最近の皆さんの課題を聞いているとほんと本質的な課題だなと感じる。
一人は身体の特徴をどう生かすか。
もう一人は自分は何なのか。
こんな課題だろうか。
さて何故、こんな課題が出て来るかだが、これはFの近くにいると自然に起こる事である。
先日、本家本元の方のブログで「感覚について」というものがあった。
このブログはある人が質問をした時の言葉が気になって、
私が「感覚」についてFならどう答えるかと投げかけたものである。
これを読んで世界観をまざまざと提示したなと思った。
そして読まれた方が何であんな事を言っているのか分かったという話を聞くが、
この解聞鏡のブログもそれをテーマにやっているのだが、どうやらこのブログは難しいらしい。
仕方が無い事である。
何故なら、このブログは答えを書かないブログであるから。
私が答えを書いたとしても、ある人にとってみれば、それは答えではない可能性の方が高い。
確かにある一定のランクまで行くと同じ事を言っている。
しかし、一定のランクに行くまでの過程はそれぞれ違う。
この過程がこうだと提示したとしても、それが合うかどうか分からない。
そしてFの根本思想である『やってみたら楽しいからやろうよ』
というテーマにも合わなくなるのであえてやってないのである。
以前にも書いたと思うが、
このブログを真に理解するには自分なりにやってみないと分からないわけである。
このブログを書き始めた頃、Y2が毎日やらないと駄目だよといった話を書いた。
毎日、やらないとつかめない感覚がある。
そしてこの感覚はつかんだものでしか理解が出来ない世界があると提示したわけである。
これについてやっていて納得した人とやろうとしたが妥協してやらなかった人とでは、
この〇年間の間に膨大な差がついているのだろう。(検証はできないが。)
話を戻す。
こんな事を無意識的に思考をしている人から自分以外の人がどう見えるかである。
そしてこの視点からそれぞれの人の課題は何として提示されているかである。
ちょっとこのレベルで書いてしまうとかなりヤバいので少しレベルを落として書こう。
このブログの最初の頃に練習会があった。
この練習会でやっている事は私の見立てでは手技を上手くなるには何をすればいいか。
もちろん、技術をどう感覚的に捉えるかの練習だったと思う。
この練習会に来られてきた方々がどんな姿勢でこれに取り組んでいたか。
それをFは無意識的に皆さんに問いていた。(きっと本人はそんな意識は無い)
その結果、この問いに答えられない方々はたまに来て、自分の力が全然無いかを提示し、
それに対してある程度、表現できている方々からすれば、
何をしにきているのか分からないなんて事が練習会では披露されていた。
この時に自分に負けずに取り組めていた人は残念ながら居なかった。
練習会レベルでは自分がどれだけ出来ていないかの自己確認と
自分より出来ない人を見て自分が出来ていると確認するレベルで終わっていたからである。
最近はある人が居なくなり、後者のレベルの勝負はやらなくなったから、
自然と前者のレベルの勝負が始まっているわけだから、
一番最初に書いた本質的な課題とならざるを得なくなるわけである。
少し傍観者として見れる立場なので、ほんと「大変だ」と言える。
P.S.
因みに「感覚について」のブログは全部は読めていない。
何故なら、文章的におかしなところが多すぎるから。
ここでこの言葉は要らないとか、ここはこの言葉に変えた方が良いとか、
もうこんな事ばかり出てくるので読んでられなくなる。
本人は自分への問いが大事だから文章的にはどうでもいいと言っているので、
修正しないようなので、どうしてもというテーマでないとほんと読めない。
気が向いたら、校正をするかもしれないので、その時には宜しくお願い致します。