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昼は会計、夜は「お会計!」

会計をキーワードにコンサル業とASP(アプリケーション サービス プロバイダー)業のメールの二つの仕事をするmoriyanの言いたい放題ブログです。
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昨日は先週金曜封切りの表題作を観た。20年前の「ゼロ世代の金字塔」が4Kで帰ってきたというチラシ。ブルーハーツのこの曲は私でもよく知ってるし、今や名曲の部類だと思う。リアルタイムではこの映画は見たことはない。あの頃は起業して、全国を飛び回ってた頃で、とても映画に行くような余裕もなかった時代だ。 

 映画は高校の文化祭を巡って高校生たちがバンドをやろうという経過、そして3日間で韓国からの留学生(ぺ・ドゥナ)をボーカルにして、彼女含め女子高生(JKとは言わない)が(前田亜希、香椎由宇、関根史織)4人で準備をする経過、そして、あの名曲の演奏が当日の体育館でのステージ。映画的にも実際のフル演奏シーンはそれまでは出てなくて、練習に関わる様々な出来事を経て行く様が当時のまさに女子高生たちのリアルな姿だったのだろう。そして演奏シーンになった時に、体育館に大勢の生徒が駆け寄り歓声を送る様子は、溜まっていたものが湧き出したのだろう。それが私の中にも湧いてきて、知らぬ間に涙が溢れていた。それは他の観客とは違って、私もこの人たちと同じようなドラム、リードギター、サイドギター、ボーカルのバンド経験があったのだ(約50年前)。しかも私が労組書記長で、法人に交渉して文化活動への支援ということで、ドラムやアンプなど購入費の半額だかを交渉で支援してもらい、医師2人のギター経験者で私もギターかエレキベースをやりたかったがドラムがいないということで突然ドラムをやらざるを得なくなり数日で教わりに行き、晴れてお披露目が当時完成して間がない渋谷区神谷町の民青会館ホールでの病院の忘年会会場だった。練習は地下ボイラー室でやってたので、初めてエレキやドラムの音が鳴り始めて(ベンチャーズで)幕が上がり始めた時には、若い職員が多いので悲鳴に似た叫び声が上がった。まさにこの映画の体育館と同じだ。そして、前田亜希が刻むドラムの様子などが半世紀ものときを超えて、まざまざと思い出させてくれた。私たちはベンチャーズを何曲がやった後は、クリスマスメドレーを始めた頃は多くの青年が踊り始めていた。(衝撃的なデビューで、その後他の労組や医労連などのイベントに呼ばれるようになり大変だった)

 さて、チラシもネット紹介でも。JKとは言わず女子高生と言われてた時代、多くの人たちに共感が広がったのだろう。この曲の作詞作曲の甲本ヒロトの兄弟の甲本雅裕や松山ケンイチなど当時の若手俳優がエンドロールにでてくる。令和の時代のJKとはまったく違うあの時代の高校生たちの様子は何か幼稚なようなうぶな感じがなんとも言えない。20年を超えてリンダリンダ現象はこれからもっと広がるものと期待したい。

 映画手法的にはやや自主制作のようなところもあるが、それもこの青春物語らしさを醸し出しているのだろう。ぜひ多くの方々に観てもらいたい映画です。


昨日はスポーツ中継見てて不愉快なことが続いた。午前中は大リーグ。ドジャースは山本が先発で自軍の援護がないまま6回を2失点、同点でマウンドを降りた。すると7回に2ホームランなどで一挙5点。その後山本の勝ち投手の権利を持ったまま加点されたりしたが、大谷はチャンスにも打てないし、チャンスも作ることもできなかった、のに試合の決着がついた9回に、こともあろうに松井からソロホームラン。しかし日本のメディアはもっぱら大差勝利があたかも大谷のホームランであるかのような報道。まったく試合内容を無視した伝え方に腹が立った。あまりにも大谷偏重のうんざりだ。

 夜は楽しみにしていた世界バレー。初戦でチーム最多18点を稼いだ秋本美空が先発で、その上中継のTBSの解説席には母親の大友愛だ。そんなことってある?これは世界バレーを担うTBSのあまりにもの煽り行為、茶番劇だ。MCまで、「秋本選手は監督についてどう言ってましたか?」なんて質問をしたり、秋本選手がスパイクを決めた時に、歯が浮くようなコメントを流していた。秋本がサーバやレシーブで何回も失敗したり、サーバで失敗した時も「攻めていたのでいいと思います」なんてコメント。私は、秋本を下げて、「和田由紀子をだせ!」と、叫んでいた。監督もさすが負けが見込まれた2セット最終盤にようやく秋本と和田を交代させた。ところが、その和田が初めてのサーブで失敗した時に、これでもう終わりだ、とベッドへ行った。

