萬代悠「三井大坂両替店」 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

三井大坂両替店
――銀行業の先駆け、その技術と挑戦

現在の三井住友銀行につながる、江戸時代に存在した三井大坂両替店の話。
「『両替店』を名乗りながらも両替業務にはほとんど従事せず、基本的には民間相手の金貸し業を主軸とした。まさに大型民間銀行の源流と言えるだろう」(「プロローグ」Pⅲ)
公益財団法人三井文庫研究員である著者が、一冊を通じて、三井大坂両替店という一民間企業を詳細に記述する。

三井大坂両替店の躍進の要因は2つあるという。

一つは「江戸時代の政治・社会体制は、幕府(または准幕府)権力に接近し保護を得た特権的商人や特権的豪農が富を得やすい構造であった」(P244)が「(三井)大坂両替店は、近代的な要素を多分に含んだとはいえ、江戸時代特有の保護のもとに位置したこと」(P244)により「法制度からの厚い債権保護」(P236)があったことによる。

もう一つは「日頃から丹念な信用調査と常連客の確保に努めた手代たちの功績があったこと」(P236)にあるという。

僕は仕事柄、企業環境や、ビジネススキームの理解に興味がある。
江戸時代という、今とは違う経済ルールの中で、企業がどのような仕組みをつくり、運営していたのかというのは、とても興味深い話だった。
時代が違っても、社会が変わっても、プレイヤーである人間に大きな変化はない。
外形的な企業の行動や、その中の従業員の振る舞いが現代とは全く違うように見えても、それが今とは価値観が違うからと短絡的に判断してはいけないものらしい。ルールを所与とする中での振る舞いは現代の価値観、損得勘定の感覚でとてもよく理解できたし、合理性の追求という意味で、現代の感覚と連続しているのが興味深かった。

三井大坂両替店を追いかける本書の切り口は、事業概要にはじまり、組織と人事に言及される。
大半を占める本書の後半は、三井大坂両替店が金貸し業を行うために丹念に実施した信用調査(与信。借入申込者に貸してもいいのか、いくらまで貸すことができるかの調査)に紙幅を割いている。

その中で、3つ、興味深いなと思ったことを残しておきたい。

一つ目。
江戸時代を経済の面で見た場合の総括。
「著者も、江戸時代を概ね市場経済社会とする(中略)見解に賛同している。ただし、ここで重要なのは(中略)経済史家の多くは、手放しで江戸時代を市場経済社会として高く評価しているわけではないことを確認しておきたい。
 そこで問題となるのは、江戸時代特有の制約とは何であり、その制約がどのように市場経済原理を歪めたのか、という点だ。筆者は、江戸時代特有の制約とは身分制的法制度にあったと考える。とくに大坂法(大坂町奉行所裁判管轄下)は、非武士身分よりも武士身分、非幕府債権よりも幕府債権を優先的に保護した」(P242)
このことは必ずしも、武士ではないものが、常に不利益を被っていたことを意味しない。
いわゆる町人は、そういう制度の中で、したたかに行動していたことを忘れてはいけない。
何より、三井大坂両替店自体、幕府から預かった公金の融資という、特権的な債権保護を利用して伸びた企業なのだ。
社会というものはそんなに単純なものではない。

二つ目。
三井大坂両替店の幹部候補生は、みな10歳前後で入店し、住み込みで男だけの共同生活を送る。
彼らは基本的に年功序列で昇進するが、店外の自宅から重役として店に通勤できる別宅手代に昇進するのは、勤続30年目、40歳前後のことである。別宅手代に至ってようやく共同生活を脱し、はじめて妻を迎え、家族を持つこともできた。
報酬も別宅手代になれば、相当な金額となるが、当然途中で脱落するものも多く出てくる。
10歳で入店した子供が、別宅手代に昇進したものはわずか3.6%だそうである。40歳まで共同生活で自由な外出もできないというのは、厳しい環境だったんだろうと思う。
また、こういう環境下に大勢の男が共同生活しているのである。性処理の問題も出てくる。
当時の三井大坂両替店は、遊興補助として、遊興の場を提供し、過度に奉公人がのめりこまないようにその統制を行っていた。当然ここでいう遊興は売春行為である。
特殊な環境下とは言え「女性との売買春を利用し、男性社会である奉公人集団を成り立たせるという、極めて歪んだ構造のなかで成立したものであったことを忘れてはなならない」(P96)と結ばれている。

三つ目。
これは、本書の最も力を入れて書かれた部分である、信用調査についてである。
三井文庫の書庫に眠る史料を元に復元された、当時の信用調査の模様は赤裸々な企業の記録であって、読み物としても面白かった。
お金を貸すときに考えることは今も昔も同じである。この人に貸したら返ってくるのか、ということである。
担保評価は、僕が今、不動産評価の本を読んで勉強していることもあって、基本的な考え方は今も昔もあんまり変わらないんだなと、感心するような気分だった。
あと、今、会社そのものを評価する際には、財政状態や経営成績を表す財務諸表という数量的な基準を重視するが、当時は人柄というものを重んじたようだ。その情報源は評判である。借主の評判を近所に聞き込む奉公人の姿が目に浮かぶが、家の事情というのが筒抜けの社会だったようで、見栄や外聞で人を評価する社会だったことがわかる。

本書を読んでいる最中、実は付箋も貼らずにただただ読んでいた。
歴史を見るときは、為政者からみた時代という、上からの目線の時が多いと思うが、本書は民間企業に密着することで見えてくる、中からの目線であり、それは、江戸時代で生活することそのものだったから、体験が体を通り抜けていくような読書だった。
新書には珍しい、感じる読書。面白かった。