解聞鏡

解聞鏡

クローズドで行われている手技の練習会という名の道場の中で
出て来る特徴的な言葉を集めたブログになります。

今日はある人の動向を聞いた事に対してある仮説を書いてみようと思う。

人は人に対して話をする時に無意識的にこんな視線を送っている。

 

 

右上を見ると空想、左上を見ると記憶。

これは何かを相手に話そうとした時に思い出そうとすると、左上を無意識的に見てしまう。

これはいわゆる記憶を辿って話をする行為。

一方、右上を無意識的に見ながら話をするのは、自分の記憶を前提に色を付けたり、

盛って話をする場合なのだろう。

これが習慣・癖だとすると、無意識的に何かは右に向いて行ったり、

左に向いて行ったりする。

こんな事が解明できるのかもしれない。

このブログの始めの頃に『自分の癖について確認してみませんか』

と問いを投げかけてみました。

そしてキャッシュフローゲームをやりましたがあの時のテーマも同じでした。

あれから2年?

どれだけ自分の癖について概観できるようになったでしょうか。

そしてこの癖によってどんな弊害が生まれているのでしょうか。

改めて確認してみてはいかがでしょうか。

このブログでは頭優位と身体優位の人がいるという定義をしたと思う。

この2つの型によって修行の型が違うんだなと思った。

それはそのままだが、脳トレーニングと身体を使った感覚トレーニングである。

脳トレーニングとは脳に汗をかく行為。

感覚トレーニングとは身体を動かしながら自分の感覚と対話をする事である。

私は前者であり、皆さんは後者である。

このどちらが大変かというと、前者である。

何故なら、感覚がほぼ変わる事は無い。

そして自分自身を意図的に脳に汗をかく行為を行わなければならないからである。

分かりやすい型は試験である。

この試験をどう人生に組み込んで行くかによって前者の人生は変わっていくのだと思う。

一方、後者は日々の身体との対話で変化を認識していく。

この変化つまり試行錯誤によって新たな感覚をつかんでいく。

こんな事が行われているのだろう。

さてこう書いてきて『なるほど、自分はこうやれば良い』と分からなかった方は、

きっと頭優位か身体優位かさえ分かっていない状況である。

まずは千本ノックから始めるしかないのが答えであるが、

これは自分に負荷をかける事でしかつかめないのだろう。

それも自分で負荷なんてかけられないのが普通だから、

こればっかりは自分が『私に対して厳しい事を言ってくれる』人を選んで、

この人が言うことは鵜呑みでやると決めてからでないと無理なのだろう。

(こんな人は忙しいから対価を貰わないと

 自分より遥かにレベルの低い人とは付き合ってくれないから、

 相応の対価を支払わないと付き合ってはくれないのが今の社会である。

 そして対価を支払った方が、自分自身が元を取ろうと思うから、

 きっとこの型の方が良いのだろう。)

ほんと世の中で溢れている情報ではもう何事も成し得ない社会。

自分にいかに負荷をかけられるか。

これを意図的に行えるかで自分の〇年後の人生は変わっていく。

先日、Oに思考は現実化するにはという問いを投げかけてきた。

思考は現実化するとはナポレオンヒルの著書で有名な言葉である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%9D%E8%80%83%E3%81%AF%E7%8F%BE%E5%AE%9F%E5%8C%96%E3%81%99%E3%82%8B

 

これについて、Fがある時に思考が現実化した話をして、

私がどのレベルまでそれが出来るかという問いを投げかけてある答えをもらった時があり、

この問いをOにぶつけたところ、全て叶うと言った。

何故、叶うのか。

私の解釈では叶うか叶わないかのレベルで障壁が無いから。

叶う先の満足点(彼の表現の通り)を見ているから叶う事に余り意味は無いとの事。

これを聞いて、納得した。

しかし、これを私レベルでやるとなると、かなり難しい。

何せフォーカスするのが叶うになるから、

なかなか満足点にはフォーカスするなんてかなり難しい。

これが一般ピープルの意見である。

今日はこの投げかけだけをして終わろうと思います。

いつもとはほんとレベルが低過ぎる事を書かせていただきます。

皆さんは本は読まれるだろうか。

私は読まないと仕事にならないから読んでいる。

そしてかなりメールで仕事をしているので、文章もかなり書く。

当然、このブログもである。

さて今の社会ではどうだろうか。

私は余り好きではないがホリエモンがこんな事を言っている。

 

 

一方でAIはこんな状態になっている。

 

 

これを統合してみるとこうなる。

AIによって作られた文章をチェックのできない人がどんどん文章を作っていく。

そして別の意味では本を読めるだけでも社会の中で勝てるアドバンテージを得られる。

えっ、本が読めるだけで社会で勝ち組になれる確率が高まっているの?

残念ながら、日本はそんな社会になってしまいました。。。

観察の観である。

私は皆さんを徹底的に観察をさせていただいた。

この過程は別のブログで書かせていただいた通りである。

皆さんの生き様から学んだと言える部分が多々ある。

この歳になってほんと良い学びだった。

さてこのように私が居た場所には当然ながら皆さんは居たわけである。

つまり、私が観ていた事は皆さんも観ているはずである。

となると、私のような学びや気付きが起こっていてもおかしくないわけである。

もちろん、私は皆さんよりかなり年齢が上なので、

経験があるので気付く為の背景はかなりあると言えるだろう。

しかし、どう考えても私はある分野ではFには勝てない。

つまり、Fには見えていても私に見えていないものがあるわけである。

だからこれは年齢という言い訳は通用しないわけである。

だとすると、周りをどう見ていたか、観ていたかである。

単に見ていたのか。それとも観ていたのかである。

ある人の行動が時間軸によってどんな結果をもたらしているのか。

皆さん同士で〇年という年月によって差が出ている部分があるのは気付いているだろうか。

これが私からすれば観れているかで差が付いている。

そう思えるのだが、皆さんはどう思われるだろうか。