎の友達、特に女の子からは、羨望の眼差し以上…を受けた。
田舎の子は都会で就職したくて、殆どが家業の農漁業をしたくなかった。
今までいじめていた子まで哀願状態。
都会では、田舎の出身者より疎開者の方が10倍就職しやすかった。
元々そこに住んでいたから。
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