中国について調べたことを書いています -2ページ目

中国について調べたことを書いています

1.中国広東省の深セン経済特区の成立過程
2.香港・六七暴動
3.農業生産責任制と一人っ子政策
4.浦東新区から雄安新区へ
5.尖閣問題の解決策を探る
6,台湾は国家か

1.国益定義の変更内容の検討


 まず、両者を比較して、どんな変更があったのかを見てみよう。

 

形式から言うと、2013年版は4つの文からなっているが、「~こと」が5つある。つまり、大きく分ければ5つの部分に分かれることになる。これが2022年版は、3つの箇条書きの形式に変更になった。ただ各々は更に2~3つの文からなっており、全部で7つの部分に分かれる

それをごく単純化して整理すると以下のようになる。

                  

2013年版

2022年版

1.主権・領域・国民

2.文化・伝統

 

3.経済・繁栄

4.(特にアジア太平洋地域の)自由貿易体制

5.基本的価値やルールに基づく国際秩序

1.主権・領域・国民

2.伝統・文化

3.尊敬・好意

4.経済・繁栄

5.経済的な国際秩序

6.基本的価値や国際法に基づく国際秩序

7.(特にインド太平洋の)国際秩序

 

2つ増えたのは何かというと、ひとつは「世界で尊敬され、好意的に受け入れられる」こと(上記の表では「尊敬・好意」)であり、もうひとつは「特にインド太平洋地域の国際秩序」である。ただ、2つめの「特にインド太平洋地域の国際秩序」というのは、2013年版では「アジア太平洋地域」という地域のくくりで自由貿易体制に関する部分に示されていたものが、地理的範囲と対象分野を拡大したもののようにも見える。

また、2013年版にあった特報的な言葉がいくつか削除されており、2022年版には新たに別の特徴的な言葉が加わっている。

削除された言葉

追加された言葉

海洋国家

自由な交易と競争

自由貿易体制

透明性が高く見通しがつきやすい

尊敬・好意的

主体的に

開かれ(自由で開かれた)

共存共栄

 これ以外に言葉が2か所変更になっており、「経済発展」が「経済成長」に、「ルール」が「国際法」に変わっている。

さらに、各文の文末表現が変化していることにも注目しておきたい。

 

 ここでは以下の6点について簡単に考察しておく。

①文末表現の変更

②経済的な繁栄を主体的に達成

③「自由貿易体制」「競争」「透明性・見通し」から「共存共栄」へ

④「海洋国家」の削除

⑤経済でのアジア太平洋から安全保障のインド太平洋へ

⑥「尊敬・好意」の追加

 

①文末表現の変更

2013年版は「~確保すること」「~全うすること」「強固なものとすること」のようにすべて「~こと」で終わっているが、2022年版は「~確保する」「~全うする」「~強固なものとする」のように「~こと」がなくなっている。これは、ごく単純な変更ではある。意味は何も変わらない。おそらくは2013年版にあった「こと」を省略することで、自ら行動するということ、静的なものでなく動的なものであることを強調したかったと思われる。

意図はよくわかるが、文法的にはかなりおかしい。本稿の意図とは関係ないが、以下、少しだけ説明しておく。

いうまでもなく「~こと」は動詞を名詞化する働きがある。「確保する」は動詞であるが「確保すること」は名詞句である。

2022年版は最初に「我が国が守り、発展させるべき国益を以下に示す」といっている。その後に「我が国の主権と独立を維持し・・・・安全を確保する」という。これを一文にすれば、「我が国が守り発展させるべき国益は、我が国の主権と独立を維持し・・・・安全を確保する。」となる。

その点、2013年版は「我が国の国益は・・・安全を確保することであり・・・」と、文法的には正しい文となっている。

 

②経済的な繁栄を主体的に達成

これは「主体的に」という言葉を追加している。日本国語大辞典によれば「主体的」の意味は「他に強制されたり、盲従したり、また、衝動的に行なったりしないで、自分の意志、判断に基づいて行動するさま」である。これは①で述べた文末表現の変更と通じるところがある。つまり、他国の真似をしたり後追いをしたりするような経済的な繁栄は真の国益ではないということを言い表したいのだろう。

欧米に追い付け追い越せの時代はとうに過ぎ去り、また高度経済成長の時代も過去のものとなり、科学技術立国という言葉も日本の専売特許ではなくなってきている今、日本の本当の国益になるものは、自らの意志で決めたものでなければならないという意志表示なのだろうか。

 

③「自由貿易体制」「競争」「透明性・見通し」から「共存共栄」へ

①と②に比べ、これはどちらかというと穏やかな方向への変更に思われる。特に「競争」という言葉が亡くなり、「共存共栄」が加わったことで、自由な市場の中で利益を勝ち取るというような姿勢から、お互いの利益を尊重し、できるところでは協力しましょうといったふうであろうか。これを「国際益」の重視の表れと見ることも可能だろう。

