解聞鏡

解聞鏡

クローズドで行われている手技の練習会という名の道場の中で
出て来る特徴的な言葉を集めたブログになります。

明日からテーマについて楽になる前に何を書くかと考えた時に浮かんだ言葉が

このテーマでしたので皆さんよりかなり歳をとったおじさんが

皆さんに対して考えるエール、そして叱咤で書いてみようと思います。

 

自分の人生は全て自分の責任である。

当たり前の話ですが、自分がどうしたいかそれには日々、何をやらなくてはならないか。

そして何をやっていくのか。

これらは全て個々人の責任である。

そして何かを為すには日々の積み重ね、連鎖でしかなし得ない。

ある人が1週間である答えを出した。

これはこの人が今までに積み重ねてきたものによって1週間で答えを出せただけ。

他の人では今までの積み重ねが足りなかったから出せない。

そして別の人は一瞬で答えを出せた。

ところが別のタイミングでは一瞬では出せなかった。

こんな場面をあの場所からずっと観ていた。

これから皆さんは私が今までに生きてきた年数以上を生きる事になる。

人生100年時代と言われる昨今。

今まで生きてきた年数の倍とか生きることになる。

人生はこれからが本番である。

ほんと色んな事があるだろう。

でもその場で思う事は『この起こった事は自分が招いた事である。』と。

『〇〇のせい』ではないのだ。

これに対して自分は責任を取るという態度で立ち向かう。

それが一番の解決策だと思う。

これからどんな事が起こったとしても自分で解決しなくてはいけない。

組織の中では守ってくれる場合もあるが、

そもそも個人は自分で責任を取らなくてはいけないものである。

これからの自分の人生にどんな責任を取って積み重ねていくか。

私は少し離れたところで観察していこう。

あと二日。

今日はこのブログに以前に書いていてUPしていなかったものについて加筆しUPしようと思う。

ですので、最近と始まっていますが、実際にはかなり前の最近である。

 

最近、人の能力が測定出来たら良いのにと思う。

これは2つの意味がある。

一つは自分の能力が今、どのくらいで、一年前や1年後に測定してどのくらいか分かる。

そうすると、サボったとかが自分で分かるから努力は止めない?のではないかと思う。

(こう思うのは私が自己成長モデルだからだろうが)

もう一つは相手を測定して自分より凄かったらその人から学びたいと思うのではないか。

以前にある方がある人の手技を学びに行った話を聞いた。

それをFに話をしていた。

私は『コイツ、何言ってんだろ!?』と思った。

ある人は手技の世界で言えば、Fより・・・である。

この方は毎週、来なかった。

そんなことをやっていて、Fのところに来てこんな呑気な話をしていられる。

個人的にはかなり謎だった。

この方にある事を言ったが、少し前に会った時にも変わっていなかったので、

こういうのが特性なのだろう。

Fとの話の時に結構な割合で本質の話になる。

本質へ辿る道から外れずに本質には近づくにはどうしたらいいか。

これって案外簡単だなとこの歳になって思う。

いかに自分の言動と行動を一致させるか。

これだと思う。

手技が上手くなりたいのなら、何をやらなくてはならないのか。

なんかいつもの流れになってきたので話を止める。

スカウターの話に戻す。

皆さんは何かの尺度で人を視る事ができるだろうか。

これを洞察と言ったりもする。

そして体癖という説明モデルも提示した。

お客さんが来た時に「今日の身体の調子はどうですか?」なんて聞いててはアウトなのである。

そういえば、Y2がお客さんと手技が終わった後に身体の感覚の話をすると聞いた。

今度は来た瞬間にこのお客さんが何の問題があるかという仮説を組んで、

お客さんに手技をしてみたらどうだろう?(やってるか。。。)

この積み重ねできっと洞察という世界の扉がきっと開くのだろう。

あと三日。(16日分漏れてました・・・というわけで今、UP。22時現在。)

 

今日はいつもの話とは違うアプローチで書いてみようと思います。

Fとの話でよく出て来るマーケティングの話。

 

 

