『ウルトラマンブレーザー THE MOVIE 大怪獣首都激突』ざっくりレビュー(ネタバレ注意) | 怪獣玩具に魅せられて

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現在公開中のウルトラマンブレーザーの劇場版。行ってまいりました。

 

リアタイのウルトラマン――ってか、テレビ放送シリーズの劇場版のレビューは、これが初めてだと思うので、今回はブレーザーの劇場版への言及だけでなく、これまでの劇場版ウルトラシリーズに関する僕の印象も含めて書いておきたいと思います。

 

 

①ウルトラシリーズの劇場版について

 ウルトラシリーズの劇場版と一口に言っても、数が多い上に作風や方向性もバラエティーに富んでいて、全部チェックしているわけではありません。ざっくり思い返してみると、

 

 昭和の「実相寺昭雄監督作品 ウルトラマン」「ウルトラマンZOFFY ウルトラの戦士VS大怪獣軍団」は大人になってから観ました。

 平成だと、TDGはあんまり記憶にない。たぶん見ていない。コスモス三部作は、「ファースト・コンタクト」をリアルタイムで視聴して、後2作は大学になってから観ました。三作目の「VS ジャスティス THE FINAL BATTLE」はけっこう好きな作品です。

 あと、「メビウス&ウルトラ兄弟」も、たしかリアルタイムで見ました。そこから先、「超ウルトラ8兄弟」「大怪獣バトルウルトラ銀河伝説」「超決戦 ベリアル銀河帝国」とリアルタイムで鑑賞。ただし、いずれも劇場まで足を運んではいません。

 映画館で見て、今もなの僕の中でウルトラシリーズ劇場版の決定版となっているのは、やはり「ウルトラマンサーガ」ですかね。3.11があって以降、怪獣による「災害」を描くことに躊躇いがあった時に、製作陣が悩みながらも出した答え、そしてそれが見事に体現された「画」の力に感動し、今でも僕の中で特別な一本になっています。

 以降はニュージェネ時代に突入。「ギンガS 決戦 ウルトラ10勇士」「X きたぞ! われらのウルトラマン」「オーブ 絆の力、おかりします!」「R/B セレクト! 絆のクリスタル」は後から鑑賞。映画館で見始めるようになったのは、「タイガ ニュージェネクライマックス」「トリガー エピソードZ」「デッカー 旅立ちの彼方へ…」、そして忘れちゃいけない、「シン・ウルトラマン」と、まあ、こんな感じで観てきたんですね。

 

 劇場版については、まあ昭和の総集編的なものは置いておいて(「六兄弟対怪獣軍団」は改めてちゃんと鑑賞した上で、ぜひとも取り上げたいんですが)、平成以降の劇場版については、全部網羅していないその範囲の中でも玉石混淆だと思っています。特に「サーガ」以降のニュージェネ劇場版については、はっきりけっこう好き嫌いが分かれますね。

 

 重視する要旨は色々とあるんですけど、「テレビシリーズとの関係・バランス」が個人的にはけっこうキモだと思っていて、そこが上手いことできている作品は好きだし、逆にテレビシリーズとの関係性やそこから劇場版に発展する価値に乏しい作品については、あんまり好きじゃないって評価になる。

 ただね――他の特撮作品、たとえば仮面ライダーシリーズと比較すると、ウルトラシリーズの劇場版には多かれ少なかれ存在するナニカがあるような気がしていまして……それについても、この後のブレーザー劇場版のレビューの中で考えていきます。

 

 

②『ウルトラマンブレーザー THE MOVIE 大怪獣首都激突』について

 まず個人的な注目ポイントについて。テレビシリーズの劇場版の場合、冒頭にダイジェスト映像が流れます。今回も、ブレーザー第1話の映像から始まって、テレビシリーズのざっくり総集編が流れる。テレビをリアタイで追いかけていた人は、「最初のおさらい映像は見なくていいや」と思うかもしれませんが、いやいやいやいや、この冒頭のおさらい映像が、個人的にはこの劇場版で一番の上がりシーンだったんですよ(おいおい)。

