Pamela Colman Smith 1年表「誕生からアメリカ時代」
Source)Pious Pixie: the life of Pamela Colman Smith, Dawn G Robinson, artcornwall.org
20歳ぐらいまでの人生なのに、情報量も盛りだくさん どこから話せばいいか・・・、ざっと年表でパメラの人生を追って詳しい話はこのシリーズの後半でお話しますね。
まず目につくのは、幼いころにジャマイカとニューヨークを行き来して生活するという点です。
その経験を生かして、パメラはジャマイカに伝わる民話「アナンシーの物語」を21歳で刊行します。(冒頭の写真はこの物語の朗読劇をしているところと思います。)
Source)Annancy Stories by Pamela Colman Smith
彼女は全編、標準英語ではなく現地のクレオール語で書きおろし、「オベア」という昔からジャマイカに伝わる黒魔術を行う女性の存在を強調した。クレオール語は白人読者には不人気だったが、出版前後に彼女が精力的に行った読み聞かせ劇ではクレオール語でも面白さが伝わり、アメリカで披露した時にはマーク・トゥエイン(Mark Twain)も楽しんだ。
Source)Pamela Colman Smith: The Untold Story - The Argothald Journal
クレオール語で書かれたことは当時の知識人の大多数を占めた白人にはウケが悪かったようですが、パメラの一風変わった朗読劇は人気だったようですね。
イラストレーターなのに、物語も書けて、お芝居もできちゃう。そしてジャマイカ・クレオール語も理解できる。どんだけマルチタレントなの!?って感じです。
パメラはエレン・テリーという当時有名な舞台女優と家族ぐるみの付き合いをしていて、エレンの劇団の舞台美術や衣装を手掛けるかたわら、端役女優としても働いていたようです。多才な人だったのですね。
18歳で母親を、21歳で父親を相次いで病気で亡くしたコールマンが母代わりに慕ったのがシェイクスピア劇で有名な舞台女優エレン・テリー(Ellen Terry)である。シャーロック・ホームズ役で売れた父方の従兄のウィリアム・ジレット(William Gillette)を通しニューヨークで巡業中のテリーと知り合い、衣装やステージデザインを手掛けるようになる。テリーはコールマンに「ピクシー(Pixie)」というあだ名をつけ可愛がった。「妖精」を意味する「pixie」は、コールマンが持つジェンダーレスで捉えどころのないアイデンティティーにぴったりだったのだろう。
出所)書評by Elizabeth Foley O’Connor “Pamela Colman Smith: Artist,
Feminist and Mystic” 角谷由美子,神戸女学院大学機関リポジトリ
この、エレン・テリー親子とパメラは本当に仲良しで、パメラは「ワンドのクイーン」をエレンの娘、エディ・クレイグ(Edith Ailsa Geraldine Craig)という女性をモデル※に描いています。
ワンドのクイーンと言えば、「太陽のようなひまわりのような人」、そのモデルにエディを選ぶなんて大好きだったんでしょうね。
そして年表を見ると、なんと、たった18歳で母親を、21歳で父親を亡くしています。
若くして両親を亡くし、孤独になったパメラ。
エレン・テリー母娘と暖かな交流があったことにほっとします
それにしても、ピクシーとは可愛いあだ名ですね。エレン・テリーが娘のようにパメラを可愛がったことがわかりますね。
そして、パメラは21歳の時に、生まれてから20年以上も暮らしたアメリカを離れ、エレン・テリーとともにイギリスにわたるのです・・・
わたくしのつたないお話にここまでお付き合いいただきありがとうございます。
この続きはパメラ・コールマン・スミス物語(2) でまたよろしくお願いいたします。
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