その中で紹介された人の名刺にNPO法人理事長と医学博士という肩書きがあって、しかも、何故か先生の方から「元日共です」と笑顔で言われたので気軽に聞けると、何気に臨床は?と尋ねたら、なんとかの有名な農村医学の佐久総合病院の名前やそこの元院長の若月先生の名前が出てきてびっくり。かつて事務次長をしていた病院で交流があり、若月先生には何回も講演していただき、何故かその都度私が上野駅まで送って行き、電車の時間まで汚い居酒屋で先生とお酒を呑んでたことなど話した。その先生は若月先生を師と仰ぎ、しかも私がかつて勤めていたその病院にも何度か行ったとのこと。そんなんで、えーなんて言ってたら、さらにその先生が私の故郷の県立大学の学長(そこは、かつて私の兄貴も一度は学長候補にまでなった)で5年も暮らしていたとのことで、更に住んでおられた町のことなどまで、妙な縁まで感じてた。
だんだん賑やかにやってきて丁寧な紹介などされないなかで、なんだか大阪の方の大学の非常勤講師という人が、リハビリ科というので、何気に息子が今東京でリハの大学院に行ってると伝えたら、なんと、そこに来年から来る予定だとのこと。まあそこまでは、たまたま偶然だったのだからどうってことはなかったのだ。だいぶ混み合ってきたので、外へ出てもう一軒という事で新宿駅の近くの体育関係者が集まるという居酒屋に行った(アルタの脇を抜けたところ)。そこの親父は何しろスポーツ関係者に詳しくて、前から書いている坂井義則(1964年東京オリンピック最終聖火ランナー)さんもよく知っているからと連れて行かれた。早速、親父さんが来て、坂井さんとの関係など喋っていたら、なんと私の高校の一つ下で、中学時代の陸上競技部の後輩で某大学元教授をよく知っているという。ちょっと席を外したら本を2冊ほど持ってきて、何とその後輩が書いた陸上競技に関する本にきちんとサインまでされていた。それだけでも凄いなと言ってたら、何と私が中学時代に陸上競技をはじめたきっかけの中一の時の担任の先生の名前が出てきたので、またまたびっくり。その先生は素人なのに水泳部の顧問を引き受けたら、プールもない中学で次々と強い選手を育て、のちに県水連だけでなく日本水連の役員までやった人なのだが、そういう人脈や経過まで、よく知っているだけでなく、その記憶力に驚く。たまたま兄に連れて行かれただけなのに、あっという間に次々と繋がっていった。
久しぶりに外で飲んだこともあるのだろうか、無濾過生原酒のせいか、偶然とはいえ多くの繋がりを感じて、家に帰っても何だか興奮が続いていた。
今日は新宿の病院に3ヶ月に一度の定期受診。朝早く来て検査を終わらせて診察待ち。