 それにしてもネーションズの時にデビューした秋本だが、あの時には和田は全選手中最多得点を叩いた選手だ。今度の世界バレーでは、秋元が変わって先発で解説席には母親とは、いくらなんでもはしゃぎすぎだろう。

 何年か前まではバレーといえば、フジの牙城だった。時あたかも某プロダクション系男性アイドルグループ全盛時代、試合開始前のイベントに、試合中にも盛んに登場させて、ましてサーブ直前までマイクパフォーマンスをやめないのに、スポーツの公平性など無視した、酷い映像の連続だった。そのフジに変わってTBSが登場したのだが、基本的にはフジ時代とそんなに変わらない。本当にがっかりだ(ネーションズリーグの時の国内試合の時には一方的にマイクパフォーマンスで叫び続けていた)。らただ、試合はフルセットまでもつれて勝って決勝リーグ進出を決めた。まあ良かったとは思うが、不愉快な夜だった。

忍野で暮らす兄貴との関係で金曜日(8/22)に忍野村へ行きました。取り敢えず彼のところで過ごしていた仲間を山中湖の旭ヶ丘のバスセンターまで送ること。ただ聞いたら忍野へ来てとこかへ行きましたか?と尋ねたら行ってないという。それはないだろうと急遽、旭ヶ丘に行く前に忍野八海へ行くことに。ただ凄い観光客で久しぶりに来たという兄貴は盛んに驚いていた。仲間の二人は、中心部で降ろすと盛んに写真を撮ったりした、他の旅行客にお願いして撮ってもらったりして車に戻ってきました。そこからセンターまで行ったら、そこからイタリアンのお店で昼食。

 この日は忍野では有名な近くの焼き肉屋さんへ行き、美味しいお肉を食べました。23日は、もしかしたらこん顔のメインである兄の東京の元自宅まで行き、荷物搬出を見届ける、はずが、兄が他の書物や物品を次々と運び出し私の車に積み込むのです。 一方で某大学の研究室から本の寄贈を受けるためきた若者たちも本を積み込むのはいいが、もうぱんぱんになっている。それになってきた人が4人が乗ると無理だよなんて話してたら、いったん入れてた本を一人ひとり乗ったら ら膝の上に本を山積みして抱えさせるというやり方で4人が乗っていく。何人か私の心配を受けてか、誰か電車に乗るかとか小さく言ってたが、上手する人が大丈夫と強気で、結局、、沈み込んだ車は出発して行った。こちらも後部席を倒してもなを山積みの荷物で忍野へ戻った。

 途中で買った食べ物を食べながら、蕎麦焼酎のキリンレモン割りで、広島・中日さんを見ていたが、自宅と同じように決着付く前に中へ上がった。疲れてたからすぐに寝ることができた。

 なにしろ忍野にしては暑い日が続いていたようだがア朝夕は温度が下がるので、初日は明け方に鼻水が出たほどだ。2日目はしっかり布団を用意してので万全。朝食を山中湖側で食べた後、妻からも頼まれてた野菜の直売所へ。看板通り全て100円というのだ驚いた。

 その後、近くのさかな公園の中の公的施設で(Wi-Fiが使える)兄のパソコンやらタブレットのメール環境の整備などでごちゃごちゃ作業。途中で、兄のノートPCがキーボードが日本語対応でなく、半角全角キーやかなキーなどがなく、メールアプリはフェルダー名など全部英語であり、その上てWindows11なので、私も戸惑いばかり、辛うじて全角半角の切り替えだけは見つけたので、なんとかなるかもしれないが、買ったところへ交換等申し出るようにすることなど確認して今回の作業は終えた。そばを食べていったん兄のうちは帰って冷蔵庫の余り物など貰って車を出して、有料は入ったところだ、夏仕様の半ズボンのままきちゃったことに気づいて、(須走インターまできてたので)電話して送って貰うよう頼んで静岡に戻った。やはり降りたらさすがに暑い。忍野は富士山のそばを実感するし、さすがという温度を久しぶりに味わった。

【忍野村から見た富士山】夜は山小屋の明かりが連なって圧巻だと聞いたのが朝だったので、夜は見てなかったので残念。