道に迷う | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2008年  8月22日

今日は朝から風が強い。

散歩へ行くのにバイクは危ないかなと思っていたが、岸へ行くと風はもっと強い。

いつもの様に浜辺を歩いたが、初めて砂が舞い上がるのを見た。ほこりの様に吹き飛ばされている。

良く見ると砂浜の全面ではなく、100 m 位はある巾の内2、3 m の巾だけである。

これが黄砂の始まりかと見ていたが、足に吹き付けるので少々痛い。

行く時は追い風であったので目を開けておれたが、帰りはとても目を開けておれない。砂が目に当って痛いのである。

仕方なく目の前を手でおおい、真下を見て歩いていたのであるが、気が付くと道に迷っていた。毎日歩く砂浜であるので気にしなかった…。

それで気が付いたのであるが、この世でも足元だけを見て生活すると、とんでも無い所へ行ってしまう。

自分の位置や方向を知る為に、時々は遠くを見る必要がある。現代人は遠くを見る性質が無くなってはいないか…。

この前、若者を一人教会へ連れて行ったが、皆が祈っているのを見て、ゲラゲラ クスクス笑っている。

祈ると云う事がどんな事か全く判らない様である。現実は見るが、遠い未来を見る性質が無い様である。

神は一週間に一日休憩の日を定められた。

この世の事は休憩であるが、心は神に立ち返る日でもある。

人間すべて、一週に1、2時間でも心を神に向け静かに祈り、又、神に聞く習慣を持てば、神はどんなに喜ぶであろうか。又、人間も道に迷う事はうんと少なくなると思う。

祈ると云う行為は、人間の本能の一つと思われるが…これを否定した共産国家がどんなに道に迷ったか…。周知の如くである。

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