さて、67年のその日、東京は夜中からの雪がしっかり積もっていた。集まり始めた学生たちや先生方で、この大雪は2.26事件の日以来とか、いや赤穂浪士の討ち入り以来の雪だと笑い合っていたことや、学生課長も担う婦人論の名物教授が、期せずしてこの日が忘れられない日となったなど挨拶された事を鮮明に覚えている。
あの頃は自民党の右派勢力が旗振りだったが、ハト派と呼ばれる人もいた。今や小選挙区制の下で安倍一強となり自民党だけでなく政権に尻尾を振る公明党や憲法改悪を迫り野党批判を担う大阪維新など迎合勢力が増えているのが違いだろうか。
反対勢力は労働運動がすっかり骨抜きにされ、野党共闘は当時は革新自治体を多数生み出していった力もあったが、今やその力もない。ただ、当時は日共系、反日共系も呼ばれる学生運動だったなが、すっかり衰退した。今唯一の救いは、あの頃はシールズはなかったということだろうか。
あの頃も今も、休日が増えるのだからいいんじゃない、などという人も多いのだろうが、そうもいかないでしょう。国民に正しく伝えない、教えないまま気がついたら暗黒時代というのは、世界でも日本でも歴史が証明済みなんだけど・・・。