2009年 2月12日
神の言葉は、文字でも音声でも残せないものがある。
例えば、異言を訳する人がおって、その訳が聖書と一致する時、その異言は神からのものであると確認する。
もし異言を文字で残しても、見た人は何の事か判らない。
だから異言は文字でもテープレコーダーでも残っていない様である(ごく少数聖書にも残っているが)。
聖書も又、読む人の思考の限界を超えては文章として残らなかった様である。
文章としての意味が無いからである。
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