 

④「海洋国家」の削除

2013年版で島国である日本を「海洋国家」であると規定したのは、大陸国家との差別化を図るという意味では分かりやすい葉だったと思う。が、これが削除された。これにより何かが大きく変わるわけではないが、日本という国家の特殊性が薄まったような印象は受ける。

 

⑤経済でのアジア太平洋から安全保障のインド太平洋へ

ここでは2点について考えておく。

1つめは「アジア太平洋」が「インド太平洋」に変更になった点である。「アジア太平洋」も「インド太平洋」も地域を表す言葉だが、明確な定義があるわけではない。「アジア太平洋」の「アジア」にはインド洋沿岸諸国も含まれると考えれば、この2つの言葉に違いはない。「インド太平洋」は「インド洋」「太平洋」沿岸諸国といった意味合いだからである。山本雄太郎によるとこの「自由で開かれたインド太平洋」という戦略がとられるようになったのは2016年からだという。(山本雄太郎「自由で開かれたインド太平洋 誕生秘話」NHK政治マガジン2021630日、https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/62725.html

この記事では「太平洋から南シナ海、マラッカ海峡を経て、インド洋、果てはアフリカの東側まで。この地域で世界人口の6割、経済規模でも世界の半分以上を占めています。この地域が持つ成長力やポテンシャルを考えた時に、ここにプライオリティーを置いて日本外交の資源を注ぎ込むことは、日本のためになり、地域のためになると思ったわけです」という外務省の市川恵一の言葉が紹介されている。

国益定義において「アジア太平洋」から「インド太平洋」に言葉が変えられたのは、外務省のこうした戦略の反映であり、大きな意味の変更ではないとは思う。また、「アジア太平洋」が経済の部分についていたのに対し「インド太平洋」が安全保障をも含むようにも見える位置に変えられたのは、この地域の重要性は経済的なものに限定されないという意味なのだろう。

言葉の言い変えだけだとすれば、国益定義の実質的な内容変更ではない。が、あるいはこれは中国の存在感を意識して、中国色を少しでも薄めインドという名を強調したいという意図があるのかというような邪推をしてしまう変更である。

2つめは2013年版では「アジア太平洋」が「経済発展を実現する自由貿易体制」を実現する場所として特に指定されていたのに対し、2022年版は「インド太平洋」が「自由で開かれた国際秩序」を実現する場所として指定されている点である。2022年版でいう「国際秩序」は経済のほかに安全保障も含むことは明確であり、地域の拡大とともに対象分野も拡大されているということになる。こちらも中国や北朝鮮を意識した変更であるように思われる。

 

⑥「尊敬と好意」の追加

最初に「尊敬」「好意」とは何かを考えてみよう。

まず「尊敬」であるが心理学者の蔵永・樋口は尊敬を「自分が価値をおいている領域で,自分よりも優れていると主観的に認知できる他者をとうとびうやまう感情」と定義している。(蔵永瞳・樋口匡貴(2014)「尊敬の心理学的特徴に関する分析」『感情心理学研究』2014年第21巻第 3 p.133-p.142

この定義では「尊敬」の定義の中に「とうとびうやまう(尊び敬う)」という言葉が使われており、言い変えにすぎないという感じもある。辞書などを見てみると、「尊ぶ」「敬う」という言葉には自分より偉い人、地位が上の人という含意があることがわかり、さらに高い価値や称賛するべき価値、徳のような崇高なものが含まれることもわかる。これらを簡単にまとめてみると、日本が他国から「尊敬」されるためには、a.価値観の共有、b.能力がある、c.上に見られる、d.徳があるという4つが求められるように思われる。

 

次に「好意」とは何かを考えてみよう。

これは「好き」という感情と同義と思われる。これは非常に一般的な言葉であり「尊敬」以上に定義が難しい概念のように思われる。辞書を見ても「理屈抜きに心が引きつけられる」「損得などを考えない」「気持ちにぴったり合う」などといったくらいの説明しか得られない。ただ、今回の定義で「尊敬」に加えて「好意」も求められていることから考えてみると、「尊敬」にはないが「好意」にはある要素を考えてみることが有効かと思う。

まず「好意」には「尊敬」にあるような上下の意識はないと思われる。自分より地位が低かったり能力が劣っていたりするものでも「好意」感情の対象となる。また必ずしも「徳」も必要ないように思われる。自分の価値観に合わなくても、心惹かれる場合もありそうである。

 

日本という国が本当に他国に尊敬されているのか、好意的に受け入れられているのかについては慎重な検討が必要かと思われるにしても、国益にこうした「尊敬」「好意」という概念が加えられたことの意味を、よく考えてみる必要があろう。

