愛知県美術館
『展覧会 岡本太郎』(2023年)

1


ゴッホは美しい。
しかしきれいではない。
ピカソは美しい。
しかし、けっして、きれいではない。


愛知県美術館開館30周年記念『展覧会 岡本太郎』拍手乙女のトキメキ乙女のトキメキ

岡本太郎って、昭和の人しか知らんだろうし〜、(失礼)
場所は県美だし〜、(失礼)
日曜日でもすいてるよねーと、甘く見ておりました。

実際は、
ほぼ開館と同時に着いたにもかかわらず、
当日券売り場には長蛇の列。
前売り券持参の人も長蛇の列で、
会場の入口付近は大渋滞 滝汗
しかも、シニア世代からベビー世代まで、
幅広ーい年齢層が来てるのです。

今展は映像資料を除き、作品の写真撮影OKピンクハートピンクハートピンクハート
なんという太っ腹。ありがたや〜〜アップ
そこで、
展示されているすべての絵画、立体作品と
解説を載せてみようと思いますグーハッ


岡本太郎(1911-1996)。
父は漫画家の岡本一平、
母は小説家で歌人の岡本かの子。

序章(?)は、愛知ゆかりの作品です。
まず、
名古屋市北区の天長山 久国寺にある梵鐘の、試作品。


岡本太郎
《梵鐘・歓喜》
ブロンズ 1965年
岡本太郎記念館
1

名古屋の久国寺から、寺の梵鐘を作ってほしいという依頼を受けた岡本は、戸惑いながらも、鳴ることに縛られず、「猛烈なシロウト」として造形的な冒険を優先しようと考える。
鐘自体が曼荼羅であり、「打ち鳴らすと、仏・菩薩・妖怪・人間・宇宙全体が叫ぶ」というイメージ通り、合一に向かって舞い踊る人間たちが森羅万象と合体した、ユニークな造形が生み出された。


で、実物の鐘の音がこちら音符

【歓喜の鐘@久国寺】



岡本太郎
《顔》
陶 1952年
川崎市岡本太郎美術館
2

草月流の華道家・勅使河原蒼風との対談をきっかけに、花器という概念を覆すオブジェとして制作された作品。モザイク・タイルの制作で滞在中の常滑で手がけた、岡本にとっては最初にして最大の陶芸作品である。
彫刻に先行して陶芸を始めたのは、前年の縄文土器との衝撃的な出会いも影響していると考えられる。同年の草月展では、枯れ木やストッキングをひっかけるように活けて展示した。制作された3点のうち、ひとつはのちに父・岡本一平の墓碑となった。



岡本太郎
《太陽の神話》
モザイク・タイル 1952年
株式会社大和証券グループ本社
3

耐久性と鮮やかな色彩を持ち、工業生産化が始まったモザイク・タイルを、油絵具に代わる素材として注目していた岡本が、初めて用いた作品である。これを見た建築家の坂倉準三が、日本橋髙島屋地下通路の壁画《創生》(現存せず)を依頼し、その後公共空間に多数の岡本の作品が設置されるきっかけとなった。
この作品において、太陽というモチーフが初めて顔とひとつの人格を持って立ち上がり、のちの《太陽の塔》(第5章)に通じるイメージを形成している。



岡本太郎
《日の壁》(旧東京都庁舎壁画原画)
油彩、カンヴァス 1956年
岡本太郎記念館
4

1957年竣工の旧東京都庁舎のために岡本が制作した7点(11面)の壁画のひとつで、正面玄関の吹き抜けロビーに設置された。高さ6メートル、幅4.5メートルの大壁画は、対となる《月の壁》とともに、1991年に建物と一緒に取り壊されるまで長らく親しまれた。
建築家・丹下健三の助言を受け、モザイク・タイルよりも耐久性のある陶板を用いたこの壁画の制作に、岡本は工場で陶土を彫るなど、自らの手を使って取り組んだ。本展ではその原画を展示する。



岡本太郎
《月の壁》(旧東京都庁舎壁画原画)
油彩、カンヴァス 1956年
板橋区立美術館
5


岡本太郎
《夢の鳥》
陶磁 1977年
岡本太郎記念館
6

この隣には、
1977年頃、尾張旭市の三郷陶器にて《夢の鳥》を制作する
岡本太郎の写真があります。


岡本太郎
《星・花・人》 
木、プラスチック、LED 1971年
川崎市岡本太郎美術館
7

1971年、岡本は、名古屋・栄のオリエンタル中村百貨店の4階から7階の外壁に、巨大なレリーフをデザインした。百貨店のキャッチフレーズ「天に星、地に花、人に愛」をテーマに、夜になると間接照明によって絵柄が浮き出す仕掛けを持ったこの壁画は、長らくシンボルとして、名古屋の繁華街を照らしてきた。
この作品は同店が閉店し建物が名古屋栄三越としてリニューアルされる際に撤去されたが、本展ではそのマケット(雛形)を展示する。


