解聞鏡

解聞鏡

クローズドで行われている手技の練習会という名の道場の中で
出て来る特徴的な言葉を集めたブログになります。

以前に体癖について書いたような気がする。

wikiはこちら。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%93%E7%99%96

 

チェックリストはこちら。

 

今回は別の身体論についてお知らせを致します。

これを読むと誰かの身体の構造が頭に浮かぶような気がしたので、書いてみようと思います。

それがエルンスト・クレッチマーの「体格類型論」です。

 

軽くまとめてらっしゃるのがこちら。

 

ここでは3パターンの性格があると書かれています。

この中で細長型についてこう書かれています。

 

このタイプには細身で背が高い、筋肉が少ないなどの体型的特徴がある。

性格は内向的で、夢想的、神経質な方が多い。読書や静かな活動を好むことが多く、

にぎやかな出来事より自分の内側の世界を大事にする傾向がある。

 

さてどうでしょうか。

これに対する皆さんの評価はそれぞれでしょう。

 

別の論点からすると、この3つの性格で類型できない人達がいます。

これらの人達の性格はこれらの性格ではないとすると、どんな類型化が出来るでしょうか。

五角形。

これが一つの類型化であるのは間違いないと個人的には思います。

 

本家本元はこちら。

 

 

あなたは異常だと言われたらどんなリアクションを取るだろうか。

 

人間関係について、心理学、精神医学、コミュニケーション論などの観点から

いくつかの典型的なパターンがあります。

1. 極端な精神的距離のバグ(心理的・行動的特徴)

① 境界線の喪失(過剰な依存と巻き込み)
相手と自分との「適切な距離感(パーソナルスペース)」が分からず、

極端に踏み込んでしまう事例です。

出会って間もない相手に対して、まるで長年の大親友や恋人のように振る舞う。

相手の都合を無視して毎日何十件も連絡を入れ、

返信が遅いと「見捨てられた」と激しく怒ったり、逆に過剰にお世辞を言ったりする。

② 感情の完全な遮断(過度な回避・孤立)
人との関わりを徹底的に避け、他者に対して完全に冷淡である事例です。

家族を含め、他人に全く興味を示さない。他人が自分を褒めても、あるいは非難しても、

感情が一切動かない。孤独であることを寂しいとも思わず、終始一人でいることを好む。

2. コミュニケーションの双方向性の欠如(発達・認知の特徴)

 ③ 一方的で文脈を無視した関わり
相手の反応や場の空気を読まず、自分のルールや関心事だけで関わろうとする事例です。

相手が退屈そうにしていたり、困惑していたりしてもお構いなしに、

自分の好きな話を何時間もマシンガントークし続ける。

また、「太った?」「その服似合わないね」など、思ったことを脳内でフィルターにかけず、

そのまま口に出して相手を傷つける。
 

④ 激しい猜疑心と被害妄想
他者の親切や何気ない言動を、

すべて「自分をおとしめるための罠だ」と解釈してしまう事例です。

同僚が「手伝いましょうか?」と声をかけただけで、「自分を無能だとバカにしている」

「仕事を奪おうとしている」と激怒し、敵意をむき出しにする。

3. 他者を「道具」としてみなす関わり(社会的・倫理的特徴)

⑤ 支配・コントロールと搾取
他者を対等な人間としてではなく、

自分の利益やプライドを満たすための「道具」として利用する事例です。

自分の目的を達成するために、嘘や甘い言葉で他人を巧みに操る(マニピュレーション)。

相手が傷ついても罪悪感を一切持たず、利用価値がなくなれば平気で切り捨てる。

以上の5つのパターンできっと私を含めて皆さんは

何らかのパターンに合致したものがあったのではないでしょうか。

つまり、皆さんはある意味では異常なのです。

 

しかし、皆さんが本当に異常かと言われると、きっとそうではないでしょう。

何故なら、仕事をしてお金を貰えているから。

ほんとに異常だときっと貰えない状況になってしまうからです。

 

何をもって「異常」とするかです。
心理学や医学において、

これらが「異常(診断名がつくレベル)」とされるかどうかの基準は、主に以下の2点です。

①持続性: 一時的なストレスによるものではなく、

幼少期や青年期から長期にわたってその関わり方が固定化している。
②社会的な機能不全: その関わり方のせいで、仕事が続かない、離婚を繰り返す、

警察沙汰になるなど、本人や周囲の人生に深刻な不利益が出ている。

私たちは何らかの異常の萌芽が必ずある。

この萌芽を萌芽のままでコントロールしたり、

意識的にこの異常を使う場面と使わない場面を分け、

今まで使っていた場面で使わないという選択肢を選んだりすることが出来る。

このような自制的な行動が出来れば、今までとは違う流れが出て来るのでしょう。

 

