駐車違反 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

ある時、家内の実家へ帰る為、車で出掛けた。

船に乗らなければならないので、船着場の近くで駐車禁止でない所を探して、車を置いた。

夜であったが、ここなら問題がないと思う所へ車を停めた。

翌日、帰ろうとしたら車のガラスに駐車違反の紙が貼ってあった。

どんな理由か判らなかったが、警察へ行くと説明して呉れた。

車の停めてあった道路の向こう側に通路か敷地か判らない土地があり、法律上これは道路であるので、道路の向かい側、何メ-トルは駐車禁止である、との事であった。

これを聞いて私は腹を立てた。

そして思った。

(こんな法律を悪用する連中とは裁判をしよう)

と。

その時神様は言われた。

「ゲ-ムに入れてもらう人は、ル-ルを守らなければ面白くない」

この言葉は今でも完全には理解出来ないが、神様は確かにこう言われた。

これを聞いて、私は新たに救われた様に思った。

私達は地上では旅人であって、この世の社会は私達のものではなく、神を知らない人々の社会であって、私達は一緒に住まわせてもらっている事を悟った。

それは私達が地上でどう振る舞うかが大切であって、どんな役につくかが大切ではない。

例えば芝居で、大臣と乞食の役がある場合、大臣の役が乞食の役よりも上等であるとは言えない。

どんな役でも観客である神様と天使を喜ばせる事が出来る。

この世の生涯がテスト期間であると云う事が判れば、私達は少々の不都合にも耐えられる様に思う。

私は、日本に住んでいる外国人によく尋ねる。

「何か困った事はありませんか?」

「大抵の人は何も困った事はありません」

と答える。

しかし私は5〜6年以上も外国人と一緒に住んでいたので知っている。

彼等は、気候、食物、習慣、その他で彼等の本国の生活に比べれば大変に不自由である事を。

ある時、誰かが私に次の様に教えてくれた。

彼等は長く日本に住もうと思っていないし、日本の社会が自分達のものとも思っていない。

又、他の国に住まわせて貰っていると云う意識があるので、それなりに覚悟はしている。

これを教えられて、私は「なるほど」と思った。

私達も他国である、この世に住まわせてもらっていると判れば、この世のシステムや色々な不都合に本気(むき)になる事はない。