意図したら取り下げない | 水沢実験室

水沢実験室

7万5千年振りに5次元領域へ戻る地球と共にアセンションを希望する人類を導く一助として、波動を上げ、光を放つライトワーカーとしての使命に目覚めた人達へ向けて発信しています。

意図したら取り下げない。

「なる」「直結」では意図した時点で完了ですが、エゴは意図「しよう」とします。「しよう」としている時点で既に意図を取り下げており、取り下げた意図を再び意図「しよう」として不毛な格闘が始まります。取り下げた状態で叶えようと奮闘するので叶いません。叶っていない立ち位置にいるので叶う訳が無く、まんまとエゴゲームに嵌っているのです。だから「意図したのに叶いません、いつ叶うんですか」と言ったりします。
エゴは「する」に夢中なので、惑わされない事です。

私達は普段から無意識に意図しています。無意識に意図した事が現実化しているので「こんな事は望んで無い」と文句を言います。エゴの自作自演です。だから常に気付いている必要が有るのです。

具体例を挙げます。

スーパーのお惣菜コーナーに美味しそうなサラダを発見しました。「お、これは美味そうだ」と思った時点で既に意図が行われています。美味しそうなサラダが有る平行現実にタイムジャンプ完了です。タイムジャンプは数十億分の1秒毎に起きているので知覚出来ません。3次元の肉体脳(エゴ)は知覚に0.5秒掛かるので、エゴの尤もらしい理由付けが無意味だと判ります。
サラダを発見した次にやるのは値札の確認です。財布の中身を上回るとお会計で恥ずかしいからです。小学校の算数で習った通りです。
値札は商品の値段を示しているに過ぎません。高いだの安いだのはエゴの後出しジャンケンです。値段そのものに高い安いの属性は有りません。単なる表示で、それ以上でも以下でも無いのです。
値段を確認した時点では、エゴはいません。「豪華サラダ¥398」の文字を眺めているだけです。その1秒後(正確には0.5秒後)です、エゴの大合唱が始まるのは。
「何っ?サラダに398円も払うなんて予算オーバーだ!隣に198円のサラダが有るじゃ無いか。そもそも安月給の分際でサラダを豪華に食そうなどと贅沢だ!お前はどこのセレブだ!」
もはやエゴパレードです。見ているだけで不愉快ですが、エゴの言い分を間に受けて398円のサラダは高いから買えないと思った瞬間、「豪華サラダ¥398」が買えない平行現実にタイムジャンプしています。数十億分の1秒の出来事です。せっかくの意図を、エゴの嘘を聞き入れて取り下げているのです。結果、買えない現実を体験するのです。

3次元はパラパラ漫画と同じです。高速で進むので繋がって見えますが、1枚1枚の絵は独立しています。どこの場面に焦点を当てるかで、体験する世界が変わります。だから1人1宇宙になるのです。70億人いれば70億の焦点が有り、70億の世界が存在し、70億の体験が有るのです。

私達は常に意図を行っています。意図した段階で、既に叶った世界に焦点が当たっているのです。だから叶える為に「する」事は何も無いのです。にも関わらずエゴは「しよう」「叶えよう」とするので、叶わない立ち位置に移動し、報われない努力が続くのです。成功哲学や自己啓発セミナーで「頑張らないで下さい、努力を手放して下さい」と言われる理由です。頑張らなくては叶わない、努力しなくては手に入らないと考えた時点で、せっかくの意図を取り下げて仕舞っているからです。

「夢は必ず叶う」「叶わない夢は無い」も同じです。叶う世界に焦点を当てているからこそ夢として認識出来るのです。もし叶わないなら、最初から認識すらしません。その世界に焦点が当たっていないからです。
そこで、またしてもエゴが叶える為にあれを「しなくては」、この能力を獲得「しなくては」と、「する」を始めるので叶わない世界に焦点が当たり、どんなに頑張っても努力しても夢から遠ざかる現実を体験します。
実際は逆なのです。普段から無意識のうちに取り下げていないかチェックすれば、如何に自分で自分の希望を妨げていたかが判ります。