沖縄(カープキャンプ地、辺野古埋め立て地)行ってきました! | 昼は会計、夜は「お会計!」

昼は会計、夜は「お会計!」

会計をキーワードにコンサル業とASP(アプリケーション サービス プロバイダー)業のメールの二つの仕事をするmoriyanの言いたい放題ブログです。
テーマは、ブログ、会計あれこれ、医業未収金管理、小説・本、エンターテイメントなどなど。

image

                    【古宇利島をのぞむ古宇利大橋】

本日、未明に沖縄県民投票の結果が出て、投票率52%を越え、埋め立て反対に7割越え、県知事選挙得票も上回り、投票有資格者の1/4も越えたので県条例にもとづいて、安倍首相と米国大統領に通知することになった。まずは、よかった。滞在中、現地のテレビ局の各種報道と内地(という表現も適切かどうか)の報道の落差こそが、今日の沖縄問題の現状のような気がする。ともかく、そうした結果もでたので、自粛(?)していた沖縄訪問記をアップします。

 

 昨年初めて沖縄キャンプに行って感動して恒例化めざす2年目は4日間行ってきました。まず21日到着後、すぐにレンタカーで阪神との練習試合をしている宜野座村野球場へ。総合運動公園にもなっているようで結構広いのだが、駐車スペースを探してかなり遠方へ。ようやくスタンドに座って、眼前で繰り広げられるプレイ音でようやく「球春到来」を実感。ネットで先発九里亜蓮が駄目だったことも知っていたし、試合内容はともかく、途中からショート守備についた小園君が難しい当たりをファインプレイで大拍手で満足。沖縄市のホテルに戻ったら、ちょうどカープ選手たちも戻ってきたところ。この日は昨年と同じでカープの宿舎にもなっているホテル。エレベーターホールでこの日、先発して四球連発後打たれた九里投手が携帯で結構大きな声で話していた。エレベーターが来て、トレーナーらしき人が合図しても先に行けとやってた。なんだか反省がないなとがっかり。それにしても、投手陣が総崩れとの評価だ。薮田、岡田もだめで、薮田は二軍の宮崎へ強制送還とのこと。

 22日は、雨模様でカープの練習は室内で行われている。熱心なファンは、室内練習場が覗けるところからなんとか選手一人ひとりの動向をみている。雨には濡れるし、どうやら晴れそうもないという事で、急遽変更して辺野古へ向かった。国道を走っていると突然テント村が出現、米軍基地のキャンプシュアブ前だった。そして目の前では基地正面」ゲート前をぎっしりとガードマンが並んでいる。基地の米兵や機動隊も警官もいないが、民間警備会社が前線にいるという違和感。」テント村ではハンドマイクで演説している人もいて、何やら集会中らしく、取り敢えず、声をかけて少しばかりのカンパをお渡しして埋め立ての状況が見えるところはと聞いたところ、「浜のテント」という話と地図を渡されて、辺野古の街並みのなかに入っていった。何回か道を迷いながら漁民と米軍基地を目当てのスナックやバーの跡がところどころに見えて、やはり基地の街という風景。私の自宅の近くにも横田基地を背景とした福生などにのこる雰囲気だ。埋め立て現場が見通せる浜まで出たら,すぐその脇の藪をかき分けて、砂浜に並ぶテントがある。【通称浜のテント】image

image

【浜のテント前から埋め立て工事方面を望む 雨中でもこの青さです】

数人忙しそうに働いておられてが、一人の方に丁寧に説明をしていただいた。最近発表されたばかりの軟弱地盤問題も地元では大きく報道されていた。水深90mの地盤に届く技術は世界にもないとか、いずれにしても計画変更を余儀なくされているにもかかわらず沖縄県への再許可申請をも無視しようとしている安倍内閣。テント村の人は米軍海兵隊の再編成が進む中で沖縄の基地の位置づけが変化しているなかで、本土ゼネコンとそれに続く政治家の利権のために貴重な沖縄の海が埋め立てられているのではないかと主張されていた。

