多摩川は死んでるのか 羽村堰から多摩リバー50キロを下る | 昼は会計、夜は「お会計!」

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朝早く何気に多摩モノレールに沿って行こうかと立日橋を渡ったら新奥多摩街道に出たのでこれを上ろうとどんどん上る。途中で奥多摩街道と入れ替わってよくわからないが約14キロぐらいのところでiPhoneのアプリをみたら羽村堰の側まで来ていたので羽村堰に向かった。

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【羽村堰の取水部分】

車では何回か堰入口信号の側を通ったり、堰の下の河原で弁当を食べたりしたのだが、やはり車生活と自転車はまるで違う。公園のようななかまで入って玉川兄弟の像があり、その玉川上水へ水を流すための取水堰が羽村堰なのだが初めて見た気がする。堰も基本は江戸時代の造りのままだ。そこから玉川上水に流れ込むところも水が本当にきれいで驚くほどだ。都内で川の水がこんなにきれいなところはないだろう。
写真ではそれが表わせないので残念ながら省略。帰りは多摩リバー50キロ(実際は53キロ)サイクリングロードを使おうと土手道沿いに行く。すぐ気がついたのは日野や国立付近も今、陸地化を防ぐ工事をあちこちでやっているが、羽村堰のすぐ下流あたりではもう流れているところが見えないくらい。
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【昭島付近の玉川左岸土手から右岸方面を望む  川はまったく認識できない】

この状況は陸地化どころではない。大水が出たらどうなるのだろう。上流域でのなりふり構わないダム建設などのせいだろうか。日野あたり下流の陸地化を改良する工事は日常化しているが、このような手つかずの地域がこんなにも広がってるのが驚きだ。
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【多摩大橋から上流を望む】
多摩川右岸が八王子市になる多摩大橋まで来ると写真のように中央部が工事で掘り下げているところがあるように、やはり陸地化しているが上流のように森林状態ではなく、開かれている。この辺から下流がまだら模様だが工事をしていることの意味を上流をみることで理解したという感じだ。

羽村堰まで新奥多摩街道経由で約15キロで帰途多摩リバー50キロを通ってもほぼ同じだった。
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iPhoneアプリのサイクルメーターの地図で軌跡みたらその辺が納得。(なお帰途途中で軌跡が消えてるのはiPhoneのバッテリー切れ)。
追加  以前当ブログで紹介したと思って探したが見当たらないのが、玉川上水の終点の四谷大木戸の水道碑。江戸時代玉川上水が大木戸まで開渠で43キロ持ってきて今東京都水道局が建てた水道碑がある。そこからは地下などに石樋や木樋で江戸城内各地に配水していたという。大木戸には高遠藩内藤家の屋敷があったので分水させた庭園に池を作った。これがそのまま今の新宿御苑となった。なお、明治も30年頃には浄水場が必要ということで新宿淀橋浄水場ができたので代田橋付近から直線的に淀橋へ水路ができたので、代田橋下流の玉川上水は次々と暗渠となり補助的な水路となったという。
    ともかく1654年に完成させたという玉川上水は総延長43キロにも驚くが、羽村堰に未だその痕跡を十分残しており江戸時代の土木工学のレベルの高さも伺える。ぜひ一度は見ていただきたい場所だ。