 というのも、以前、こんな記事を書きました。

 ウルトラマンブレーザーに期待大!! | 怪獣玩具に魅せられて (ameblo.jp)

 この記事の中で、「これって映画? と思わせるくらい、ダイナミックかつ奥行きのある画作り」が見どころだと書きました。今回、非常に短い尺とは言え、あのバザンガ撃退のシーンを大スクリーンで見ることができたんです。

 

 これが、やっぱりすごいんですね。

 

 ブレーザーの世界に一気に引きずり込んでくれた、あのナイトシーン。スクリーンで観たら迫力が段違い。さらにブレーザーの初登場シーンで、彼の端正な顔がアップになった時の「巨大感」が凄いんですよ。ここでね、やっぱりテレビで観ていた時と同様、一気に引き込まれるんです。

 だからね、途中から入るのは勿体ないですよ。ブレーザーの第一話なんて、何回も繰り返し観たけれど、テレビ画面とスクリーンとでは、もう何もかもが違って見えました。

 

 

 ストーリーや見せ場的なところで言うと、ネタバレにならない範囲で言うと、タガヌラーとズグガンの幼体を攻略していくシーンが楽しかったですね。視点は主観じゃないけど、FPSゲーム的と言うか、並み居る敵を攻略していくシーン。これが、長回しも使いながら、けっこう縦横無尽に動いてのアクションになっていて、見ごたえがあるんですよ。しかも相手も飛び道具使ってくるもんだから、空間的な広がりもあって、ちゃんと倒されたら体液も出てきて。今までのウルトラシリーズでは、ちょっと見ない展開で良かった。しかもその傍らで巨大怪獣二体とアースガロンが殴り合っているわけで、その同時並行な戦闘が時々重なり合ったりするところも、ダイナミックで楽しかったですね。

 

 尺は1時間16分で、一つ前の「デッカー」劇場版と同じくらい。劇場版というくらいだからもう少し長くお願いしたいところですが……予算もあるだろうし。逆に、この短尺の中で作られた画のなかに、安っぽいものはなかったですね。ただ、それを言うと、別にテレビシリーズの時から、そんなことは感じていなかったので、現在のウルトラ特撮のレベルの高さが劇場版だからって爆上げされている感はないと思います。今作で言うと途中、恐らくは製作陣が一番手を掛けたであろう国会議事堂の倒壊シーンは、力入ってましたね。一回で壊さず、戦闘の中で次第に崩れて行って、最後にバーンってのがニクイじゃないですか。

 

 その国会議事堂が舞台となるまでのストーリー的展開も非常に自然だったと思います。ここからネタバレ注意ですが、父親=大人に不信感、不満を持っている少年が怪獣に融合し、「意識」の母体となっているがため、「汚い大人」の象徴である、国会議事堂を破壊にしやって来るというのは、相当に皮肉のきいたメタと言うしかない。そして、これとまったく同じことをしたのが1954年の『ゴジラ』だったのも興味深いところです。もちろん、『ゴジラ』においては、汚い大人の象徴として国会議事堂が登場したわけではありませんでしたが、それでも議事堂が倒壊したシーンで、当時、観客席から拍手があがったそうです。今回はハッキリと言ってくれますからね。「私利私欲にかられて、自分が生きる今のことしか考えなくて、ツケは全部今の子どもたちに押し付ける」大人たち、つまり未来世代への責任なんて、これっぽっちも考えていない輩がふんぞりかえって私腹を肥やしている場所と言えば――今の日本では悲しいかな、国会議事堂こそ諸悪の権化と言われても仕方がないであろうことが、連日のニュースからも首肯せざるを得ないと思うのですよ。

 

