3.11報道をみて思う  「広島」化しないために | 昼は会計、夜は「お会計!」

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昨日ブログアップ後も国主催の追悼式から夕方の報道、夜の特番等をみてて、あらためてあらゆる復旧・復興が遅れ、とりわけ福島の原発はまったく収束どころかまさに事故継続中で、引き続き何が起きるかわからない状況であることを思い知らされた。それにしても安倍首相の追悼式での「誓い」やその後の記者会見での「強靱、強力な国土づくり」の発言には驚かされた。土建国家作りの理由付けに大震災を方便で使った発言だ。先週、映像が流れた福島原発の模様をみたのだろうか、どうして原発再稼働を軽々しく発言できるのか、(見せ掛けの為替の変動や株価などで妙に自信満々に)深く考えず、遮二無二に自身の考えだけをとうとうと発言する厚顔無恥さ加減に虫酸が走る。
一方で被災地の住民は、様々なものを失って大変な悲しみを経験されたにも関わらず、自分たちの住む町への想いを言葉にされたり、「亡くなった人の分も一生懸命に生きなければ」などとの発言を聞いていて、心打たれる。また福島から避難されている人たちの帰りたいけど帰れないという想いはもっと深刻。もう福島は人が住めなくなる町がいくつかでてくるに違いない。こうした福島や福島を支援する人たちに、なんて言葉を伝えていいものかわからない。

こうした地元の方々、東北の人たちに寄り添う心がどれだけ日本人全体に広がるかが、結局鍵になりそう(因みに天皇陛下の追悼の辞も同様のお言葉でした)。
やはり、「忘れないで欲しい」という声に集約されるのかも知れない。そんな時に、昔、友人と大論争したことを思い出す。
私は広島出身で、8月6日になるといっぱい人が集まってくる事を、「今年も平和屋さんがやってくる」というコラムを書いた。年に1回でも広島のことを思い出してくれるだけでもいい、広島を風化させてはいけないのだから、というのが友人の意見。しかし、年に1回観光もかねての全国動員された集会はうんざりだ、日常的な平和活動こそ核抑止力になる、非核三原則すら危なくなっている時に、年に一度のカンパニアで何になる、もっとノーモアヒロシマを日常化しなければというのが私の意見。多くの国民が8.6広島、8.9長崎の原爆、戦後は、ビキニ環礁での第五福竜丸の放射線被爆は、知っていて、原水爆禁止署名が国民の過半数に達した事もある。今はどうだろうか、毎年、広島、長崎の原爆慰霊祭やそれぞれの集会等開かれるが、憲法を変えてでも、軍隊化し、海外派兵へ道を開く党を選挙で選び、その党の総理大臣が支持率67%になっているという。やはや「ヒロシマ」は風化してきていると多くの人が言う。
今回の東北大震災も同じように、被災地からは「忘れないで」という声は大きい。メディアでも「風化」という言葉が盛んに使われている。現に企業の寄付金など激減して、NPOなどボランティア組織が活動停止に追い込まれているという。一方で自治体から委託を受けていたNPOがとんでもない組織で被災自治体を食い物にしていた事が暴露された。ここにも「震災屋」ともいうべき震災被害を食い物にした組織があらわれた。もっとも国か責任を持つ放射能除染も実はほとんど大企業が受注して、下請け、孫請け、ひ孫請けまで存在して、安全管理などの問題が暴露されはじめている。こういうのも同じく震災を食い物にする震災屋だろう。

大震災は、観光業の損害も多かったため、被災地の方々は、観光でもなんでも東北に来てくれることを望んでいるという。JRのCMではないが「そうだ、東北へ行こう」でいいのだ。風化させないためには、みんなして東北へ行こう。そして観て食べて、ふれあって、いつまでも、いつでも東北が身近になるようにすることだ。私も腰が悪いので、がれき処理などのボランティアはできないが、あまり歩かない程度の観光客にはなれる。いつも八戸までは往復し八戸の夜は書くが、それ以外がない。たまには、どこかへ寄るような時間を作るべきだとつくづく反省。
 因みに、私は未だにすべての日本人が広島の原爆資料館を一度は行って、目を背けないで見てきて欲しい、と願っています。