「三国志演義」4-5 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

第111回~第115回(P454-542)

多分だけど、今、小説が描いている時代、大きな動きがなかったんだと思うのよね。

諸葛亮の一番弟子を自任する姜維の北伐が一つのメインになっているけれども、国の境界線には何の影響もない。

蜀が拠ってたつ地域って、そもそも、中原から離れた少し閉鎖的な地域らしいんだけど、毎年のように国力を疲弊させながら討って出てきたのだろうか。
とってつけたような戦争話のような記述でもあって、うんざりしている。

また各国の君主の交代が劇的に描かれる。
特に魏は、歴史の事実として、曹氏から司馬氏への交代が控えているから、いかにもそういう文脈で描かれている。

司馬氏の専横が目に余り出しているけど、そんなやり方してたら、曹氏が皇帝権力握っているんやし、司馬氏なんかどうにでもなるやろというような気がしてしまう。
あまりにあんまりなので、史実はどうだったのか、wikipediaで検索しようと思ったけれど、そもそも僕の三国志の知識の中に元々いなかった曹氏の子孫たちの話なんか、どうせすぐ忘れるからやめてしまった。

僕がしたいのは、三国志の時代研究じゃない。
あくまでも三国志演義を物語として読むことだ。

史実とまったく違う物語が紡がれていたっていいんだけど、それが物語として面白くないというのが致命的なのである。

という、まったく尻すぼみの状態で、次回の投稿がラストになります。
ようやくここまで来た。長かった。