質問「祈りは誰に向けてするべきでしょうか?」 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

質問:海南島のヨハネさんに質問です。

「祈り」はどなたに向けてするのが正しいのでしょうか。

父なる神か、救い主イエスか、また御聖霊様にも祈るべきだという事をわりと最近聞きました。

イエスは「天の父」にいのるよういわれましたね。ご自分に祈るようには、聖書の中ではおっしゃっておられないと思います。

ただ、「2人以上のものが祈るとき、私もそこにいる」といわれたのですよね。

では、イエスに祈るのはまちがいなのでしょうか。また「御聖霊様」に祈る必要があるとすれば、どのように祈るべきなのでしょうか。

最近気がついたら、初めは「父なる神に対して祈り始めていたのに、いつの間にか対象がイエスになってしまっていたり、御聖霊様になってしまっていたり…
だめですね…。

きちんと整理したいのですが、祈りに対する考え方を教えてください。




回答:海南島のヨハネです。ご質問有難う御座います。

今、前の回答を読んでいて助かったと思っています。私と殆ど同じ回答だからです。質問者さんとこの方と、又、私と父なる神は同一だと深く感じています。

内容を見ていて、

「そうだ、そうだ、 然り、アーメン」

これが言えるのは同じ霊の時だけです。

今日は朝から学生達がやって来て、朝食、買い物、昼食が済んでやっと時間ができた処です。若い人と行動すると楽しくもあるが疲れます。

ご質問の件ですが、実は私も祈る相手を気にした事が無かったのですが、今日 注意して見ると、普段は「父よ」又「お父さん」と神様に祈っています。

しかし頼みごとの様なことは「イエスよ」と祈っています。

もっと重大な事は「イエスの名によって」と父なる神に訴えています。

神様もイエス様も聖霊も現れ方が違うだけで、言う事も性質も同一です。

イエス様の回答ですが、

「私自身に祈りも賛美も求めない」

しかし私達に近い存在として、祈りも賛美も受けるに相応しいお方である事は間違いないでしょう。

イエス様は私には母親の様に感じています。何が何でも私を守ろうとする、そして共に苦しみ共に泣き、共に神様の処へ連れて行って謝って呉れる。私はこの方の為に現在があり、又、一生が有ったのです。

聖霊については、神が派遣した天使達だと思っています。私は命令する事はあっても、祈る事はありません。又、賛美する事もありません。

以上は私の経験ですから、神様の通訳の分際を超えると神様に叱られますので、この辺で…。又、質問して下さい。

--------------------------------------------------
このブログはブログランキングというものに参加しています。下のボタンをそれぞれクリックして頂くと、ランキングが上がります。ランキングが上がるとこのブログの読者も増えると思いますので、どうぞご協力をよろしくお願い致します。


スピリチュアル ブログランキングへ


キリスト教 ブログランキングへ