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解聞鏡

クローズドで行われている手技の練習会という名の道場の中で
出て来る特徴的な言葉を集めたブログになります。

今更ですが、練習会に来られた方へ感謝申し上げたいと思います。

皆さんから私は色々と学ばせていただきました。

ありがとうございました。

最近、少し前の見え方より何だか物の見え方が変わった時に出てきた感情がこれでした。

FとOには出てきた瞬間にLINEをさせていただきましたが、

皆さんと全員とはLINEで繋がっているわけではないので、

こちらで表明をさせていただきます。

本当にありがとうございました。

先日、Fにも言ったのですが、あの練習会で一番得をしたのはきっと私だったのでしょう。

皆さんのやり取りをただ浴び続ける。

それに対しては自分の解釈は一切入れない。

あの場はFの場だから私は介入は一切しない。

(介入は少ししましたが、余りにも酷い時と少し理論的に補強するものがあれば、

解説という意味での介入でした。)つもり?(笑)

その結果、私には皆さんの手技に対する膨大なデータの蓄積が行われました。

この蓄積で私に起こっている事、

思考している事の整理が着々と進んでいっているのだと思います。

それも本質から自分を観るという作業も入っています。

普通に考えたら、物の見方は変わって当然です。

それが最近になって別の次元に変わったのでしょう。

とはいえこの物の見方は皆さんと同じように?本質とは何か

という問いを投げ続ける事ですので、これからの社会の大きな流れからすれば、

反対の行動となりますので、

より一層、私の発言が私の周囲にいる人達には理解できなくなる事は間違いありません(笑)

Fによく言っていますが、どんどん社会から離れていきそうです。。。

皆さんの練習会の動向を聞く事がある。

この動向の中で同じ事を繰り返している人がいるようである。

これに対して私はある解決法が浮んだ。(これがねばならないで動いている人の思考である。)

この浮かんだ方法を皆さんにやってもらうかどうか考えてFに聞いたら、

「どちらでも」と言われたので止めた。

それでこの聞く前に以前に言われていた言葉を思い出した。

「やりたいからやらせておけば良いんです。」

確かにやりたくなかったら自分でそれが浮ぶはずである。

私は同じ過ちは繰り返したくないと思っている。

皆さんからすれば死語なのだろうが、

『同じ過ちを繰り返すのはダサい』と思っている。

先日、仕事をやっていて自分の老化を実感したので、

この老化に対する対策をその場で実行した。

そしてこの実感した事に対して、ある事をするのを決めた。

このようなプロセスを自動的に組み上げていく。

それが私である。

もちろん、仕事だけなのは言うまでもない。。。

さてこのプロセス自体にはこの感情が含まれているのはお気付きだろうか。

『やりたくない』である。

上記の通り、やりたい人は同じ事をやり続ける。

やりたくない人は一瞬でやらなくなる、

もしくはやらなくなるようなシステムを組み上げている。

これで人生は様々な分岐点を繰り返していくのである。

先日、ある人の動向を聞いた。

それで検索をしてみるとブログを開設されていたので読んでみた。

読んだ感想は、この人の印象は変わらなかった。

書いている事は進化について書かれていたが、

進化というより遠回りに拍車がかかっただけと思った。

一方、遠回りが大好きな人がいる。(皮肉で書いている。)

毎回、遠回りをしているように見えるが、結果的に遠回りをした方が良かったねと思える。

ある人の遠回りは遠回りし過ぎてもう戻れないところでまた遠回りをしている。

別の人の遠回りは結果的に遠回りが近道だったなんて事が起こっている。

この差は何か。

正直、このブログで結論として書くレベルではないが、脳をいかに使わないかだろうか。

前者は脳を使って動いている。

脳が先で身体で検証。

後者は感覚に従ってやる。

身体が先で後から誰かから話を聞いたので脳で検証。

こんな事だろうか。

そういえば先日の手技を受けていた時に

脳を使う場面と脳を使わない場面を意図的に使い分けるなんて話をした。

この時には脳を使ってやると失敗するという体験が出てきた時には、

脳を使うのを止めるなんて話をした。

これは今までの経験に裏打ちされた感覚なのだと思う。

皆さんは自信があるだろうか。

これについて自信しか無い人がいる。

きっと自信なんて当たり前過ぎて自分が自信があるという認識は多分、無い。

そういえば、Oについて書いた論点でポジティブ思考があった。

あのブログに書いたが、そもそもポジティブ思考しか無いのだから、

あれをポジティブ思考と定義する時点でどうかなと思う。

さて自信である。

ここまで書いて、再度、皆さんは自信があるだろうかと問いかけてみる。

①自信があります。

②自信なんて無いです。

③自信ですか・・・うーん、思った事ないですね。

多分、このどれかに当てはまる。

どれが一番、ヤバいかはお分かりかと思う。

今回は②にフォーカスしようと思う。

自信なんて無いです。

これは残念ながら自分を客観視できていないだけである。

何故なら、自信が無い人は自分に厳しいからか、ほんとに全く自信が無い人のどちらかである。

後者は何もやれていないのだから、自信が無いのは当然。

こう書いてきて、皆さんの頭に浮かんだ人はきっと自信が無い。

彼はそれで良いのである。

一方、前者である。

自信を持つには、自分のハードルを下げてみたらどうだろう。

そう思うと、何だか自分が結構、色んな事が出来ている事に気付く。

そうすると、自分が出来ていて、周りが出来ていない事が山ほど出て来る。(はずである。)

さてこれでも自信が持てないと言うのなら、あとはジャンプである。

このジャンプでどこかに飛び込んだ時にほんとの自信が試される。

ここまで読んで、自分の自信が試されている場面なんだと気付いた人もいるだろう。

ジャンプした結果は、

先日のある飲み会の後にFが言い放った言葉で全てが表現されているのだと思う。

さぁ、「ジャ――――――――――――ンプ!」

先日、Fのを受けた後にある本が机の上に置いてあったのでちょっと見てみた。

(書いているのは昨年の10月末。)

それがこの本である。

 

 

この本にはある言葉があるのだが、それについてこんな本も買っていた。

 

 

前者を探索する為に後者の源流を探す。

こんな意図があったように思う。

さてこのやり取りの中で私が思ったのは『ほんと外さないな』だった。

言葉足らずなのでもう少し言葉を足そう。

『ほんと毎回、本質を突き詰めていて外さない』である。

何でこんな外さないんだろうと感心する。

人は少し油断すると、すぐに外していく。

こう書いている私もそうである。

これを別の言い方で言うなら「ずれている」である。

これについては、読んでいただいている方の中にも当てはまる人がいる。

これについてFと私は共通認識を持っているが、本人にはこれを指摘する事は無い。

何故かはもうお分かりの事と思うので書かない。

だからいつも思うが、Fは残酷である(笑)

これを踏まえた上でそれ以上にFから学ぼうとする姿勢が無いと中々、難しい。

こういう姿勢だからこそ、Fに対する評価が人によって全く違う事が起こっているのだろう。

(確かこの論点については以前にも書いた。)

さてこの本質を外さないのは何故かである。

これはきっと本質は何かを見つけたからだろう。

そしてこの本質の素晴らしさに感心し、毎回、これを見つける楽しさがあるのだろう。

これは膨大な思索の中で発見したのだろう。

Fに言った事があるが、

「あなたにはアドバイスすることは無い。もしあるとしたら、方向性がずれた時だけだ」

きっとズレないのだと思う。