 特に金の問題で紛糾している今この時、たぶんこの作品の製作段階ではそこまで事件が顕在化されていなかったと思うのだけれど、結果として、今の日本の恥部を反映する、極めて当時代的な作品となるに至りましたね。怪獣ゴンギルガンとブレーザーとの戦いの中でぼろぼろに壊れていく議事堂――それを見てスカッとしたり、心の中で拍手を送ったりする人の数は、もしかすると1954年の比じゃないかもしれませんよ。ブレーザーやSKaRD――防衛側の面々も、実際は議事堂への攻撃を阻止できなかったわけで、あの国会議事堂の破壊に、本作の中でもとりわけ強い「拘り」があったのは確かだと思います。

 

 ただね、ここからまずは本作に準拠した不満となるんですけど、この「未来世代への責任」については、国会議事堂が倒壊した件をもって決着してしまっているんですね。つまり、痛烈な不満は伝わってくるんだけど、それに対するアンサーがないんです。

 それどころか、途中でエミによる解釈で、「父親への不満を、社会全体への不満に置き換えているだけ」と説明されるんですが、それをしてしまうと、この問題意識が矮小化されてしまうんじゃないかと。つまり、八つ当たりで国会を攻撃したということになるんじゃないでしょうか。それは――ちょっといただけない。

 この件同様、この劇場版には「闇」を感じらせるところへの指摘はあるんだけれど、それに対して改善への働きかけがないままにうやむやになってしまっている感が否めません。たとえば、少年の父親の会社――ネクロマス社でしたっけ? すごいヤバそうな名前だけど、このネクロマスが研究を続けていた「ダムドキシン」は研究当初に致命的な、問題があるも、それを逆に有用視した防衛軍上層部によって軍事転用(しかも一部は試験を経ずに実戦投入)されていたという事実を前に、SKaRDの面々は、「やれやれ」みたいな顔で終わるんです。いやいやいや、終わらせちゃ駄目でしょう。怪獣の件が片付いた後に、ゲント隊長は何か意見したんでしょうか。

 一連の騒ぎの大元となった少年も、父親と再会して涙涙で終わる。いやいやいや、ちょっと待て。あの子、防衛システムをハッキングしたんだよね? ミサイル、ネクロマス社にぶち込んでましたよね? そのせいで最悪のバイオハザード(怪獣出現)となりましたよね? それが宇宙人に唆されてだったら情状酌量の余地はありますが、違うんでしょ? 今回、宇宙人はひとりも出てこないんでしょ? じゃあ駄目だよ。その後に登場した怪獣による被害で、何人死んでるか分かりませんよ。

 

 一応ボイスドラマの後日譚では、隔離等の処罰があったそうですが、あのね……それを最後に一言でも良いから本編の中で言及しないと。そうした後からの情報付け足しって、最近は当たり前のことになっていますが、本編内で伝えるべき情報と、そうでない情報の区別はつけましょうよ。

 

 穿ち過ぎだと言われたらそうかもしれませんが、この展開だと、大人に対して猛烈な不満を持つ子供に対して、大人たちが

「ね、ね、、辛かったよね。だから、今回のことは許してあげる。から、もう不満を持っても暴れるとか止めようね」

 というメッセージと、ささやかな気晴らしとして国会議事堂を破壊させたとしか見えてこない。

 これは、ネクロマス社が、テレビシリーズに登場した「ノヴァイオ」と違い、事件の元凶ではあっても黒幕としては描かれていないが故の中途半端さなのだと思います。難病の妻を救うために研究に没頭して家庭を顧みず、「父親」としての姿を息子に示すことができなかった社長――彼は間違いなく、同じ父親であるゲント隊長と価値感情で衝突するか、あるいは諭されるキャラクターであるはずが、今回の展開ではそれがない。彼は科学者としての責任については重々承知している常識人ですが、「父親」というところでゲント隊長と議論するシーンは極端に短く、しかもなあなあに済まされてしまう。そしてゲント隊長はゲント隊長で、その家庭での父親ぶりが、少なくとも映画本編の中では大して描かれていないので、そもそもこの二人の父親像というものが有機的に物語の中で絡み合うことがないんです。

