今が花盛り!
ヴィレット、読み進めてます。
あ、出版社の方から連絡がすぐにありました!
⬆️この件です。
なんと、誤訳だったそうです…。
わ、良かった〜勘違いじゃなかったんだ。
重版の時に訂正しますってことでした。
詳しくはまた後日。
『ヴィレット』(上)第13章〜
”学校のイベントで、文学の教授であるムッシュ・ポール・エマニュエルという男性教師が取り仕切る「劇」に突然代役として立たされることになるルーシー。彼はひどく怒りっぽく頑固な小男。しかしこの劇をきっかけに折に触れてルーシーと会話をするようになる。
かつてイギリスを出立する時に出会ったミス・ファンショーは実はこの学校の生徒。相変わらず綺麗ではあるが浅薄で、人に対する思いやりがない。それでいて彼女はルーシーを気に入っており、無邪気で、ルーシーも彼女にお説教しつつも受け入れている。
ドクター・ジョンはミス・ファンショーの浅薄さに気が付かず、美しさと無邪気さに惹かれて愛している。ルーシーはそれを苦々しくも冷静に見ている。
夏の休暇が訪れ、学校には誰もいなくなる。ルーシーは数週間1人ぼっちで暮らしていたことから神経を病みそうになり、カトリック教会で神父に告解をした後倒れてしまう。
たまたまドクター・ジョンが助けてくれ、家に連れ帰るのだがそこでドクター・ジョンはかつて一緒に過ごしたブレトン家の息子グレアムであり、その家にはミセス・ブレトンも健在であることが分かる。
温かい名付け親とその息子と数週間を過ごし、健康を取り戻すルーシー。そのうちにルーシーはグレアム(ドクター・ジョン)に対して、抑え難い気持ちを抱くようになる。
しかしルーシーの「理性」は冷酷にその気持ちを押さえつける。希望など持ってはいけないと…。
学校に戻ったルーシーはドクター・ジョンからの優しい手紙に天にも昇る気持ちでありながら、「理性」はそれを戒めようとする。
そしてルーシーはドクター・ジョンからの手紙を読むために入った誰もいないはずの学校の屋根裏部屋で、修道女の姿見を見た。それはルーシーのみた幻覚なのか、それとも…⁈”
ルーシーは理性的な人間というよりは、熱い感情を理性で抑えている、そんな人間であるようです。名状し難い気持ちの波に襲われたとしても、どこか客観的な「理性」が彼女の中にいて、第三者のように助言してくる。
ここまで客観的とはいかないけれど、この感覚はなんとなくわかる気がします。
自惚れそうになる時、人にどう見られるか気になる時、時々私も第三者的な『私』によって冷静になること、ありますもん。
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