★ オリエンタル中村百貨店の壁画(夜景)はこちら →
(画像をググってみました)


岡本太郎
《若い太陽の塔》
FRP 1969年
川崎市岡本太郎美術館
8

実物は、犬山市の日本モンキーセンターにあります猿

……といったところで、
第1章からどんどん紹介してまいりましょう!
(記憶が曖昧で、実際の展示順とは異なる箇所があるかも。
どうかお許しをタラー


◆ 第1章 岡本太郎誕生  パリ時代

岡本太郎は1930年(19歳)からの約10年間を
パリで過ごしています。


岡本太郎
《敗惨の歎き》
水彩、紙 1925年
川崎市岡本太郎美術館
9

慶應義塾普通部1年の頃、ボートレースの対抗試合に敗れたことを題材に描いた作品。同題の文とともに同人誌に掲載されたもので、同級生で小説家の野口冨士男が長らく手元に置いていたという。
後年、再びこの作品を見た岡本は、種目名の「カッター」の文字や学帽、徽章などのイメージが抽象的な構成の中に配されたその表現に、その後の自身の作品とのつながりを見て、「スタイル、そして精神においての筋が、人生の初めから貫かれていたということに驚く」と述べている。



岡本太郎
《空間》
油彩、カンヴァス 1934/54年
川崎市岡本太郎美術館
10

暗闇の中に赤い裏地を見せてはためく布、その向かいに配された真っ直ぐな棒。布のしなやかさと棒の硬質な質感の対比が画面に緊張感をもたらしている。異なる質感の対比は、岡本が戦後提唱する「対極主義」を想起させる。
「『形』でない形、『色』でない色を打ち出すべきだ」という自身の言葉とともに1934年のアプストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造)協会の年鑑にモンドリアンの作品の対向ページに掲載された。



岡本太郎
《コントルポアン》
油彩、カンヴァス 1935/54年
東京国立近代美術館
11

1937年に初めての画集『OKAMOTO』が刊行されるにあたり、それまで無題となっていた作品に評論家ピエール・クルチオンにより題名がつけられた。
本作《コントルポアン》もそのひとつで、音楽の対位法(複数の旋律を調和させながら構成していく作曲法)を意味している。中央の緩やかな曲線の左右に描かれた黄色の幾何学的な形と赤と白で表された有機的な形の対比が、異なる旋律が呼応する音楽を連想させたのかもしれない。



岡本太郎
《傷ましき腕》
油彩、カンヴァス 1936/49年
川崎市岡本太郎美術館
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大きく結ばれた真紅のリボンから突き出した右腕。
切り裂かれた傷口をあらわにしながらもその拳は力強く握られている。戦後岡本は、「《傷ましき腕》などの一連の作品が、純粋なリリシズムと同時に反抗と告発をぶっつけているのは、当時のわたしの姿そのものである」と記している。
パリにおける異邦人としての気楽さと寄る辺なさ、芸術表現への自信と不安といった青春の苦悩が、拳を握る傷ついた腕として表されている。



岡本太郎
《露店》
油彩、カンヴァス 1937/49年
ソロモン・R・グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)
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色とりどりのリボンや腕輪、かざぐるま、ラッパなどが並ぶ露店。明るい店先とは対照的に、店の奥は薄暗く、そこに立つ売り子は《傷ましき腕》と同じような真紅のリボンを頭に結び、客の方には目もくれずうつむいたまま笛を吹いている。その内省的な姿は青春の苦悩を表しているかのようである。
《傷ましき腕》とともに1949年に再制作された本作は、1983年に岡本本人によりグッゲンハイム美術館(ニューヨーク)へ寄贈された。日本国内での展示は今回が約40年ぶりとなる。



岡本太郎(推定)
《作品A》
油彩、羽根、カンヴァス 1931-33年頃
ユベール・ル ガールコレクション(パリ)
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岡本太郎(推定)
《作品B》
油彩、カンヴァス 1931-33年頃
ユベール・ル ガールコレクション(パリ)
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岡本太郎(推定)
《作品C》
油彩、カンヴァス 1931-33年頃
ユベール・ル ガールコレクション(パリ)
14


