2019.4.13(3)
賜物について
私は85歳になるが、今年の冬は心臓発作が度々起こる様になり、遂に倒れた。
80歳までは元気であったが、老化が激しくなり神様に言った。
「私を老化させないでください」
直ぐに返事があった。
「人並みの経験はした方が良い」
と。
これは却下である。
4日間意識がなかったと言われたが、その間、私は別の経験をしていた。
ハワイの夜景が綺麗であった事や、背の高い花が一斉に開く有様、戦時中の飛行場の跡地、戦死した人の墓、(意識がなかった間ベットに縛り付けられ水を与えられなかったので)水を探してうろうろしていた事…これらは今でも覚えている。
結局、バイパス手術の結果、先日退院し、現在メールなどを書いてる。
多くのお見舞いやお祈りを感謝します。
医者は、
「もう十年は生きられます」
と言っていたが、本人は、もう数年のうちに神様の期待される事をやり終えたら、早く神のもとに帰りたい。
現在でも体調は良くはない。
しかし私の経験は伝えておきたいと、気持ちは急ぐ。
神の賜物については、私には多くの経験がある。
現在でも、天国が星の帯の様に見えることや聖霊によるノック、手の指先の痺れ、異言の賜物、神との会話は残っている。
しかし、多くは失った。
それは、当時では当たり前になり、感謝を忘れ、軽んじたからである。
もう二度と戻らなかった。
ある時、
(賜物をください)
と神に祈った時、
「清くない者に賜物を与えない」
と返事をされた…。
普通の人は超能力の様なものを与えられると、欲望や利益や、有名人になるため等に使おうとする。
そして、本人も周りも不幸になる。
だから神は簡単には与えてくれない。
賜物の中では癒しが最高だと思われる。
後で気が付いたのであるが、私の父親の胃癌の癒しや娘の交通事故の癒し、神の働きの凄い時があった。
その時は、熱心に祈ればどんな病気でも癒されると、大変な事とも思わなかった。
感謝もなかった。
そして賜物を失った。
もし癒しの賜物を受けたら、教会には長蛇の列ができるだろう。
中国では、教会に行くだけで癒される教会があった。
その町は市の人口の半分以上がクリスチャンで、飛び抜けていた。
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