限界 | 解聞鏡

解聞鏡

クローズドで行われている手技の練習会という名の道場の中で
出て来る特徴的な言葉を集めたブログになります。

どれだけの人が限界までやっているのだろうか。

職場で私の周りを見ても、誰も限界までやっている人なんて全くいない。

事実ではなく感情だけで動いている人が多い。

私の仕事は事実(法律)で物事が動いているというのに、

事実が何かさえも見えずにどうしたら良いんだろうと言っている人ばかり。

きっと事実が見えない。どんな構造で動いているか分からないんだろう。

こんな私が皆さんを観ていて、限界までやる事の重要性をとても感じる。

限界までやるという言葉の意味には二つの事が包含されている。

①は言葉の通り、限界までやる。

これは手技が上手くなる為にどうすればいいか。

Y2の動きを観ていれば、ほんと色んな事をやらなければいけないと思う。

練習会の時に言っていた「極端な事をやると、加減が分かって来る。」

(合っていなかったら申し訳ない。)

これは別のブログで書いた千本ノックにも通ずる話である。

②もう一つは限界までやっては手技は駄目だという話である。

限界まで伸ばそうとすると代償が出て来る。

この代償が出た時点で弛ませる事は出来ずに、逆に緊張させてしまう。

これによって本来やろうとしていた目的は達成できないことになる。

だから代償が出るギリギリのところまで伸ばす。これによって弛んでいく。

こんな事が起こっているのだと思う。

ここまで書いてきて、Fが「空手は止めたんです」と言っていたのを思い出す。

空手の型は限界まで振って止める。

この限界まで振るという行為が手技を表現する為には邪魔と感じたから。

こう書いてきて改めて大変な仕事だなと思う。

私がやっている仕事は上記の通りでお金を貰えている方々が山ほどいるというのに、

皆さんの仕事は独立というファクターが入った瞬間にどこまでやれていたのかが問われる。

そんな商売なんだなと思う。

限界までやろうよ。

FとY2は感じているかもしれないが、

今までやってきた経験の貯金によってご飯を食べていくステージが待っているのだから。

この経験の貯金は限界までやったかどうかで貯金できているか決まるのだから。