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  ​私の場合



前回の私は健気だったけど

実はそうでもない話をします。




私は5才から明確に自分の人生と

自分の存在意義、使命感について

考えている子どもでした。

これは今までのブログとか

お空のセカイの本でも

書いています。




この体と

これから歩む人生は

全部自分のものだと

潜在的に思っていました。





母ミヨのフォローをするときは

全身全霊ではなく、

私の一部を貸す感覚でした。

貸し出した中で全身全霊。

(あげるんじゃなくて貸すの笑)






私という芯の部分や

根っこの部分は

譲る気がなかった




私には私の人生があり

ミヨにはミヨの人生がある




つらいことや精神的な病気は

ミヨの人生に起こったことであって

私の人生の出来事ではない。




でも、私にとって「母親」という

とても近い存在が危機に瀕すれば

娘の私は大きな影響を受ける。

まだ年齢的にも社会的にも

親に守られなければ

ならない立場なために、

先に親を守らねばならぬという

生存本能。





何より大好きな母が

目の前で苦しんでいるから

手を差し伸べたい。





けれどその差し伸べた手を

連結させることはあっても

混ぜてどっちがどっちのものか

分からなくなるようなことはしない。





こうはなりたくない。





当時は自分のことを

「打算的」「合理主義」「自己中」

かもしれないなぁと

考えていました。

非情な娘なのではないかと。





でもそこに罪悪感はゼロなの…昇天





そして

勉強してみると

これが多分よかったのです。





親子とて別人格です。

そこを忘れてはならないのです。





それからもう一つよかったのが

私は常に自分との対話が

好きな子どもでした。





どれが今の自分にとって本心なのか、

「本当にいいの?」と自問自答を

繰り返す。




真正面から現実を見てる自分の他に

上下左右から6カメくらいで

自分と周りを見てる感覚を

忘れないこと。





真正面だけから見えている

景色だけで物事を判断しない。




自分から見えてるものと

客観視したものの

両方を分析材料にする。

漫画家としても非常に

役に立っています。





もちろん全部が全部

上手に切り分けができていた

わけではありません。

アダルトチルドレンの勉強をした際に

引っかかったり胸がグワっと

する感覚があったということは

傷ついている私がいたということです。





でも生きづらいかといったら

生きづらさは全くありません。

自己肯定感はずっと高い。

計算高くて用意周到。

そこが私の強み。

人生は私のもの。



  ​父の存在の大きさ


自分の潜在的な性格の他に

良い影響をくれていたのが

父の存在です。




父はあまりメンタルが

ブレることもなく

いつもどんな私でも良いと

肯定してくれる存在でした。






父も子供の頃に苦労しているので

ACの可能性は十分にあります。

(ここで突然ぶっこむ)

だからこそ人の痛みがわかり

受け入れようとギリギリまで

寄り添う努力をする人です。




心配してたり

本当は何か言いたい気持ちが

あるのは顔と雰囲気から

ダダ漏れているが(笑)




父は母の全てを尊重し

寄り添い続けています。

そんな父に母はいつも

「お父さんと結婚できてよかった。

あんないい人はいない」と

感謝しています☺️





父の優しさにあぐらをかかず、

本人がいないところでも自然と

感謝を口にできるのは

母の素晴らしいところです。





博照さんもコイチさんも

「ええ人や」と何度も口に

していた記憶があります。






父の見守り方と

両親の夫婦関係は

自分の結婚生活や子育ての

良いお手本になっています。




私は2人の子どもで

よかったですにっこり

幸せです。




次でまとめ記事は

最後になります。





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ピンピンころばぬ在宅介護1話目