アーニーアイズレー(ギター ソングライター)
2014 インタビュー
◎あなたはビートルズをどのように捉えていますか?
僕らは常にありとあらゆる音楽が好きだった。もちろん楽曲の優美さには左右されるけどね。僕らはどんな音楽のカテゴリーにも縛られない。ビートルズはアメリカに来る前には僕らの(ツイストアンドシャウト)そして、(シャウト)をレパートリーにしていた。僕らは他人に対しても影響があって、なんとかここまで来る事が出来た。
ビートルズは60年代に存在し、進化すると共に僕ら兄弟が好きな音楽をたくさん作った。僕はギタープレイヤーでもあると共にソングライターだったから優れたソングライターの曲はいつでも聞いたものだ。彼らがアメリカで受け入れられた理由はとても単純だよ。それは彼らがアメリカの国歌を歌ったからだ。(イエスタデイ)はその第一の例だよ。(ポピュラーミュージック)こそがアメリカの国歌だから人種を問わず人々は彼らの音楽を受け入れたよ。そして(ノルウェイの森)、(ミッシェル)、(インマイライフ)、(ヒアゼアアンドエブリウェア)といった美しい曲たちについて、自身を向上させるべきだと思った(ソングライター達)が何も感じなかったと思う?(イエスタデイ)をどれぐらいのミュージシャンがカヴァーしてきた?
ソウルアンドジャズアンドファンク 2015
ジミヘンドリクスは1963年3月から1965年11月の間、僕らの家に住んでいた。彼は才能豊かだった。彼はすぐに理解が出来る人でずっと演奏していた。だけど彼は他のプレイヤーとは違ってギターの練習をしなかった。僕は若かったので、その時、何故、彼がギターの練習をしないのかが分からなかった。だけど、彼はアンプがあるか無いかに関わらず、常に演奏していた。
僕は彼と同じ部屋にいてずっと彼の演奏を聴いていた。本を読んでいてもどんなことをしていても、僕は彼と同じ部屋にいた。そのことが社会勉強として必要だという意味はもちろんないけど、彼の演奏を聴き、彼を観察していた。彼が僕の(That Lady)を聴いたとしたら、 彼は多分、僕にハグをしてくれるかタックルをすると思うよ。そしてきっとこう言うんだ。(お前はそれをどこで習ったんだ?)
僕らのエンジニアはスティーヴィーワンダーとも働いていた。彼は半日は僕と働き、もう半日はスティーヴィーワンダーと働いていた。エンジニアは(That Lady)を聴いてひどく驚いていた。彼は僕に訊いた。(ワオ。これはクラプトンじゃないよね?これはヘンドリクスでもないよね?これはカルロスサンタナ?これはジェフベックでもないよね?これは。。アーニー。 もしかして君?)それからはすべてが変わったよ。
https:/
◎アイズレーブラザーズとしてのあなたのキャリアを振り返ってみて、あなたの最大のハイライトはどの場面でしたか?
うーん。それは本当に難しいよ。そのうちの一つとして挙げるなら僕らが2014年のグラミーの生涯功労賞を受けたんだ。そのセレモニーにはオノヨーコとリンゴとポールマッカートニーがオーディエンスでいたんだけど、みんな僕らを丁重に扱ってくれたよ。だけど、僕らはその前にポールマッカートニーに会ってたんだ。その時の出来事だね。
2011年に僕らはロンパールマン所有の建物(彼の家族がレブロンを経営している)でショーをしたんだ。ロナルドアイズレーと僕は演奏をした後にステージを離れ、観客の後ろに回ったんだ。僕らは観客にサインをしたり、写真を撮ったりしてから、スタッフと後ろで座ってたんだ。そしたら、僕の妻のトリスが言った。(あそこにポールマッカートニーがいるわ)僕が言った(え?どこ?)彼女は言った。(2、3個向こうのテーブルよ。)僕はテーブルの間をジグザグに進んで、ポールに歩み寄り、彼の肩を軽く叩いたんだ。彼は立ち上がって、僕をハグして、彼は背が高かったのでほとんど僕を抱きかかえるようにしてくれた。僕らはほとんど同時にお互いに話しかけたんだ。僕は(ザ ビートルズは全力で素晴らしいって言えるよ。)って意味の事を言った。そしてポールは僕に(アーニー。もしアイズレーブラザーズが存在しなかったとしたら、ザ ビートルズはまだリヴァープールにいると思うよ。)って言ってくれたんだ。
そして彼はステージの上に上がって同じ事を言ってくれた。そして僕らは(Twist & Shout)をその(ビートル)とアイズレーブラザーズで初めてステージで共演したんだよ。リッチーサンボラとアッシャーとジョンボンジョビと一緒にね。僕らが(Twist & Shout)を演奏した後に、観客たちが言っていた。(これ以上の事がある?)僕らはステージ上からずっと観客達を聴いたり観てたんだ。観客たちは言ってた(二度とこんなことは起きないよ。)
ポールとアイズレーブラザーズの共演
https:/
シアトルタイムズ 2010年
僕は11歳だった。僕と弟のマーヴィンの間でジミヘンドリックスがソファーに座ってエドサリヴァンショーでのビートルズのデビューを見ていたのを憶えている。
その後、バンドでミーティングがあった。僕の兄が『彼らには2人もギタープレーヤーがいる。だけど、僕らにはジミーがいるよな。』と言ったとき、ジミーがにやりと笑った。ジミーは僕よりも10歳年上だった。彼は、アイズレー邸の奥の部屋に泊まったいた。彼は独学でアンプなしでエレキギターを弾いた。彼はジミーリード、マディーウォーターズ、その他の高さ5フィートのブルーステープを聴いていた。
僕は15歳になるまではギターを始めなかった。僕はジミーの背中とか足の間で彼の演奏方法を見つめていた。そして、後にアイズレーズのステージの上でそれを披露したよ。
ジミーもテレビを見るのが好きだった。「Bonanza」、「Wild Kingdom」、そして漫画。 彼は僕ら子供と上手くやっていた。そして、彼は優しかった。そしてユーモアのセンスがあった。僕はジミーヘンドリックスと(ペッツキャンディ)について、そして僕と弟のマービンと一緒に土曜日の漫画について話すことが出来たんだ。
ジミーはその後、アイズレーブラザーズが購入した白いストラトキャスターと彼の運命と共にイングランドに出発した。(ジミヘンドリクス)として。その後、彼はカリフォルニアでのモントレーポップフェスティバルへの途中で1967年にアイズレー邸に来た。
彼は服装の面で変わった様に思えた。彼は帽子をかぶり、スカーフをして、すべての指に指輪をしていた。首の周りにも飾りがあった。彼はほとんどカウボーイの(シェーン)みたいに廊下を歩いていた。
僕は兄弟たちに訊いた。(ねえ 彼はジミーなの?)兄弟は言った。(ああ。そうだ。彼はイングランドでみんなを殺してきたんだよ。)
ジミヘンドリックス エクスペアリエンスの記事
https://ameblo.jp/kaikosumiiyoshi/entry-12283693138.html
美しいアイズレーズの曲
https:/
https:/
https:/
https:/
https:/
https:/
https:/
https:/
https:/
https:/
https:/
https://www.youtube.com/watch?v=3rFiwDE1id8
https:/
https:/
ビートルズによるアイズレーズカヴァー
https:/
https:/
アーニーさん
https:/