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解聞鏡

クローズドで行われている手技の練習会という名の道場の中で
出て来る特徴的な言葉を集めたブログになります。

このブログについては、今でもその通りだと言えるので、

この点については何も書くことはない。

最近、Y2と話をした話を追記しておこうと思います。

ある組織の手技はしっかり代償を出すもの。

代償を出さないとある意味で評価されないものである。

代償については別のブログで書いている通りである。

こう書いてきて、2つの事が思い浮かんだ。

一つは代償である。

代償の言葉の意味はこれ。

1 本人に代わってつぐなうこと。代弁。
2 他人に与えた損害に対して、金品や労力でつぐないをすること。「かけた迷惑の—を支払う」
3 目的を達するために、犠牲にしたり失ったりするもの。「命を—として勝利を手にする」
4 欲求などが満たされないとき、代わりのもので欲求を満たそうとすること。「—行為」

 

ここでフォーカスしたいのは3である。

手技で代償を出す。

これについて何を失っているんだろう?と思った。

Tならサラッと答えるんだろうなと思う。

これは投げかけだけにしておいて、

もう一つはTが受け手が分からないから仕方ないですと言っていたのを思い出す。

代償を出すのが当たり前。

となると受け手自体が代償を出さないと満足しない。

これに対してTの手技は代償が出ないのが当たり前。

こんな当たり前の違う中で決勝にまで行くってどういう事!?

と思うがまぁ、実力だから仕方がないのでしょう。

 

P.S.

先日の『上手い』ですが、Fにはこのブログが始まる前に私は聞いていたようで、

すっかり忘れておりました。。。。。

『上手い』のブログに追記しております。

ご興味のある方はぜひ。

これはKの事を観察していたブログである。

Kは来たらすぐ何か練習できる道具で練習し始める。

そして手技をやっている様をじっと観察して、自分の仮説を組んでいた(ように見えた)。

来ていた方の何人かは同じように観ていたが、ぼぉっと見ていた。観ではなく見だった。

別のブログで書いた通り、目で盗めるかという視点があるかないかの違いだったのだと思う。

私たちは同じ24時間という時間を過ごしている。

しかし、どう使っているかはそれぞれの使い方である。

この使い方によって1ヵ月という時間軸を加えると、

如実に差として目の前に展開されることになる。

きっと皆さんのような日常を過ごしていると

1ヵ月という時間軸では把握するのは難しいのかもしれない。

3ヵ月くらいで実感するのかもしれない。(こいつ、全く成長して無いなと。)

このブログではほんの僅かな時間でも上達する方法はあると教えてくれる。

そんなブログだと思う。

 

 

この時から1年が経ち、Fが別場所で手技について講義・披露する話を何回か聞いた。

講義形式が苦手。

誰かから質問を投げかけられるのは得意。

こんな話ばかりを聞いた。

これについては私がFに対する印象の通り、

深い穴の中にいて、質問を出されると、この穴の中から出て地上に出て来て答える。

そしてまた深い穴の中に戻っていく。

これが型だから、練習会に来る時にはちゃんと質問を持って来てと案内したのを思い出す。

1年経ってこの状態は相も変わらず。(変わるわけは当然ない。)

これからもどんどん深い穴(真理?)に入っていく。そして分からなくなる。

これで良いのだと思う。(分かる人にしか分からない。これで成り立つビジネスである。)

 

 

このブログは書くネタ無かったんでしょうね。

少し前と同じ事を書いている。

見事にバレてます。。。

さて手技を行うには自分の身体の軸。

そして受けている人の身体の軸が重要であるのは言うまでもないのだろう。

今度、会う方は自分の身体の軸という点では

きっと日本でいる方の中で上から数えた方が早い方である。

だから自分の身体の軸については何も考えずに表現できてしまう。

一方、受けている人の身体の軸となると、私自身の事を考えてみるとよく分かる。

自分の身体の軸ってどこ?

こんな感覚しか無いような人の軸を探し手技を行うにはこの方にしてみれば、

かなり難しい事なのかもしれない。

自分では軸は当たり前、受けている人の軸は???

こんな認識の差があれば、手技を表現するのは難しいのかもしれない。

となると、自分がどうやって軸を作ってきたか。

この過程を自分の手技として表現出来たら?

これは間違いなくこの方しか出来ない手技になるだろうなと思う。

 

 

このブログを読んで思い出したのがY2の言葉である。

「左が下手すぎて左ばっかり練習していたら左の方が上手くなった」

この頃はこんな話をしていた。

1年が経って私が書いたのが8月1日のブログである『誤差』である。

今もY2にはこの課題があるのかもしれないが、

1年経った今では前のレベルから比べたら誤差の世界の話なのだと思う。

この誤差の中で誤差が何かを見つけ、この誤差を調整する。

そんな世界に入ってしまったのだと思う。

きっとこれはY1の中でも課題なのだと思う。そしてFも。

この誤差は最初はcm単位だったのが、mm単位に変わり、そしてum単位・・・・

(これ以下は下記のHPの『メートルの十の整数乗倍の単位』参照)

 

 

こうして常人では分からないところまで効くという手技が出来上がっていくのかもしれない。