医食動原(1) | 怪人・炎帝神農 時空変遷

怪人・炎帝神農 時空変遷

野人エッセンすの理論で覚醒。これからその理論の実践をできるところから進めていく。今の一般常識との差や壁も、自分なりに表現する。数年内に草の根地域起こしを始める。現代の炎帝神農に成るべく日々精進。

医食動原

正確には「健食動原」であり、人々の健康と食事を本来の原点に戻す(動かす)という意味を持たせている。

 

自分の住んでいる地域は、冬季は降雪と強風が猛威をふるう。当然のことながら周囲は雪原で、松などを除いたほとんどの木は葉を落とし、幹と枝だけになって冬をやり過ごす。とても野外で野菜が収穫できるような環境ではない。

ところが、ここから車で10分くらいのところに有名な縄文時代の遺跡があるのだ。縄文人がこのエリアを拠点として暮らしていたことに興味を持ち、この遺跡に関する食形態を公的機関のサイトで調べてみると、「近くの海や川で採れた魚介類の他にも、周辺の広葉樹からクリやクルミなどの木の実を採取したり、狩猟によって森の中にいる鹿や猪などの動物の肉を食べていました」と書いてある!なんと、この地域に鹿や猪が生息していたのだ!!(現在は、生息確認がされていないことになっている)。

縄文時代の遺跡=貝塚の固定イメージが染みついていた自分にとって今回の事実は驚愕である一方、ムー師匠の野人理論の正しさをあらためて認識することとなった。つまり、各地に散らばっている縄文人たちは、木の実と狩猟を通じた猪・鹿などの肉を中心とした共通の食文化を持っていたのだ。

 

(ムー師匠のブログ記事:シリーズ形式で具体的に説明がある)

 

 

すぐ目と鼻の先に、古代の人々が豊かな食料を基盤として数千年以上にわたり世代を繋いできた場所が存在している。ひょっとしたら、ここの地域の人々は、昔の古代人の食形態を本能的に受け継いでいる可能性もあろう(→このことを次の記事で書く)。

数千年の世代を支え続けたその食形態を取り戻していけば、高齢化著しいこの地域の人々が、いわゆる平均寿命をはるかに超えて縄文人のように元気に動き続け、医療や介護の世話にならなくても済むような真の意味での自立した個人として生きることができる可能性が拓ける。そのような心身ともに自立した高齢者が地域に溢れ出てくるようになれば、地域活性化はもちろんのこと、現在、制度的・財政的にも崩壊寸前の医療福祉制度の立て直しにも大いに貢献するはずだ。

 

食事に古代からの知恵と伝統を取り入れることで、その人自身を本来の健康体、つまり原点に戻していく。単なる平均寿命ではなく活動寿命を伸ばすことを主眼とする。冒頭に書いた「健食動原」をきちんと説明すると、このようなことになる。

(続く)