1


岡本太郎
《午後の日》
陶 1967年
川崎市岡本太郎美術館
17a


17b

頬杖をついて笑う子どもという、岡本作品には珍しく、穏やかな休息のイメージを持つ作品だが、同時にこの子どもは、中心で自分を二つに引きちぎっているようにも見える。笑いと空虚さが同居した仮面を掲げ、背後にある本当の顔を隠しているようにも見える。
複合的なイメージを宿したこの岡本の自画像のような作品は、大きさを変えていくつか制作され、多磨霊園に眠る彼の墓碑ともなっている。



3


◆ 第2章 創造の孤独  日本の文化を挑発する

岡本太郎
《師団長の肖像》
油彩、カンヴァス 1942年
岡本太郎記念館
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30歳を超えて徴兵された岡本は、10歳以上も年の離れた同胞たちに交じり「自由主義者」のレッテルを貼られ最前線での危険な任務を課せられるなかで、一番過酷な状況を求め、自身の運命に挑むようになったと回想している。
本作品は、中国・湖北省の応城での初年兵時代に、漢口の司令部に呼び出され命令として描いたもの。戦争末期に描いた《眠る兵士》とあわせて、岡本の軍役時代を伝える貴重な作例である。



岡本太郎
《眠る兵士》
インク、紙 1945年
岡本太郎記念館
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岡本太郎
《憂愁》
油彩、カンヴァス 1947年
一般財団法人草月会(東京都現代美術館寄託)
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復員の翌年、この作品を描いたのと同じ頃に、岡本は同名の詩を発表している。そこでうたわれているのは、「心空しい時、ハタハタと鳴る、わが悲しみのあかし旗」が、自分の左右のこめかみのあいだにあらわれるという情景であった。
岡本の自画像ともいえるこの顔のない褐色の肉塊は、戦争によって深く傷つき、すべてを失った作家の心象を伝えるものである。強烈な目玉のイメージと鮮やかな色彩を特徴とするこのあとの展開を控えた、戦後の岡本の出発点といえる作品である。



岡本太郎
《作家》
油彩、カンヴァス 1948年
川崎市岡本太郎美術館
21

この作品のモチーフは、父・岡本一平であるとされる。これを描いた半年後に一平は亡くなることになるが、岡本はその直後に刊行した『岡本太郎第1画文集 アヴァンギャルド』を亡き父母に献じ、表紙にこの作品を用いている。
岡本の絵画を特徴づける、力強い線と鮮やかな色面を組み合わせた様式があらわれる最初期の作品であり、この線に、父の漫画からの影響を見る指摘もある。



岡本太郎
《電撃》
油彩、カンヴァス 1947年
岡本太郎記念館
22


岡本太郎
《夜》
油彩、カンヴァス 1947年
川崎市岡本太郎美術館
23

花田清輝らとともに前衛芸術を研究する「夜の会」を立ち上げたときに、アトリエにかけられていたことから、会の名の由来となった作品。
短刀を背中に隠した少女が、雷に割かれ燃える樹に対峙している。髑髏が覗く木の枝の全体が、目を血走らせ歯をむいた邪悪な存在のダブルイメージとなっている。パリ時代に参加した、秘密結社「アセファル」によるサンジェルマンの森での儀式をほのめかしているという指摘もある。髑髏に立ち向かう少女のモチーフは、この作品に先立って描いた、母かの子の遺作『生々流転』(1940年)の表紙にもあらわれる。



岡本太郎
《重工業》
油彩、カンヴァス 1949年
川崎市岡本太郎美術館
24

記号化された巨大な機械が生み出すエネルギーに巻き込まれていく人間たち。岡本はこの光景を、日産重工業(この年の8月に日産自動車に改称)の工場に通って描いたという。1949年の二科展でこの作品を見た人の多くは、左翼思想が弾圧され、下山事件をはじめ不穏な事件が次々と起こったこの年の世相との関連を読み取ったという。
一方で岡本自身は、社会風刺だけがこの作品の目的ではないという。ここには、緑のネギ(有機物・農業)と赤の機械(無機物・工業)をはじめとする対立的要素をぶつけた、対極主義の造形的な表現が託されている。



