質問「人間が神の存在を嫌う理由について」 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

【質問】人間が神(創造主)の存在を嫌う理由について。

創造主は人間を尊重し人間に自由意思を授けましたが、自由には責任と義務が生じると思います。

神の存在を認めると神と人間の間に善悪の責任問題が生まれるために、自由(この場合好き勝手に生きたい)に生きたいと思う人は自分の立場が不利になるので神の存在を認めたくないと思うのでしょうか?

無神論者の心の中にはこのような考えはありませんか?

私の単なる偏見でしょうか?


【回答】一寸突っ込んだ質問のようで、面白そうです。

これはずばり犯罪者心理と私は言っています。

自分の心の中にある、やましい思いが、神を認めたくない、悪事をしたら相手の顔をまともに見られない…。

聖書には回答がはっきり書いてあります。

「悪人は光の元に来ようとはしない。罪が明るみに出るからである。」

交通違反で呼び出しが有るかも知れない時、

「呼び出しなんかないよな…?」

と、友達に何度も同意を求め、そして自分を納得させようとする。

神についても同じでしょう。

人類すべて隠した罪を持っている。

それを暴露する存在は何としても認めたくない…そんなものはいないと思いたい…いや、いないはずだ…理論的にも有り得ない…いや絶対ない…。

こうして無神論者になっていくようです。

私の父は強固な無神論者でしたが、自分の死の話になると、極端に嫌がっていた。

心の底に触れられたくない様でした。

誰かと喧嘩をして恨まれている時も、似たようなものでしょう。

でも仲直りしてしまえば、恐れは無くなりますね。

神についても同じです。

謝って仲直りすれば、恐れは無くなり、神を認めたくない心も無くなりますよ。

海南島のヨハネ


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