【回答】海南島のヨハネです。
質問の回答です。
イエス・キリストは何を裁くのか?魚を捌くのか?の問いでしたが、勿論、魚ではなく、人間です。
そして裁きは何千年も前から始まってますよ。
イエス・キリストは何を裁くのか?魚を捌くのか?の問いでしたが、勿論、魚ではなく、人間です。
そして裁きは何千年も前から始まってますよ。
人類が裁かれ、民族が裁かれ、国も裁かれ、個人も裁かれています。
実は、裁くのは義なる神様です。
実は、裁くのは義なる神様です。
いつの世にも神の裁きはどうなったのか、何も変わらないではないか、とのあざけりが有ったようです。
ある時、私は勝ち誇ったように神様に言いました。
ある時、私は勝ち誇ったように神様に言いました。
「聖書の中には、世の終わりは直ぐだとか、遅くなる事はない、と書いて有りますが、それから既に二千年も経っていますよ、どうなんですか?」
神様は直ぐ、私に幻を見せて呉れました。
幻の中で一人の人が、
「今日、私は絶対に世を滅ぼしてしまう」
すると、もう一人の人が出て来ました。
「何とかしますから、もう一日待って下さい」
このやり取りが暫らく続き、ついに後の人が勝った。
これで私は判った。
神様は直ぐ、私に幻を見せて呉れました。
幻の中で一人の人が、
「今日、私は絶対に世を滅ぼしてしまう」
すると、もう一人の人が出て来ました。
「何とかしますから、もう一日待って下さい」
このやり取りが暫らく続き、ついに後の人が勝った。
これで私は判った。
世界の終末は、一日延ばしに延ばされていることを。
先の人が神様で、後の人はイエス・キリストである。
世界の終末はない…とんでもない話である。
先の人が神様で、後の人はイエス・キリストである。
世界の終末はない…とんでもない話である。
毎日が終末なのである。
亡びて当然の人類も、国も、個人も、神の愛によって生き延びているのである。
しかし、神を軽んずる者の罪は大きい。
私の学生時代、体育の授業で蔵王でスキーの合宿があった。
初めの夜、級友が集まって自己紹介の様な事をした。
しかし、神を軽んずる者の罪は大きい。
私の学生時代、体育の授業で蔵王でスキーの合宿があった。
初めの夜、級友が集まって自己紹介の様な事をした。
私は教会で救われた話をした。
一人の男が私と神様をあざ笑った。
次の日の午後、その男はスキーで立ち木に正面衝突し、即死してしまった。
次の日の午後、その男はスキーで立ち木に正面衝突し、即死してしまった。
私は夕方になってそれを聞いた。
この様に神様は厳しい方でもあるので、皆さん、お忘れ無きように。
この様に神様は厳しい方でもあるので、皆さん、お忘れ無きように。