岡本太郎
《森の掟》
油彩、カンヴァス 1950年
川崎市岡本太郎美術館
25

「森の掟」というタイトルが示すように、弱肉強食の世界の中央にいる巨大な猛獣は、発表当時、多くの人にファシズムの暴力のアレゴリー(寓意)と受け取られたという。
岡本はそうした見方について、否定も肯定もしないとしながらも、この作品が目指したのは、「全然意味の認められない無邪気な仕事」であるという。背中のチャックが開けば、悲劇は喜劇に転じる。その逆もしかりで、この対極に引き裂かれた姿に、岡本は「今日のなまなましい問題」を提起しようとする。



岡本太郎
《まひるの顔》
油彩、カンヴァス 1948年
川崎市岡本太郎美術館
26


岡本太郎
《二人》
油彩、カンヴァス 1948年
川崎市岡本太郎美術館
27


岡本太郎
《赤い兎》
油彩、カンヴァス 1949年
富山県美術館
28

跳ねる赤い兎というモチーフは、岡本太郎によれば、自身の胸から飛び出てきた「私の叫びであり、生命の象徴であり、生命の幻影の造形」であり、また、心臓を表しているともいわれる。
前年に発表した画文集には、似た構図のスケッチとともに、「赤い兎/を/上げ/ましょう」という詩が掲載されている。父の死、対極主義の発表と目まぐるしい動きのなかで描かれたこの作品は、芸術に生命を賭ける岡本の決意表明ともいえ、読売新聞社主催の第1回日本アンデパンダン展で安部公房に高く評価された。



岡本太郎
《自画像》
鉛筆、紙 1950年頃
岡本太郎記念館
29

2010年、東京・青山の岡本太郎記念館で、おそらくは人に見せるつもりもなく描かれた一枚のデッサンが発見される。
1940年代後半、上野毛(世田谷区)に住んでいた頃のものと思われる本作品は、岡本のおそらく唯一の自画像である。この頃「夜の会」で出会い、そののち公私にわたるパートナーとなった編集者、平野(岡本)敏子を描いた写実的なスケッチも同時に見つかった。
岡本太郎の知られざる顔を伝える作品である。



岡本太郎
《犬の植木鉢》
陶 1955年
川崎市岡本太郎美術館
30


岡本太郎
《愛》
FRP 1961年
岡本太郎記念館
31


4


岡本太郎
《黒い太陽》
油彩、カンヴァス 1949年
川崎市岡本太郎美術館
32

左奥にある翳りある太陽と対峙するように、右手前に苦悶の表情を浮かべる人が描かれている。この作品の関連として描かれた詩には、太陽に届かぬ手を伸ばす人間の苦悩が描かれている。
岡本によれば、「黒い太陽」とは、根源的な生命と切り離された人間の苦悩、つまり近代的なニヒリズムのしるしである。「黒い太陽に、矢をはなとう」と述べつつ、彼は、ニヒリズムを乗り越え、失われた神秘を奪還することに芸術の課題があるのだと説く。



岡本太郎
《クリマ》
油彩、カンヴァス 1951年
川崎市岡本太郎美術館
33


岡本太郎
《青空》
油彩、カンヴァス 1954年
川崎市岡本太郎美術館
36

1952年5月、GHQからの占領解除3日後に、デモ隊と警視庁予備隊が激しく衝突し、多数の犠牲者を出した「血のメーデー」に取材したとされる。
地に倒れた市民の見上げた先にある三角形の青い空に焦点を当てたこの作品は、事件より2年の月日を経て描かれた。「血のメーデー」のあと、破壊活動防止法の制定や公安調査庁の設置など、市民活動を抑圧する政治的な動きが活発になるなかで、その世相を振り返りつつ描いたものと思われる。



岡本太郎
《ドラマ》
油彩、カンヴァス 1958年
川崎市岡本太郎美術館
37


岡本太郎
《駄々っ子》
油彩、カンヴァス 1951年
川崎市岡本太郎美術館
38

赤いリボンをつけた「駄々っ子」と、桃色の犬が向き合っている。岡本はこの「駄々っ子」を自分であるという一方で、桃色の犬が私、「駄々っ子」が犬であるかもしれないともいう。
幼い子どもにとって、犬や猫は、最も親しい仲間であると同時に生々しい怪物でもあり、自分の別の人格、分身である。そうした根源的な感覚である「自他が混沌未分化の状態」、ナンセンスな無邪気さに、岡本は、芸術の本質的な要素があると述べている。


今回のイチ押しは、こちらの油彩画!キラキラ
もうね、埼玉を翔びこえてイスタンブールまですっ飛んで、
ツボにハマっちゃいましたピンクハート飛び出すハート
(特に犬の表情が…)
なので早速、使わせてもらいます。