さて皆さんにとっての売れる仕組みとは何かである。

正直、私は皆さんの手技にはこの仕組みはいらないと思っている。

何故なら、紹介ベースが基本だから。

そして身体が覚えている。

だから身体が欲すれば皆さんを探す。

これが究極のマーケティングだと思うからである。

マーケティングをやるのではなく、ほっておいても客が来る。

これがマーケティングである。

この為に何をやらなければならないか。

もうこのブログで書いている通りなのでこれについてはここでは書かないでおこう。

この方法論でしか元会社に勝つ方法は無い。

そこまで書いておこう。

どれだけの人が限界までやっているのだろうか。

職場で私の周りを見ても、誰も限界までやっている人なんて全くいない。

事実ではなく感情だけで動いている人が多い。

私の仕事は事実(法律)で物事が動いているというのに、

事実が何かさえも見えずにどうしたら良いんだろうと言っている人ばかり。

きっと事実が見えない。どんな構造で動いているか分からないんだろう。

こんな私が皆さんを観ていて、限界までやる事の重要性をとても感じる。

限界までやるという言葉の意味には二つの事が包含されている。

①は言葉の通り、限界までやる。

これは手技が上手くなる為にどうすればいいか。

Y2の動きを観ていれば、ほんと色んな事をやらなければいけないと思う。

練習会の時に言っていた「極端な事をやると、加減が分かって来る。」

(合っていなかったら申し訳ない。)

これは別のブログで書いた千本ノックにも通ずる話である。

②もう一つは限界までやっては手技は駄目だという話である。

限界まで伸ばそうとすると代償が出て来る。

この代償が出た時点で弛ませる事は出来ずに、逆に緊張させてしまう。

これによって本来やろうとしていた目的は達成できないことになる。

だから代償が出るギリギリのところまで伸ばす。これによって弛んでいく。

こんな事が起こっているのだと思う。

ここまで書いてきて、Fが「空手は止めたんです」と言っていたのを思い出す。

空手の型は限界まで振って止める。

この限界まで振るという行為が手技を表現する為には邪魔と感じたから。

こう書いてきて改めて大変な仕事だなと思う。

私がやっている仕事は上記の通りでお金を貰えている方々が山ほどいるというのに、

皆さんの仕事は独立というファクターが入った瞬間にどこまでやれていたのかが問われる。

そんな商売なんだなと思う。

限界までやろうよ。

FとY2は感じているかもしれないが、

今までやってきた経験の貯金によってご飯を食べていくステージが待っているのだから。

この経験の貯金は限界までやったかどうかで貯金できているか決まるのだから。

皆さんはどこかでスポーツ(武道を含む)をやっていた。

このスポーツで皆さんはどんな身体の使い方を意識的、そして無意識的に身に付けたのだろう。

Fは皆さんの身体の特性を話す時によく出て来るのが、

〇〇のスポーツをやっていて・・・である。

Fは空手。

Tはサッカー・フットサル。

Y1は卓球。

Y2は柔道。

Kはラクロス。

Mは剣道。

この中で手技に向いているのが、Tのサッカーと言っていた。

何故なら、手の癖が無いから。

手の癖が無いから、手技を盗む時に盗みやすい。

しかし、他のスポーツはそれぞれに手が重要な役割を果たしているから、

瞬間瞬間でこの癖が出てしまう。

これについてそれぞれが向き合っていて、癖を直す方向で動いている。

(私が知っている限りでは。)

ある一定のレベルに行くまでは守破離という言葉が表現している通り、

癖を直すというのは重要なのだと思うが、

ある一定のレベルに達していれば、この癖を使った別の表現が出て来ないといけないと思う。

これは別のブログで発破をかけた方たちに言えるのだと思う。

異動によりお客が引き継げない。

これが起こっている時点で一定のレベルには達している。

このレベルに達した時点でもうこれから進もうとしている道は

自分自身で切り開いていかなくてはならない。

誰かを見てこの人に近づくためにはどうするかではなく、

自分の身体を特性を把握し、自分の出自によりどんな癖があるのか。

この癖を踏まえた上でどんな手技を表現したいと思うのか。

これが問われているのだと思う。