 だから、助かった子どもと涙涙で抱き合っても、感動できない。

 これね、父親の方はゲントがもっと強い言葉で諭し、そして子供の方は、たとえばエミが助けた直後に諭すとか、そういった双方向性の和解へのアプローチが絶対に必要だったと思うんですよ。たとえば、少年は父親への不満を、世間一般の大人への不満に転嫁させて暴れたわけでしょう。で、少年のそうした気持ちに一定の理解があるエミが、たとえばこんな内容のことを言うんです。

 

 確かに大人の中には自分のことしか考えない人もいる。しかし、お父さんはどうなのか、と。お父さんが君に寂しい思いをさせたのは、研究を完成させて、お母さんの命を救うためだったのだと。そしてお母さんが亡くなって以降も、君への時間を作ってあげられなかったのは(一部は心の弱さかもしれないが)、お母さんと同じような悲劇に見舞われる人を一人でも減らすためだった、それは、お父さんの「私利私欲」「我儘」なのか、と。

 

 こうした働きかけがあれば、問題の根本にあったのは親子のコミュニケーション不全であったことがより明確になるでしょう。そして、この「コミュニケーション」こそ、ウルトラマンブレーザーというこの作品全体に通貫していた非常に重要な要素だと思うのです。で、その上で和解――ということになれば、どうですか? しかもこれだったら、特殊撮影も特殊効果も必要なく、助けた後に息を吹き返した少年に、エミが語り掛けるだけで済むんですよ?

 

 この部分が、僕が一番痛烈に感じた不満でした。展開や作戦、個々のアクションは見ごたえがあるのに、最後の締め括りを蔑ろにした感じ。そのために、メタ的にも面白くなりそうだった問題が、それを提起しただけに終わってしまっているのは、非常に勿体なかったですね。

 

 そしてもう一つ、「ウルトラマン劇場版作品」として見た時に、今回のブレーザーがどのように映ったかについて書いていきます。

 

 

③ウルトラシリーズ劇場版という視点で見た場合の「大怪獣首都激突」

 平成以降、特にニュージェネ以降の劇場版は個人的には玉石混淆と言いましたが、玉石を分ける決め手は、「劇場版で語るに足るストーリー展開か否か」に着きます。

 ニュージェネに限定した中でも全部見たわけではありませんが、とりあえず今までに見たニュージェネ劇場版を、展開的に整理してみました。

 

「ギンガS ウルトラ10勇士」:主人公の帰還。新生チーム結成。

「X きたぞ! われらのウルトラマン」:ウルトラマンとの別れ(しかし、すぐに再会)

「オーブ 絆の力、おかりします!」:主人公の帰還(しかし、すぐに旅立ち)

「R/B セレクト! 絆のクリスタル」:主人公の進路。

「タイガ ニュージェネクライマックス」:ウルトラマンとの別れ。

「トリガー エピソードZ」:主人公の帰還。チームへの帰属。

「デッカー 旅立ちの彼方へ」:主人公の進路。

 

 こうして見ると、一応はどれも劇場版の中で、主人公やウルトラマンの「関係性」が変化しています。ただ怪しいのが「X」ですね。ラストの数分間前までは、シリーズの最終回として主人公とウルトラマンの別れを描きましたが、それをその後すぐに再会させている。つまり、このストーリーの最初と最後で、関係性は何も変わっちゃいない。

「オーブ」も同様ですね。ただ、オーブは本編の中で、ガイさんがSSP三人を自分にとって大切な「仲間」だと認める展開があるから、人間関係が微妙に変化しているとは言えるかも知れません。

 それ以外は基本的に、主人公の状況や周囲との関係は、大なり小なり変化してる。ただ、だからと言ってそれが高評価の決め手とはなりません。たとえば「デッカー 旅立ちの彼方に」は僕の中で、去年確かに見たはずなのに敵怪獣の名前すら思い出せないほどう印象が薄いのですが、それは何故かと言うと、たぶん主人公のカナタの「進路」に大して興味がなかったからだと思います。「X」や「タイガ」のように、ウルトラマンとの別れを最後に持ってくる、つまりテレビシリーズの最終回を劇場版に持ってくるのも、あんまり好きじゃない。というか、かなり厳しいことを言うと、ウルトラマンの劇場版って、もちろん個々に面白い要素はあるし、好きな奴もあるんですが、どうしてもボーナストラック感が否めないというか、オマケ的なものになってしまっているというか……まあ、そんなこと言ったら、劇場版の価値ってそもそも何? って話にまでなっちゃいそうなんだけど。

