建国記念の日に想う | 昼は会計、夜は「お会計!」

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忙しい世代は祝日もただ休める日として経過するがこの歳になると今日が明治憲法下では紀元節(神話で初代天皇が即位した日といわれる)と呼ばれていた日を佐藤内閣の時に無理くり建国記念の日として定めて祝日法の中でなく政令で今日と定められた。どんなに言い繕っても戦後占領軍によって廃止された紀元節を復活したいという自民党によって準備され1966年に定められ、翌67年に初めてその日を迎えた。学生自治会が呼びかけて教授会も同意して同盟登校することになった。(私は高校生の時にも高校民主化三原則の一つである総合選抜制を廃止するという県と市当局に抗議してPTAと生徒会が呼びかけて日曜日に登校したことがある) 
   さて、67年のその日、東京は夜中からの雪がしっかり積もっていた。集まり始めた学生たちや先生方で、この大雪は2.26事件の日以来とか、いや赤穂浪士の討ち入り以来の雪だと笑い合っていたことや、学生課長も担う婦人論の名物教授が、期せずしてこの日が忘れられない日となったなど挨拶された事を鮮明に覚えている。
    あの頃は自民党の右派勢力が旗振りだったが、ハト派と呼ばれる人もいた。今や小選挙区制の下で安倍一強となり自民党だけでなく政権に尻尾を振る公明党や憲法改悪を迫り野党批判を担う大阪維新など迎合勢力が増えているのが違いだろうか。
    反対勢力は労働運動がすっかり骨抜きにされ、野党共闘は当時は革新自治体を多数生み出していった力もあったが、今やその力もない。ただ、当時は日共系、反日共系も呼ばれる学生運動だったなが、すっかり衰退した。今唯一の救いは、あの頃はシールズはなかったということだろうか。

   あの頃も今も、休日が増えるのだからいいんじゃない、などという人も多いのだろうが、そうもいかないでしょう。国民に正しく伝えない、教えないまま気がついたら暗黒時代というのは、世界でも日本でも歴史が証明済みなんだけど・・・。