また、この「尊敬され、好意的に受け入れられる」という言い方の背景には、「魅力を持つ」という感覚があるように思われる。また、これを付け加えた人が「ソフト・パワー」という言葉を意識していたことは間違いないだろう。

 

以上、国益定義の変更内容について考察を加えてみた。

全体としては以下の点が大切と思われる。

ひとつは「主体的」という言葉である。これは現在の国際環境の複雑化にあって、受け身ではなく自ら道を切り開いていかなくてはならないという強い意志であるだろう。そしてこれが特に経済的繁栄について付け加えられたことには、現在の経済の低迷を何とか打開しなければならないという悲壮感のようなものも感じる。

2つめは、「共存共栄」や「インド太平洋」という言葉に象徴されるように、いわゆる「国際益」をより重視するようになったということだろう。範囲や分野を拡大し、さらに一国の国益だけを追求する時代ではないことを強く意識しているように思われる。

3つめはやはり「尊敬・好意」の追加である。これについては、次章以下で「ソフト・パワー」との関連で詳しく検討していくことにする。

 

以下は、2021年に当ブログで書いた「尖閣問題の解決策を探る」で扱った「国益」についての追加の議論である。

「尖閣問題の解決策を探る」は、文字通り尖閣問題をどのように解決したらよいのかを考えるものであった。ビジネスなどの領域で使われている問題解決の手法にしたがって尖閣問題解決の目的、目標を整理し、論理的に導き出される可能な解決策の選択肢の中で最適な選択を行うことを目指した。その際に尖閣問題解決の目標として「国益の最大化」を挙げた。国益を最大化させうるような解決策が最も好ましいという考えであった。その際に2013年に発表された「国家安全保障戦略」に記された国益の定義を使用した。

しかし、この「国家安全保障戦略」は20221216日に改定された。そして国益の定義も改定された。これにより、この「尖閣問題の解決策」も改定しなければならなくなった。が、その前に、そもそも国益の定義はどのように変更されたのか、それはどういう意味があるのかと言ったことを考えておきたい。

 

 まず2013年版と2022年版の国益定義を見ておこう。

2013年版では国益が以下のように定義されていた。

 

「我が国の国益とは、まず、我が国自身の主権・独立を維持し、領域を保全し、我が国国民の生命・身体・財産の安全を確保することであり、豊かな文化と伝統を継承しつつ、自由と民主主義を基調とする我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うすることである。また、経済発展を通じて我が国と我が国国民の更なる繁栄を実現し、我が国の平和と安全をより強固なものとすることである。そのためには、海洋国家として、特にアジア太平洋地域において、自由な交易と競争を通じて経済発展を実現する自由貿易体制を強化し、安定性及び透明性が高く、見通しがつきやすい国際環境を実現していくことが不可欠である。さらに、自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値やルールに基づく国際秩序を維持・擁護することも、同様に我が国にとっての国益である。」

20131217日閣議決定「国家安全保障戦略について」

 

これが2022年版では以下のように変わった。

 

「我が国が守り、発展させるべき国益を以下に示す。

1 我が国の主権と独立を維持し、領域を保全し、国民の生命・身体・財産の安全を確保する。そして、我が国の豊かな文化と伝統を継承しつつ、自由と民主主義を基調とする我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うする。また、我が国と国民は、世界で尊敬され、好意的に受け入れられる国家・国民であり続ける。

2 経済成長を通じて我が国と国民の更なる繁栄を実現する。そのことにより、我が国の平和と安全をより強固なものとする。そして、我が国の経済的な繁栄を主体的に達成しつつ、開かれ安定した国際経済秩序を維持・強化し、我が国と他国が共存共栄できる国際的な環境を実現する。

3 自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値や国際法に基づく国際秩序を維持・擁護する。特に、我が国が位置するインド太平洋地域において、自由で開かれた国際秩序を維持・発展させる。」

20221216日閣議決定「国家安全保障戦略について」

 

 


 

 

 

 