本家本元はこちら。

 

 

問いについて本家本元ではこう書かれている。

 

 

さて問いについて類義語で質問という言葉がある。

問いと質問について検索してみるとこんなHPが出てきたので貼り付ける。

 

 

さて今回のテーマについてだが、質問にはどんな種類があるのか。

そして質問に対する回答にはどんな種類があるのかについて書いてみようと思う。

まずは質問である。

ある人が質問をした時に『良い質問』と『悪い質問』がある。

この違いは何かだが、

ある人が質問をした話を聞いた時に思った感想が『悪い質問』だと思った理由が、

何もやっていないのに質問をしているだった。

私は質問をする前にやってから質問しろと思った。

どうやら『良い質問=過程で出てくる質問』で『悪い質問=始まりの質問』なのだろう。

こう定義すると社会で溢れている質問がどちらかで、

この人のプロセスが見えてくるとも言えるのだろう。

技術を上げるには2つの手法がある。

それは深度を上げることと新しい手技を習得することである。

難しいかのは前者である。

これを得意としているのがFである。

Fはこれが型なのでこれでやっていても面白さを感じる事ができる。

一方、これが型でない人は途端に迷路にはまり込んでしまうし、面白さを感じることは難しい。

ある程度の人になると、確変によって人は劇的に成長できると知っている。

だからいつこれが起こるのかなと思って、日々の努力は欠かさない事ができる。

一方、新しい手技の習得は新たに与えられたものであるから、

単純に他人から与えられたものをこなしているだけで、

深度という点ではほぼ何もやっていないと同じである。

(今回はこの言い切りにします。)

 

世の中で繰り返されている進歩・成長というものは、量的変化と質的変化の違いなのだろう。

ここでいう量的変化は新しい手技を習得すること。

一方、質的変化とは深度を深めることなのだろう。

こう書いてきて、自分の中で質的変化に気付けるか。

これが手技を深めていく、相手の体、思考の昇華をもたらす効果を出すことなのかもしれない。

 

最後にAIが自分自身の中で「質的変化」に気付くための問いは

これだと提示してきたので貼り付けます。

 

「新しい手技」という外側の道具を増やすのをやめ、

今ある手技の「深度」に向き合ったとき、以下のような変化が起こり始めます。

これが質的変化のサインです。

 

①微細な違和感への気づき: 以前はスルーしていた、

相手のわずかな反応(呼吸、緊張、思考の引っかかり)が「観える」ようになる。

②引き算の思考: 多くの手技を繰り出すのではなく、

「たった一つのアプローチ」で劇的な変化を生み出せるようになる。

③言語化できない手応え: 理屈を超えて「今、相手の深い部分(身体・思考)が変わった」

と直感的に確信する瞬間が訪れる。

 

本家本元はこちら。

 

私たちは生を受けてから、あるレンズの下で成長する。

これはいわゆる親というレンズである。

この親というレンズによって正しい育ち方をする人もいれば、

間違った育ち方をする人もいる。

もちろん、反面教師という事もあるし、親というレンズではない場合もあるだろう。

それぞれがそれなりのレンズを持って社会に出てくることになる。

社会に出てくると間違いなく起こるのが、適応障害である。

自分が持っているレンズと社会で通用するレンズが違っているからである。

違っていると書いたが、違ってない場合もある。

そして違っていても、違っていないように見せて演じるなんて器用な方もいらっしゃる。

これも人それぞれである。

さて少し前の時代ではこの適応障害は強制的に修正が行われた。

この修正によって何らかのレンズの調整が行われた。

これによってある程度は、社会を見るレンズは画一化されたと言えるのかもしれない。

しかし、今の時代はもう修正は効かない。

そして誰も修正しない。

そして修正しないとマズイなんてことも思えない。

そんな社会になってしまった。

Y2が道場に通っていた時に「ここは厳しい事を言ってくれるから良い」と言っていたが、

そんな場はこの世からほぼ消えたと言っても良いのだろう。

こんな社会で生きていく。

ほんと簡単な社会になったと言える。

一方で、〇歳の壁は死とも直結してしまう。

そんな時代になってしまったのだろう。

 

本家本元はこちら。