パメラ・コールマン・スミス物語(2)  年表「イギリスでの活躍とタロット制作」 | タロット占い&道歌・恋の歌 ~海棠 わき~

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Pamela Colman Smith 2年表「イギリスでの活躍とタロット制作」

Source)https://www.nationaltrustcollections.org.uk/object/1122457.2

 

 

わきちゃん
 

これは、パメラの大切な友人でもあり、母親のような存在、女優エレン・テリーが舞台に立つ姿をパメラが描いたものです。

この回ではパメラがエレンとともにイギリスに渡ってから、黄金の夜明け団でタロットを制作するところまでを紹介します。

 

師匠
 

エレンが活動の拠点をアメリカからイギリスに移したのを機に、パメラもイギリスに同行したと考えられる。それほど重要な友人だったわけだ。

 

 

イギリスに渡ってすぐに、またパメラは重要な人物と出会います。当時著名な詩人であり劇作家でもあるウィリアム・バトラー・イェイツとの出会いです。

イェイツとの出会いがきっかけで、パメラは黄金の夜明け団に加入します。

 

もしパメラとイェイツと出会っていなかったら、黄金の夜明け団にも、ウェイト博士にも出会わず、ウェイト・スミス版デッキは誕生していなかったかもしれないですね。

 

そしてこの時期の重要な活動の一つが、雑誌『グリーン・シーフ』の刊行です。この雑誌は2年間しか続かなかったのですが、彼女の生涯の中で最も重要な出来事の一つと言えるでしょう。

 

Source)Watkins Books, London 2017,by susanwands

 

生涯を通じて男性との共同プロジェクトの多くで、スミスの仕事と貢献は過少評価され、割愛された。男性優位のヴィクトリア朝末期の出版業界で彼女が直面した否定的な体験が、彼女を自身の『グリーン・シーフ・プレス』(1904-6年)の創刊へと駆り立てたのだろう。

 

『グリーン・シーフ』誌の各号の巻末には、近刊予定の書籍や他の雑誌、地元の職人ビジネスなどを紹介する広告欄があった。『グリーン・シーフ』の広告欄で注目すべき点は、女性や性別にとらわれない起業家のための広告スペースがいかに多く確保されていたかということだ。

Source)Advertising Women’s Entrepreneurship in The Green Sheaf:

Pamela Colman Smith and the Fin-de-Siècle Marketplace,

Marion Grant,Nineteenth-Century Gender Studies

 

わきちゃん
 

当時の出版業界では、女性の仕事は過小評価されがちだった。いろいろ思い通りにならないことが多く、自分の出版社を立ち上げたのですね。

 

 

当時の雑誌としては、パメラ自身や仲間の女性アーティストのビジネスを宣伝する広告スペースが多くとられていたのは新しい試みだったのだろう。

しかしこのころにパメラが開いた個展はとても成功しています。人気イラストレーターだったのですね。そして同時代のドビュッシーら著名な芸術家とも交流をしている。

 

 

当時、まさに人気イラストレーターだったからこそ、ウェイト博士からタロット制作の声がかかったんだね。

 

ですが、下の文献にもあるとおり、やはりパメラはタロット制作において十分な報酬が得られていなかったことがわかります。また、この投稿のIntroductionでも述べましたが、彼女が描いたイラストについても著作権が「ウェイト博士に関連付けられていた」、つまりウェイト博士が著作権を持っていたようです。

 

文学者のエリザベス・フォーリー・オコナー(Elizabeth Foley O'Connor)は、伝記『Pamela Colman Smith: Artist, Feminist, and Mystic』の中で、スミスはタロットアートに対してほとんど報酬をもらっておらず、クレジットも受け取らなかったが、各画像の右下隅に一種のカドゥケウスの形でイニシャルに署名したと書いている。あまり良い仕事ではなかった。1909年にスティーグリッツに宛てた手紙の中で、彼女はこのプロジェクトを「わずかな現金で大きな仕事」と表現している。

出所)The woman behind tarot’s strange beauty,Jessica Mesman,The Christian Century

 

パメラ・コールマン・スミスって?(2)にも書きましたが、たったわずか5カ月半の間にウェイト=スミス・タロットのイラストの78枚を制作しています。

 

短期間とはいうものの5カ月以上も働いてまともな報酬を受け取れなかったパメラ。カードの1枚1枚に彼女のサインを入れたのは少しばかりの抵抗だったのかもしれないです。

 

あれだけの緻密な絵を78枚も描いてたった十数万ぐらいの報酬しかもらえなかったとは。それは生活も欠乏しますよね。

 

ウェイト博士の個人的な考えはわからないですが、当時のアート業界では女性のアーティストの権利が軽視されがちだったのでしょう。この問題については、あとの回「報酬と著作権,ウェイト博士とパメラ」で詳しく述べたいと思います。

 

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