 

 じゃあ今回の「ウルトラマンブレーザー」劇場版が、上記の中のどれに当てはまるかと言うと――

 どれにも当てはまりません。

 スタートと終わりで、何も変わらないんです。

 せいぜい、ゲント隊長に家族が増えるというサプライズがあるくらい。

 インタビューを見ると、これは作り手がむしろ意図的にやっていることのようです。つまり本作は、テレビシリーズの26話目なんです。テレビシリーズの方向性をそのまま踏襲した、つまりテレビシリーズ的な展開を踏襲したのみの作品で、劇場版ならではの関係性の変化とかは、まったくないんです。

 

 うん。それならそれで良いんだけど。

 じゃあ、映画館で見る意味とは?

 番外編として、良くも悪くも劇的な展開の変化が起きる。

 それが劇場版の見せ場の一つではないでしょうか。

 

 本当に、この映画物語の最初と最後で何も変わらないんですよ。お馴染みのSkaRDの面々が出てきて、彼らの中での人間関係の変化も特になく、本当にいつもの、それ自体は凄く好きなSKaRDのやり取りが見られる。そしてそれが、最後まで続く。

 何も変わり映えがしない。

 これはたぶん、SKaRDという組織が極端なまでに理想的な人間関係として、最初から揺らいでいないからだと思います。

 テレビシリーズでも、実はSKaRD内の葛藤って殆ど描かれていないんですよね。SKaRDと上層部とか、外部との対立は描かれていましたし、20話以降SKaRDがしんどい状況になっていくのも、やはり防衛隊GGFの中での関係の上での葛藤でした。しかしSKaRD内の不和であったりとか、衝突を通しての成長とかはほとんどない。五人(アースガロンも含めれば六人)の絆は、最初から最後まで、自動的に強くなることはあっても致命的に弱まったり、それをバネにしてより強まると言ったことにはならない。

 主人公が隊長と言うこともあり、所属する全員が全員、プロ意識を持った「理想的な人物」として描かれているきらいは、確かにあると思います。別にTACのように組織内の不和で主人公が悩む展開を入れろとは言いませんし、個人的には組織内でのああだこうだってウザいから、SKaRDの少数精鋭的な感じは好ましく観ていました。が、さすがに葛藤がなく、初めから少なくともSKaRD内部での人間関係が完成されている。特に最終回近くのとんでもない激戦を潜り抜けた後では、彼ら彼女らが成長する余地は殆どないわけです。

 

 ただその中で、一つだけ彼らにとって大きな転回点となる要素が残っていました。僕は個人的には、これを最後に取っておいた、それこそが劇場版たる意義になると思っていたんです。

 

 正体バレですね。

 本編では、ゲント隊長は誰にも正体を明かしていません。薄々感づいている人はいるみたいですけど。

 でも劇場版を見ても、最後まで正体を明かすことはなかったんですよ。

 正体バレって、防衛チームの隊長がウルトラマンであるっていう、これまでにない設定の上で、どう料理するかって凄く気になるところじゃないですか。

 でもしないんですよ。

 これ、もし途中でSKaRDの面々に正体を明かす展開になっていたら、そこで彼らがどんな反応をするかって、めっちゃ興味があります。

 驚くのか、やっぱりって顔をするのか。

 さらには、ちょっと下世話な笑いになりますけど、ゲント隊長に家族が増えますー! ってラストでも、良い味で訊いてくると思いますけどね。

 え? 生まれてくるのは人間? ウルトラマン? って。

 でも、そうしたこともない。つまりストーリー展開的には、この話があろうとなかろうと、何も進展しないんですよ。

 

 