参考文献

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北村朋史(2016)「5 北朝鮮に対しては国際法を守らなくても良い?」森川幸一など編「国際法で世界がわかる ニュースを読み解く32講」岩波書店
香西茂、太寿堂鼎、高林秀雄、山手治之(2001)「国際法概説 第4版」有斐閣双書
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鍾欣宏(2020)「戦後「米台関係」の起源――「台湾地位未定論」を中心に――」日本台湾学会報 第二十二号
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杉田敦編著「デモクラシーとセキュリティ: グローバル化時代の政治を問い直す」法律文化社
戴國燁(1988)「台湾 人間・歴史・心性」岩波新書
田畑茂二郎(1972)「国際法Ⅰ 新版」有斐閣
陳佳宏(2006)「台湾独立運動史」玉山社
戸田博也(2016)「『イスラム国』(IS)と国家の成立要件」(「千葉科学大学紀要」第9号
中谷和弘ら(2016)「国際法 第3版」有斐閣アルマ
廣瀬陽子(2014)「未承認国家と覇権なき世界」NHKブックス
藤澤巌(2016)「イスラーム国は国か? 自称「国家」と国際法上の「国家」」森川幸一編「国際法で世界がわかる――ニュースを読み解く32講」岩波書店
彭明敏・黄昭堂(1976)「台湾の法的地位」東京大学出版会
三宅康之(2021)「<研究ノート>台湾の国交樹立外交の軌跡」関西学院大学国際学部研究会 国際学研究 10(1), 97-108,
三宅康之(2007)「中国の「国交樹立外交」、1949~1957年」愛知県立大学外国語学部紀要(地域研究・国際学編) (39), 169-197
宗像隆幸・趙天徳編訳(2013)「台湾独立建国運動の指導者 黄昭堂」自由社
森川幸一(2015)「国際法上の国家の資格要件と分離独立の合法性」「専修大学法学研究所所報」 No.50
山本草二(1994)「国際法 新版」有斐閣
横田洋三編(1996)「国際法入門」有斐閣アルマ
吉田恵利(2016)「現代国際法における分離権の位置づけ : 救済的分離論の妥当性に関する実証的研究」「北大法政ジャーナル」,23,2-38

小笠原欣幸「台湾アイデンティティと「一つの中国」- 李登輝政権の対中政策の展開 -」
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/ogasawara/paper/paper3.html

Richard W. Hartzell ”Questions of Sovereignty -- the Montevideo Convention and Territorial Cession”
https://www.taiwanadvice.com/harintmcexc.htm

 

「台湾は国家か」

 

はじめに ――台湾とは?中国とは?

 

1章 国家の成立要件

 

2章 成立要件の細分化

 

3章 台湾は国家の成立要件を満たしているか

(1)永続的住民

(2)明確な領土

(3)主権、政府

(4)外交能力

(5)他国の承認

(6)合法性

 

4章 ハーゼル説の批判的検討

(1)ハーゼルの意見の要約とアメリカ軍事占領論/亡命政府論

(2)ハーゼル説の批判的検討

(3)亡命政権論の取り扱われ方

(4)まとめ

 

5章 創設的効果説か、宣言的効果説か

(1)創設的効果説

(2)宣言的効果説

(3)宣言的効果説が主流と言われるようになった理由

(4)なぜモンテビデオ条約第3条は宣言的効果説を採用したのか

(5)折衷説/複合説

(6)どちらの説を採用するのがいいのか。

 

補論1 国家として成立するとどうなるのか

(1)国家として成立するとはどういうことか

(2)国家として成立していないとはどういうことか。

(3)成立と非成立の狭間としての未承認国家について

 

補論2 台湾の国際的な地位について

(1)台湾地位未定論についてのアメリカの立場

(2)地位未定論についての台湾独立派の立場

(3)台湾地位未定論への反論  中華民国政府の立場

(4)台湾地位未定論への反論 中華人民共和国の立場

(5)台湾地位未定論についての日本の立場

(6)まとめと本稿の立場

(7)台湾地位未定論は国家成立の4要件を満たさない根拠となるか。

 

補論3 台湾独立運動と国家成立要件

(1)台湾独立への5段階

(2)帰属意識と国家成立の関係

おわりに

 

 この文章は「台湾は国家か」という問いに答えようというものであり、その答えは「国家である。ただし、未承認国家である」というものであった。

 ただ、この文章を書き始めたのは、「台湾独立をどう考えるべきか」という問いに対する答えを探すためであった。しかし、この問いに答えるためには「独立とは何か」「台湾が独立するとはどういうことか」を考えなければならず、これらの問いに答えるためには「国家とは何か」「台湾は国家か」という問いに答えなければならないことに気づいた。その結果、このような文章ができてきた。

 

 この文章は本論と3つの補論から成り立っている。

 もともとは、この本論と補論を統合したような形で書くことを計画していた。しかし、それは筆者の能力を超えていた。そもそも、国際法は筆者には難しかった。また、国家とは何かという政治学の根本にある問題を突き詰めて考えていくことは、筆者の能力を超えていた。それゆえ、もともとの形で書くことは困難であることに気づいた。その結果、身の丈に合ったものを、無理しない形で書こうと決めた。その結果、本論以外に補論が3つあるという、変則的な形になってしまった。

 

 こうした経緯でこのような形になったので、補論2,補論3で書かれていることが、本来の本稿の目的に近い。

 また、「台湾は国家か」という問いに答えようとしているうちに、「国家であるメリットは何だろうか」という疑問が浮かんできてしまった。この問いに対する答えを探したのが補論1である。

 

 こうした形で一応の完成としたい。

 しかし、最初の問いかけである「台湾独立をどう考えるべきか」という問いの答えはまだ探し出せていない。

これは今後の課題としておきたい。