2013年 7月
【質問】キリストの死は人類の罪を贖(あがな)ったというのがキリスト教の教義だと思いますが、キリスト以外でも他人のために自分を犠牲にした立派な人はいたと思うのですが、そういう人々とキリストとは、どこが違いますか。
これは昔、教会に通っていた頃に思った疑問です。
それで教会に行かなくなりました。
キリストは神の子だからという答えでは納得できません。
こういう点が特別だから、ゆえに神の子である、という論証をお願いします。
キリストが神の子だとしたら、なぜ他の自己犠牲的な立派な人たち(たとえば…チェルノブイリ事故で命を捨てた旧ソ連の消防士や軍人たち…かな)は神の子ではないのでしょうか。
【回答】79歳 元 宣教師です。
神について、罪について、救いについて、たとえ何十年勉強しても、多分、少しも理解する事は出来ないでしょう。
私は若い頃、半年も毎週教会で話を聞いていましたが、西洋の神話を聞いているようでした…。
ある時、良く知っている人に起きた奇跡を見た時、
(教会には何かある)
…と、その人の真似をして見ました。
10分で私も救いを経験し、半年も判らなかった事が瞬間的に分かりました。
罪も救いもキリストも経験すれば簡単でした。
経験のない理論は遊びの範疇でした。
罪とは私を縛りつけていた悪の力でした。
救いとは、それからの開放でした。
自由になれたのです。
それがどんなに嬉しい事か、クリスチャンは皆知っているでしょう。
罪の贖いも、理屈は価値の無いものでしょう。
海南島のヨハネ
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