 それじゃあ劇場版らしく、大スクリーンで見るに足るダイナミックな映像があるかどうかってのがカギになりますね。

 前述の通り、国会議事堂の倒壊は良かったです。

 タガヌラーとズクガンの幼体も良かったですね。

 しかし肝心のゴンギルガンが……ゴンギルガンとのバトルが、テレビシリーズラストのヴァロランとの戦いを超えるものではないんですよ。

 首都激突! と言ったって、首都を象徴するものは国会議事堂くらいしかないわけで。確かに動きはダイナミックだし、広い画もあったけれど、テレビシリーズから大きく飛躍しておおっ!!! ってなるものはなかったです。

 これ、コスモスとかだと、テレビシリーズの物足りなさを解消する劇場版って感じになってたんですけどね。コスモスは、今でもウルトラシリーズ最多話数を誇りますが、予算不足で市街地戦がほとんどできなかった。で、劇場版では市街地での戦闘をしっかり見せていて、テレビシリーズで欲しかった要素の補完にも一応はなっていた。本作は、そういった形で、テレビだとできない。映画じゃないとできない、という要素は基本的にはありません。

 

 ただ、これは逆に現行ウルトラマンのテレビシリーズのレベルの高さの証ともなるものですから、一概にマイナスポイントとも言えません。特にウルトラマンブレーザーは、特撮部分の画作りやアクションが、一つ前のデッカーと比べても格段に品質向上していることが分かります。だから、テレビと映画で大差が出ないというのは、映画が手を抜いたわけじゃなくて、テレビシリーズ側が映画と同じ土俵で勝負できるところまで来たと、そういう風に解釈しています。特にブレーザーは多くが新規怪獣で、その特徴や戦い方も、テレビで実際に見るまで分からない。そういった意味で、凄くバラエティとオリジナリティに富んだ、非常にワクワクするシリーズでした。テレビシリーズならではの面白さ、映画に引けを取らない画の完成度、この二つを内包した、現行ウルトラシリーズの中での屈指の情熱ある作品として、ウルトラマンブレーザーってやっぱりすごいなあと、逆説的に思い知らされた次第です。

 

 

 

④まとめ

 ――とまあ、こんな感じですかね。

 まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが、もうすぐ1万字になりそうなのでここらで手を止めます。

 あれこれと書いてきましたが、総評的には、ブレーザーの世界観が好きな人は楽しめます。ああだこうだと文句は言いましたが、大好きなSKaRDに会えただけでも、ブレーザーを大スクリーンで観られただけでも、僕は大満足でした。SKaRDそれぞれに活躍の場があって、画的な「描写」は不足なく用意されていると思います。

 ただ、話的には新しいことはありません。いわゆる「日常回」の大規模版を、劇場で観ているという、そんな感じです。

 これは「ブレーザー」に限った話じゃないのかも知れません。他の、たとえば仮面ライダーシリーズの劇場版の中には、テレビシリーズで積み重ねられてきた「関係」を不可逆的なまでに変えてしまうものもあります。そして時々、それが激しく糾弾されることもあります。

 ウルトラシリーズは基本的に、そういった極端な飛躍はありません。何かしら関係が大きく変わるとしても、大体の部分は予測可能です。だから、自分が好きなSKaRDやブレーザーの世界が壊される心配はない。そういう意味では安心して観ることができます。

 ただ何度も言うように、予測不能な新しい展開にはなりません。

 劇場版ならでは――というところに、そういう予測不可能性を求めている人には、ちょっと物足りなさを感じるかも知れませんね。

 ということで、長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

 あくまでも個人的な感想なので、「お前は何も分かっていない!」と憤る方もいらっしゃるかも知れませんが、寛大な心でご容赦いただければ幸いです。

 

 あと、これだけは言っておきたいのですが……

 今回の妖骸怪獣ゴンギルガンさんなんですけど、

 どうかアドバンスあるいはDX規格でソフビ化して欲しい!!!!

 アーツのブレーザーと組ませるのに、現行のじゃ小さすぎるんです。ぜひぜひ、よろしくお願いします。