昼は会計、夜は「お会計!」

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会計をキーワードにコンサル業とASP(アプリケーション サービス プロバイダー)業のメールの二つの仕事をするmoriyanの言いたい放題ブログです。
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いつもMLBの対戦を追っている。最近、すごく感じるのがNHKの中継でメインの画面で、(センター方向からのカメラで撮った永続で)バッターの後ろのバックネット下部の広角が日本語そのものがえらく増えてることだ。ドジャース戦を放送するLAのドジャースタジアムはネイミングライツの変形らしくグランド名として「UNIQLO ユニクロ」フィールドとつけたせいもあって、ほとんどの時間中央部にアルファベットとカタカナのユニクロのロゴマークが絶えずついている。その他、今日など試合開始からずーと日本企業が続いている。LAではなくても他の球場でも日本企業の広告が目立つようになっている。それらはMLBの対日本戦略でNHKの中継がある時にはそういう広告を意識的に売り出しているのだろうと思う。

 そこで、アメリカ国内での映像やニュースなどを見ている米国内の人たちがどういう印象を持つのだろうと思う。米国内でも営業している会社で「JAL」「ANA」などアルファベットとかならともかく、「おーい、お茶」「伊藤園」などやユニクロなどカタカナ名の企業とか並んでいる時に、排外主義者も多い国だし、それでなくても普通の国民、中南米など多くの国の人が暮らしている人たちの感覚は、どういうものか。まして過剰なほどの大谷翔平の持ち上げ方に加えて、「あのジャッジ」と並ぶホームランを打ってる「MURAKAMI」などが出てきている時に、グランドのメインの広告がこんなにも日本語で占められてるのは、いかがものか。反発はないのか。それより、日本国内で見ている人への広告効果だけでいいのか。など考えてしまう。

 セブンイレブンはアメリカ国内でも営業しているが、英語表記のマークならいざ知らず。

 一時期の日本なら日本が前面に押し出されると反発も多かったが、今や先進国の中でも経済力も何十番目とか言われる日本では反発はあまりないのではと予想されてるのか。

 日本企業の広告が減ればいいとか言ってるのではない、たいした経済力もないのにMLBに乗せられてるだけではないかないかという危惧でもある。

映画館で予告編でみた印象、西洋医学を学んで診療代も取らず取り組む蘭方医・太吉(佐々木蔵之介)となんでもかんでも葛根湯を与える漢方医・玄斎(内藤剛志)とは互いに罵り合う関係がズームアップさらてたので、その印象だけで、お笑いものと勝手に思い込んでいた。実は同じ昨日封切りの湊かなえ原作の「未来」を見ようかと思ったが黒島結菜が好きではないため、ネットで予約を取る時しゅんかんてきにお笑いの方を選んだのだ。それ以外の情報はなく映画館に行った。

 始まってすぐ、漢方医のなんでも葛根湯を出すというお決まりの漢方医が登場し、それで治らないと蘭方医のところへ来る患者もいて、その対立構造が見えてくるが、二人主役でなく実は主役は一人蘭方医の太吉の方だというのはすぐわかる。これはお笑いでなく結構真面目な映画だぞと思い始めた。そして、ストーリー展開としては、街の商人の乱暴なドラ息子を救命したことから、そのわかものが蘭方を学びたい、弟子にしてほしいとくることから、大きな展開を迎える。そのドラ息子新左(藤原季節)を受け入れるが長崎に行って学んでこいと送り出す。その後、新撰組まで登場し幕末の時代感を出しながら時が進み、流行り病が京都の村まで進行してきて、村は大騒ぎ。そこへ15年ぶりに返ってきた新左があらわれる。当初、長年蘭方をやってた太吉はメンツもあって抵抗してたが新左の見立てどおり流行り病いは大流行し、患者のための入院施設のような部屋を作り、懸命に治療にあたっていた蘭方医たちの奮闘に、理解できない村人が施設を襲い多くの患者を取り返すということまで起きた。

 この映画は実は京都府立医大の創立150年記念映画ということで、同大学の卒業生だ映画監督をやった大森一樹さんの最後の企画監督映画だった。大森さんが映画界にデビューしたのが京都医大生たちの青春群像劇「ヒポクラテスたち」(1980年)だった。

 そうした背景から関係者が大森一樹さんを中心に企画していた時に大森さんが他界されたという。

 そして、幕末のヒポクラテスたちの活躍を描き、そして現代に通じる「ヒポクラテスの誓い」をしだから紹介し、記念映画にふさわしいものになったのかと感じた。ただ、エンタテイメントとしての映画としては、やはり多少は荒っぽい作りだったかという感は免れない。

 わたしもよく京都に行くが、立命館大学や同志社、京大などと比べたら京都府立医大はあまり意識したこともなかったことを、認識した。今度行った時には府立医大にも行ってみようと思った次第。

 

昨日、暇にまかせてAIモードに尋ねた。そしたら驚くほど短時間にというかほぼ瞬時に返答があった。その内容はあまり詳しくは書けないが、最初はりくりゅうペアが紫綬褒章まで受けるは、テレビ番組に出ずっぱりだが、あの2人のベダベタ加減に気持ち悪いぐらいだが、テレビで局側は好感度が高いと踏んでるのでしょうか。という内容を数回に分けてやりとりしたのだ。AI側からは絶えず瞬時に、私に「どの部分?」とか、「どう思ったの?」とか適時質問をしながら、「実はあなたのように感じる人は少なからずいらっしゃるのです」とはっきり言ってた。その続きで、はっきり言って石原良純や松岡修造などがテレビでは特別扱いを受けているのでは?と聞いて行った。そのやり取りの中で、やはり石原良純が父は有名小説家で元都知事、兄弟から国会議員が続いている、叔父は石原裕次郎というのをバックに、彼がいやらしいのは、例えば一茂と同席した時に低姿勢だが他の番組では、芸人など他の出演者には、露骨な上から目線、露骨な政権擁護などを指摘したら、そういう人なのだ、それをテレビ局側もわかってて使ってる、と明言。他に気になる人はというので先の松岡修造さんのこと聞いたら、やはり露骨にセレブリティを自負して番組を選んでいること、単なる1ゲストというのには出ない。メインとして出るものでないと出演しない。局側はそういうのを知っていて、忖度やら配慮やらで生きていくものと思ってるとまで言ってた。そんなこんなで、もう、2時間くらいやってて、テレビ論から映画の話まで行って、「国宝」という映画が日本アカデミーでは賞を総なめしたが本場のアカデミー賞だは、メイキャップとヘアデザインの部門にだけノミネートされたが、それすら受賞できなかっとことから、アメリカの方が本当の実力主義で、日本は様々な配慮や忖度などで成り立ってる証だという結論になって一致していった。このまま行くと日本映画の未来はないのではまで書いたけど、賛同してくれた、やはり以前も書いたが韓国が映画産業に対して脚本から美術、演技、演出など総合的に育成に国が乗り出していることと比べてAIも批判し、ほぼ韓国に遠い抜かれているとしていた。もう楽しくなって、日頃の鬱憤を晴らすことができた。「もう時間だからこれくらいで」と伝えたら、「今度は何を話題にしましょうか」とまで言ってくれて期待された。

 単純に次回に続きができるのか、知らないが、AIの見識の高さに驚いたことは間違いない。