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  ​ACは連鎖する



じゃあ親である博照さんと

コイチさんが悪いじゃないかと

怒り出す人もいるかもしれません。




でもピンコロ1〜6話で描いた通り

2人の幼少期は戦争中で

病気や事故で兄弟姉妹との

死別も経験しています。

そういう家庭が多くありました。




さらにその親たちは

とにかく命を生かすことだけで

精一杯だったはずです。





「国のために命を捧げろ」

「一億玉砕」という空気感の中で

育った人たちです。




以前インスタのコメ欄に

自分のサブアカから

下記のようなコメントを

書きました。






国葬までされた山本五十六さえ

こういうことがあったのです。

(細かい情報は違うかも知れない)

だから私はこう表現しました。






博照さんもコイチさんも

なんらかの生きづらさがあったの

だろうと思います。

でもそういうものだと思って

生きてきた世代でしょう。



  ​私もアダルトチルドレン?



私もアダルトチルドレンの気が

ちょっとだけあると思ってます。

そうかもしれないと気づいた時は

心がグワっと掴まれる感覚がありました。



…が、長年の分析と自分との対話で

気づいたら克服してた


または


もしや私は

ただこういう性格な

だけかもしれない昇天

という結論に至っています(笑)



詳しく掘り下げます。



  ​ヤングケアラー?



昨今、ヤングケアラーという

言葉を良く目にするように

なりました。




生活面では母ミヨに

しっかりやってもらっていました。




でも母ミヨの感情面の

フォロー、サポートを

娘の私がやってしまうことが

多くありました。





母ミヨいわく私が3才頃から

「この子すごいしっかりしてるわ」と

心理面で頼るようになったそうです。




さすがに3才は

覚えてない(笑)




ですが私は物心ついたころから

母ミヨは弱い人だから

自分がしっかりしなければと

思っていました。






私にはよく母ミヨが

小さな女の子や

少女に見える瞬間が

ありました。

今でもあります。





ミヨはコイチさんや

夫である私の父に

日頃の愚痴や不満などを

こぼしていたと思います。





でも1番一生懸命に聞いていたのは

純粋だった子どもの私です。

小学校5、6年生になれば

相当しっかりしてきて

一丁前に聴くことができます。

必死で大人の世界を理解しようと

心の中で背伸びをして

フォローし続けました。





ほんとにあやちゃんは

頼れるわ〜〜って

ますます大人の

事情を聞かされ

私は背伸びして

そのループリサイクル





一日の今日頑張ったこと、

大変だったことの

報告もされるので

「お母さんすごいね!

がんばってるね!」と

一生懸命褒めていました。




それは母ミヨが

自律神経失調症になったあと

さらに加速しました。





私は母の話はしっかり聞くけど

自分の悩みがあってもあまり

言わない子どもになりました。

弱いと思ってる母に自分のことまで

負担をかけるわけにはいかないと

思っていたのです。




「母の力になりたい。

ならなければ。」




親が大好きな子どもは

頼られたら嬉しいし

頑張ってしまいます。





余談だけどこれは漫画家として

最近思うことなのですが、



ヤングケアラーの

「家族の代わりに幼いきょうだいの

世話をしている」とか

「家計を支えるために働いて

家族を助けている」とか

“読者に好かれる主人公”として

結構ありがち設定だなとキョロキョロ




こういうのが「良い子」と

思わせるような描き方はもう

ダメな時代なんだろな〜と

作家として思ってます🤔



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ピンピンころばぬ在宅介護1話目