本職?
人間だ。
(岡本太郎)

本職?
駄々っ子だもん。
(ねこ)

書類等の職業欄に「駄々っ子」って書いてみようかな。


岡本太郎
《訣別》
油彩、カンヴァス 1973年
川崎市岡本太郎美術館
39

太陽のような目玉を持つ人物が大きく口を開けて、その中から黄色い顔が外に出ようとしている。題名の《訣別》とは、魂が身体から離れていくことを指しているのだろうか。右側に描かれた黒い動物は、《駄々っ子》に描かれた動物とよく似ている。
こうした独特のキャラクターを絵画作品に登場させるような、大胆な作画スタイルも岡本の絵画の大きな特徴である。



岡本太郎
《樹霊 II》
FRP 1971年
川崎市岡本太郎美術館
40


岡本太郎
《樹人》
油彩、カンヴァス 1951年
川崎市岡本太郎美術館
34


岡本太郎
《コンポジション》
油彩、カンヴァス 1951年
府中市美術館
41


岡本太郎
《足場》
油彩、カンヴァス 1952年
一般財団法人草月会(東京都現代美術館寄託)
42


岡本太郎
《変身》
油彩、カンヴァス 1953年
川崎市岡本太郎美術館
35


岡本太郎
《こどもの樹》
FRP 1985年
川崎市岡本太郎美術館
43a

情操の育成に関わるボランティア団体「サークル・クラブ・サロン」を発足するなど、子どもたちの未来に心を砕いてきた岡本が、東京・青山に建設される総合施設「こどもの城」(2015年に閉館)のために、企画委員として関わりつつ制作した作品。
国籍を超えた世界中の様々な顔を持つ子どもたちが巨大な樹木となって空に伸びていく。抽象的な形と顔が組み合わされた、親しみやすい岡本のモニュメントの特徴をそなえた作品である。



岡本太郎
《装飾》
油彩、カンヴァス 1954年
個人蔵(東京国立近代美術館寄託)
1


岡本太郎
《若い闘争》
油彩、カンヴァス 1962年
川崎市岡本太郎美術館
2


岡本太郎
《暴走》
油彩、カンヴァス 1963年
川崎市岡本太郎美術館
3


岡本太郎
《燃える人》(ドローイング)
鉛筆、インク、紙 1955年
岡本太郎記念館
4


岡本太郎
《燃える人》
油彩、カンヴァス 1955年
東京国立近代美術館
5

1954年の第五福竜丸事件に取材した作品のひとつ。
画面右下の爆心地から目玉のついた原子雲が立ち上り、そこから逃げるように蛇のような細い体をうねらせながら燃える人が描かれている。左下には、のちに《明日の神話》(第5章)にも登場する擬人化された第五福竜丸の姿も見える。
この作品についてのエッセイで、岡本は、「原爆の予感」が一見平穏な日常を送る人々の内部にもどろどろした化け物として存在しており、芸術の意味とはその「奇々怪々な閉ざされた世界」に言及することなのだと述べている。



岡本太郎
《燃える人》
油彩、カンヴァス 1955年頃
姫路市立美術館
6


岡本太郎
《死の灰》
油彩、カンヴァス 1955年(その後加筆)
岡本太郎記念館
7

《燃える人》と同様に1954年の第五福竜丸事件に取材した作品。ただし、「死の灰」そのものがわかりやすく描かれているわけではない。むしろ、不穏な色彩とおどろおどろしい形態の中に、科学の進歩によってこの人類が初めて経験する事態が導かれたという矛盾と、その悲劇に直面した人類の動揺を描き出しているかのようだ。
1956年の第2回現代日本美術展に出品されたのち、岡本自身の手によって加筆されたことがわかっている。



岡本太郎
《娘と犬》
油彩、カンヴァス 1953年
株式会社 大林組
8


岡本太郎
《娘と犬》
油彩、カンヴァス 1953年(その後加筆)
岡本太郎記念館
9a


9b


それでは次回は、
第3章と第4章の作品を紹介しまーすウインク


『展覧会 岡本太郎』
◆2023年1月14日(土)-3月14日(火)
 愛知県美術館
(愛知が最終会場です)
・展覧会公式サイト →


愛知県美術館 →
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(名古屋市東区東桜1-13-2)

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(神奈川県川崎市多摩区枡形7-1-5 生田緑地内)

岡本太郎記念館 →
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(東京都港区南青山6-1-19)

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【展覧会 岡本太郎@東京都美術館】


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