補論 1.国益定義の変更内容の検討 | 中国について調べたことを書いています

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1.国益定義の変更内容の検討


 まず、両者を比較して、どんな変更があったのかを見てみよう。

 

形式から言うと、2013年版は4つの文からなっているが、「~こと」が5つある。つまり、大きく分ければ5つの部分に分かれることになる。これが2022年版は、3つの箇条書きの形式に変更になった。ただ各々は更に2~3つの文からなっており、全部で7つの部分に分かれる

それをごく単純化して整理すると以下のようになる。

                  

2013年版

2022年版

1.主権・領域・国民

2.文化・伝統

 

3.経済・繁栄

4.(特にアジア太平洋地域の)自由貿易体制

5.基本的価値やルールに基づく国際秩序

1.主権・領域・国民

2.伝統・文化

3.尊敬・好意

4.経済・繁栄

5.経済的な国際秩序

6.基本的価値や国際法に基づく国際秩序

7.(特にインド太平洋の)国際秩序

 

2つ増えたのは何かというと、ひとつは「世界で尊敬され、好意的に受け入れられる」こと(上記の表では「尊敬・好意」)であり、もうひとつは「特にインド太平洋地域の国際秩序」である。ただ、2つめの「特にインド太平洋地域の国際秩序」というのは、2013年版では「アジア太平洋地域」という地域のくくりで自由貿易体制に関する部分に示されていたものが、地理的範囲と対象分野を拡大したもののようにも見える。

また、2013年版にあった特報的な言葉がいくつか削除されており、2022年版には新たに別の特徴的な言葉が加わっている。

削除された言葉

追加された言葉

海洋国家

自由な交易と競争

自由貿易体制

透明性が高く見通しがつきやすい

尊敬・好意的

主体的に

開かれ(自由で開かれた)

共存共栄

 これ以外に言葉が2か所変更になっており、「経済発展」が「経済成長」に、「ルール」が「国際法」に変わっている。

さらに、各文の文末表現が変化していることにも注目しておきたい。

 

 ここでは以下の6点について簡単に考察しておく。

①文末表現の変更

②経済的な繁栄を主体的に達成

③「自由貿易体制」「競争」「透明性・見通し」から「共存共栄」へ

④「海洋国家」の削除

⑤経済でのアジア太平洋から安全保障のインド太平洋へ

⑥「尊敬・好意」の追加

 

①文末表現の変更

2013年版は「~確保すること」「~全うすること」「強固なものとすること」のようにすべて「~こと」で終わっているが、2022年版は「~確保する」「~全うする」「~強固なものとする」のように「~こと」がなくなっている。これは、ごく単純な変更ではある。意味は何も変わらない。おそらくは2013年版にあった「こと」を省略することで、自ら行動するということ、静的なものでなく動的なものであることを強調したかったと思われる。

意図はよくわかるが、文法的にはかなりおかしい。本稿の意図とは関係ないが、以下、少しだけ説明しておく。

いうまでもなく「~こと」は動詞を名詞化する働きがある。「確保する」は動詞であるが「確保すること」は名詞句である。

2022年版は最初に「我が国が守り、発展させるべき国益を以下に示す」といっている。その後に「我が国の主権と独立を維持し・・・・安全を確保する」という。これを一文にすれば、「我が国が守り発展させるべき国益は、我が国の主権と独立を維持し・・・・安全を確保する。」となる。

その点、2013年版は「我が国の国益は・・・安全を確保することであり・・・」と、文法的には正しい文となっている。

 

②経済的な繁栄を主体的に達成

これは「主体的に」という言葉を追加している。日本国語大辞典によれば「主体的」の意味は「他に強制されたり、盲従したり、また、衝動的に行なったりしないで、自分の意志、判断に基づいて行動するさま」である。これは①で述べた文末表現の変更と通じるところがある。つまり、他国の真似をしたり後追いをしたりするような経済的な繁栄は真の国益ではないということを言い表したいのだろう。

欧米に追い付け追い越せの時代はとうに過ぎ去り、また高度経済成長の時代も過去のものとなり、科学技術立国という言葉も日本の専売特許ではなくなってきている今、日本の本当の国益になるものは、自らの意志で決めたものでなければならないという意志表示なのだろうか。

 

③「自由貿易体制」「競争」「透明性・見通し」から「共存共栄」へ

①と②に比べ、これはどちらかというと穏やかな方向への変更に思われる。特に「競争」という言葉が亡くなり、「共存共栄」が加わったことで、自由な市場の中で利益を勝ち取るというような姿勢から、お互いの利益を尊重し、できるところでは協力しましょうといったふうであろうか。これを「国際益」の重視の表れと見ることも可能だろう。

 

④「海洋国家」の削除

2013年版で島国である日本を「海洋国家」であると規定したのは、大陸国家との差別化を図るという意味では分かりやすい葉だったと思う。が、これが削除された。これにより何かが大きく変わるわけではないが、日本という国家の特殊性が薄まったような印象は受ける。

 