 不気味に張り巡らされたフロートブイは大浦湾対岸へ届きそうなほど。

 辺野古を後にして古宇利島へ。よく動画でみる古宇利大橋はいかにも沖縄の風景。初めての時の感動ではないが、やはりいい風景だ。売店のおばちゃんたやお兄ちゃんと会話も楽しい。そこから今帰仁へ。昨年感動した今帰仁城跡へ。昨年の台風豪雨時に石積みが破壊されたと聞いていたし、もう一度のぼってみた。昨年、NHKBSでもやっていたが、この城の石積みと戦略的な配置そのものが周りの景色に溶け込んで何とも言い難い世界遺産として存在感がある。かみさん等は首里城よりいいともいう。本丸ともいうべき主郭のあたりで石積みを草取りなどメンテをしている人に声を掛けたら教育委員会のスタッフたちだった。崖の意思の間に生える草を時々刈っていかないと根が伸びたりして大変なことになるとか。ここの教育委員会はいまだに今帰仁の発掘作業をしながらもメンテナンスも担当されていることに敬意を表したくなる。台風時の被害の場所を教えて貰ったが結構広範囲だ。修復に手がついていないが、、規模が大きいので国と調整中とか。

 ホテルは恩納ビーチの一画、15階の展望レストランから西の海に沈む夕陽を楽しみに行ったが、雲が厚く全く見えなかった。

 23日は早く出て練習からみて、午後には日ハムとの練習試合もある。相変わらず駐車場探しがたいへん。天気が快復して強い陽ざしの下、目の前で選手たちが観れるのは何とも楽しい。鈴木誠也やメヒア、バティスタの打球音は別格だし、今年生き残りをかける堂林翔太はスイングも不自然だしいい当たりが少ない。ゲージから出て長時間迎バッティングコーチと会話していた様子からも迷いの中にいる感じがする。気がついたらOBの山本浩二さんと前田智徳が談笑しながら練習を見守っておられた。そのうち日ハムの選手が変わって練習し始めたが、まっさきに清宮選手が前田さんのところへ来て挨拶だけでなく何やら話をしてゲージの中に入っていった。さすが、清宮は何本かスタンドへ放り込み日ハムファンから拍手が沸いていた。

 練習試合なので特別のセレモニーもなく予定通り13時にはさっと試合開始。先発ジョンソンは急速が出ていなったがなんとか無失点でおさえたが、後から出てくる投手がまったくよくない。なかでも新外国人助っ人のローレンスが2回7失点では、回またぎさせたコーチ陣も何を考えているか疑問。試合途中で席を立つファンが多く、我々も席を立った。こんな試合を観るために東京から来たわけじゃない、と罵声を浴びせてやりたくなった。ただ、3番左翼坂倉や途中からのいショート小薗らが溌溂として若さや溌溂としたプレイがよかった。せっかく早く退場したので那覇の対馬丸記念館と瀬長さんの不屈館に向かったが、道路が渋滞していて、時間内につかないことがわかり断念してホテルへ向かった。

 さて沖縄最後の夜は民謡酒場だと向かったが、一軒目は満員、ようやく2軒目で入店できた。観光客より地元の人が多そうでいいかなと思っていたが、どうやらこの日の客はおとなしめの方が多かったようで、盛り上がりも中途半端だった。歌い手さんの側も少し盛り上げ方が下手だったようだ。

最終日は、ホテルで朝食後出発。レンタカーは飛行機出発2時間前までに返却という規定なので、帰る日は何もできない、かといって午後便だと帰着後は大変なので意見が分かれるところ。空港で早い便に差し替えようとしたが無理なチケットだったので、結局空港内売店やカフェなどで時間つぶし。12時過ぎに出たが、13時からは初のオープン戦なのだが、ANAも機内Wi-Fi無料サービスを始めているおかげでネット経由の速報を確認しながらだったので、西からの帰途であったことも含めて割と飽きない機内だった。小薗君が高卒新人で初ヒットでよかった。

 

 それにしても、県民投票前に安倍首相や官房長官などは(県民投票は)「法的拘束力もないし、普天間の危険除去の唯一の方法は辺野古のみ、粛々と工事を続ける」と言い続けていた。今朝の報道でが多少の言葉は添えているが、要は「どんなに、何回も住民の民意を示してきても」この国は、「政府が決めたことは揺るがない」国なのだということに変わりはない。沖縄のテレビでは「辺野古がNOなら、なんで普天間が固定化なのか」との問いや「沖縄が問われているのではなく、日本国民が問われている筈だ」との声が出ていたのが印象的だった。