無神論者を含め、霊的感覚の無い人々を私は不具者集団と思っている。
イエスキリストも又、これ等の人を目くらと云われたと書いてある。
人間はいつからこの能力が無くなったのであろうか?今でもこの能力を非常に必要としている民族には残っている様に思うが…。
聖書には、
「新しく生まれなければ神の国に入る事は出来ない」
と書いてある。
文明人にはこの能力は昔から無かったのかも知れない。
私の友人に伝書バトを飼っている人がおった。東京都内にである。
ハトレースで岩手や青森迄運び、そこで空へ放って、帰って来たハトの数と時間等を競争していた様である。
それで私はいつも思っていたが、ハトの帰巣本能とは一体どんな能力であろうかと。
ハトも含め「渡り鳥はコンパスを持っていて、それで飛んでいる」と云う人もいるが、子供だましな屁理屈と思っている。
磁力の方向は場所によって少しずつ皆違うのであるという分布図なる図面がある。
又、風の影響によって方向はうんと変わるのである。
昔、大阪湾内をセスナを飛ばしていて何度も迷った。現在位置が判らないのである。
しかし空港の方向を示すメーターが付いているので帰る事は出来たが、ハトにはそんなメーターは無い。
しかしこの能力が無いとハトは巣には帰れないと思うが人間には無い。又人には理解も出来ない能力をハトは持っている様である。
だが人間には霊的能力がある。
大抵の人はその能力は死んでいる。霊的には死人である。
しかし生き返る事が出来る。
その方法は宗教によって色々の様であるが、キリスト教ではイエスキリストを信じた途端に生き返る。
何年も何十年もの苦しい修業は必要ないのである。
霊が生き返ると神が判る。悪魔も判る。その中間も判る。
神がおるものなら見せて欲しいと云う人がおるが、霊の世界は目では見えないのである(例外もある様だが)。
霊で感じる、判別する。これをズバリ表す言葉がないので、見たと云ってもうそでは無いと思う。
広辞苑を見ると、判断を見るとも書いてある。
聖書にも何人もの人が神を見たとも書いてあるし、又「神を見た者は一人もいない」とも書いてある。
矛盾する様だが、判別を見たと訳すれば何も矛盾は無い。
私も見た一人だが、栄光の光は見えるが目がくらんで中身は見えない。
無理に見ようとして、目がつぶれた人の話しはよくある。
この栄光の光を神と云うならば、見た人はたくさん有ると思う。
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