⑤経済でのアジア太平洋から安全保障のインド太平洋へ

ここでは2点について考えておく。

1つめは「アジア太平洋」が「インド太平洋」に変更になった点である。「アジア太平洋」も「インド太平洋」も地域を表す言葉だが、明確な定義があるわけではない。「アジア太平洋」の「アジア」にはインド洋沿岸諸国も含まれると考えれば、この2つの言葉に違いはない。「インド太平洋」は「インド洋」「太平洋」沿岸諸国といった意味合いだからである。山本雄太郎によるとこの「自由で開かれたインド太平洋」という戦略がとられるようになったのは2016年からだという。(山本雄太郎「自由で開かれたインド太平洋 誕生秘話」NHK政治マガジン2021630日、https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/62725.html

この記事では「太平洋から南シナ海、マラッカ海峡を経て、インド洋、果てはアフリカの東側まで。この地域で世界人口の6割、経済規模でも世界の半分以上を占めています。この地域が持つ成長力やポテンシャルを考えた時に、ここにプライオリティーを置いて日本外交の資源を注ぎ込むことは、日本のためになり、地域のためになると思ったわけです」という外務省の市川恵一の言葉が紹介されている。

国益定義において「アジア太平洋」から「インド太平洋」に言葉が変えられたのは、外務省のこうした戦略の反映であり、大きな意味の変更ではないとは思う。また、「アジア太平洋」が経済の部分についていたのに対し「インド太平洋」が安全保障をも含むようにも見える位置に変えられたのは、この地域の重要性は経済的なものに限定されないという意味なのだろう。

言葉の言い変えだけだとすれば、国益定義の実質的な内容変更ではない。が、あるいはこれは中国の存在感を意識して、中国色を少しでも薄めインドという名を強調したいという意図があるのかというような邪推をしてしまう変更である。

2つめは2013年版では「アジア太平洋」が「経済発展を実現する自由貿易体制」を実現する場所として特に指定されていたのに対し、2022年版は「インド太平洋」が「自由で開かれた国際秩序」を実現する場所として指定されている点である。2022年版でいう「国際秩序」は経済のほかに安全保障も含むことは明確であり、地域の拡大とともに対象分野も拡大されているということになる。こちらも中国や北朝鮮を意識した変更であるように思われる。

 

⑥「尊敬と好意」の追加

最初に「尊敬」「好意」とは何かを考えてみよう。

まず「尊敬」であるが心理学者の蔵永・樋口は尊敬を「自分が価値をおいている領域で,自分よりも優れていると主観的に認知できる他者をとうとびうやまう感情」と定義している。(蔵永瞳・樋口匡貴(2014)「尊敬の心理学的特徴に関する分析」『感情心理学研究』2014年第21巻第 3 p.133-p.142

この定義では「尊敬」の定義の中に「とうとびうやまう(尊び敬う)」という言葉が使われており、言い変えにすぎないという感じもある。辞書などを見てみると、「尊ぶ」「敬う」という言葉には自分より偉い人、地位が上の人という含意があることがわかり、さらに高い価値や称賛するべき価値、徳のような崇高なものが含まれることもわかる。これらを簡単にまとめてみると、日本が他国から「尊敬」されるためには、a.価値観の共有、b.能力がある、c.上に見られる、d.徳があるという4つが求められるように思われる。

 

次に「好意」とは何かを考えてみよう。

これは「好き」という感情と同義と思われる。これは非常に一般的な言葉であり「尊敬」以上に定義が難しい概念のように思われる。辞書を見ても「理屈抜きに心が引きつけられる」「損得などを考えない」「気持ちにぴったり合う」などといったくらいの説明しか得られない。ただ、今回の定義で「尊敬」に加えて「好意」も求められていることから考えてみると、「尊敬」にはないが「好意」にはある要素を考えてみることが有効かと思う。

まず「好意」には「尊敬」にあるような上下の意識はないと思われる。自分より地位が低かったり能力が劣っていたりするものでも「好意」感情の対象となる。また必ずしも「徳」も必要ないように思われる。自分の価値観に合わなくても、心惹かれる場合もありそうである。

 

日本という国が本当に他国に尊敬されているのか、好意的に受け入れられているのかについては慎重な検討が必要かと思われるにしても、国益にこうした「尊敬」「好意」という概念が加えられたことの意味を、よく考えてみる必要があろう。

また、この「尊敬され、好意的に受け入れられる」という言い方の背景には、「魅力を持つ」という感覚があるように思われる。また、これを付け加えた人が「ソフト・パワー」という言葉を意識していたことは間違いないだろう。

 

以上、国益定義の変更内容について考察を加えてみた。

全体としては以下の点が大切と思われる。

ひとつは「主体的」という言葉である。これは現在の国際環境の複雑化にあって、受け身ではなく自ら道を切り開いていかなくてはならないという強い意志であるだろう。そしてこれが特に経済的繁栄について付け加えられたことには、現在の経済の低迷を何とか打開しなければならないという悲壮感のようなものも感じる。

2つめは、「共存共栄」や「インド太平洋」という言葉に象徴されるように、いわゆる「国際益」をより重視するようになったということだろう。範囲や分野を拡大し、さらに一国の国益だけを追求する時代ではないことを強く意識しているように思われる。

3つめはやはり「尊敬・好意」の追加である。これについては、次章以下で「ソフト・パワー」との関連で詳しく検討していくことにする。