リケ女と騒がれている女性研究者の論文がコピー内容だったというニュースを連日報じられている。今回は研究結果を数字を使って明確に示す事が絶対条件である、理系の論文だったからメッキがはがれたのだと思っている。

このニュースを見た時に、最初に思い出したのがかつて夫を解雇に追いやった張本人ピンクの存在だ。このピンク、『今週は2本論文提出しなくちゃいけないから忙しい!』とか、毎月毎月平均して5本以上の論文をどこかに出しているような口ぶりだった。

しかしそのピンクの名前を検索しても1本くらいしか論文が上がってこない。しかもその論文も探して探してやっと見つけた物であり、更に本人が筆頭では無い。しかも論文書かなくちゃいけないから関連本を10冊買いました!今晩全部読んじゃいます!とか言っちゃってるし、こういう人がコピー内容の論文を書いちゃっている人なのかもね~とうがった見方をついしてしまった。

夫は全部の実験を自宅で行い、全部の記録を普通のカメラで撮影し、データと一緒に論文に掲載した。世の中の研究者がコピペで論文を出したり、過去のデータの使い回しをして楽して研究していると思われてはとても残念だし、博士号はコピペで簡単に取れるなどと思われては心外なので、一応研究者の妻として反論しておこうと思う。

とりあえず形だけ整えておけばいいんでしょ、提出するものだけ提出しておけばいいんでしょ、という小学校からの教育システム及び家庭教育の果てが、このコピペで論文提出につながったのだと思う。

自分の出した論文が後世に良い影響を与えるだろう、という今のステータスではなく未来を思う純粋な気持ちが科学をここまで伸ばしてきたのだと信じたい。

そして夫の地道な研究の姿を見ていた我が家の子供は、研究というのは思いつきではなく、自分が立てた仮説に基づいて実験し結論を導き出す、説明する前に自分で裏を取る、というあたりまえの姿勢を学べた事はこれから生きる人生にプラスになったと思う。
久々にビッグニュースがありましたので、記録的に。

今働いている所で夫は(私の期待通り)順調に仕事で結果を出しています。

夫の業界の内情について全くの素人である妻の私が言うのもなんですが、夫は出来る人だと思っています。それが履歴書に現れていなかったのだと思う訳です。

なぜなら研究者向きのタイプで、更に研究助成金をたっぷりとれる科学技術系では無いため、『お金になる研究者』では無かったわけですから、どこの大学も積極的に採用しようとは思わなかったのでしょう。

今は国の研究機関にいるので、国の未来の環境ためになるけれど、そこでお金を生むかと言われたら一部の工事の会社はお金になるでしょうが、長期的にみて国の支出が減るというだけなので華やかさに欠けるような地道な研究を続けています。でも本人はいたって楽しそう。更に環境系なので地球の未来を考えた時に、とても誇れる仕事内容だと思っています。(やっている内容はちんぷんかんぷんなので、あくまで思っているだけですが。)


その研究所内で今まで何年間も『やりたいプロジェクト』として挙がっているけれど、その必要性や根拠を明確に数字で説明できずに放置されていたプロジェクトがあったようなのですが、夫はほんの1か月の調査時間で解決策を見出し、部長・所長レベルで了承され、ただいま国の審査までとんとん拍子に進んでいます。夫にとっては、大きな励みになったようです。私も誇らしく思います。


さて、話はずれましたが、昨年面接に行ったあるコンサルティング会社の社長が、夫を『経歴不十分』ということで不採用にしていたんですね。まあ、同じ理由でなんども断られていますから別になんとも思いませんが。

その社長さん、今夫が働いている所の出入り業者だそうで、夫の直属の上司とも旧知の仲だそうです。(談合じゃないわよ。)

夫が結果を出したプロジェクトが動き出すと、たぶんこの社長の会社もからんでくるでしょう。
経歴不十分で落とした人が、まさか、ペコペコ頭を下げなきゃならない相手になるなんてね、その社長さんまだ夢にも思っていないでしょうけど。

不採用の時の文言も気をつけなくちゃいけませんね。
ずいぶん放置しておりましたが、進展がありましたのでご報告です。

今まで住んでいて家を売却し、夫の生まれ育った国に引っ越ししました。
約1年貯金を切り崩しながら就職活動しておりましたが、ようやく国の研究チームに入ることができました。

今、毎日元気に通勤し、とてもイキイキと生活しています。
職場の人達も夫の過去の経歴及び現在の仕事の進め方を見て、

『なぜ今まで仕事が見つからなかったのか、全くわからない』

と言ってくださっています。

当初数か月の短期プロジェクト要員で加入しましたが、フルタイム雇用に変更してくださいました。更に今のプロジェクトが終わっても在籍できるよう、ポストが空き次第声をかけてくださるようです。

やっと、我が家は動き出しました。


今思うと、大学で教えていた頃に受けていたひどい扱いは何だったのか、まるで無能な人間のように扱われ、家族全体が怒りというか負のエネルギーが充満するいやな雰囲気だったように思います。

今は楽しく生きていくことを考えて、前だけ向いていこうと思います。