世界文学登攀行

世界文学登攀行

世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。


5月の読書の振り返り

読書時間:34時間
読書ページ:1271ページ
読書感想文:1時間(1記事)

最繁忙期。
かろうじて1日1時間の読書は死守できた。

5月の読了4冊のうち、2冊は仕事の本だったので、最低限の読書はできたでしょうか。

仕事の本だって、別に締め切りに迫られて読んでいるわけじゃないし、その他の本なんてなおさらそう。
読めば、新しい知識を得られるし、深い考え方に触れることができるし、自分の属していない世界を体感することができる。
頭ではわかっているのだけど、易きに流れてしまう自分の弱さから、つい読書から遠のいてしまう。

いや、その代わり、例えば趣味が充実したとか、他のことをやったとかの記憶があればいいけれど、何にも残っていないからね。
本気じゃない自分をそこに見つけてしまう。

あと、感想を書かないというのもよくないね。
本の感想を書くって、結構大変なことで、読んだことを強い力で圧縮して圧縮して文章にするという労力がいる。
ある読書術の本に書いてある「体力をつけるために筋力トレーニングが必要であるように、文章を書く人にも『脳の筋トレ』が不可欠なのである。他人にもよくわかる文章を書くことはそれほど知的な重労働なのだ」(鎌田浩毅「理科系の読書術」)という言葉を大事にしているが、筋トレをさぼるとたちまち弱くなってしまう。

めったに僕のことをほめない妻に、あなたは何かを他の人に伝わるように説明することができて、それはなかなかできないことだと思う、と言われた。
仕事でそういう機会が多いからだと思ったが、これも読書の感想を書くという筋トレの成果なのだと信じたい。

せっかく読んだのだから、書かないともったいない。
そう思って文章を綴っていきたいと改めて思う。

4月の読書の振り返り

読書時間:49時間
読書ページ:1757ページ
読書感想文:1時間(2記事)

読むことは続けられたけど、記録、発信はさぼりにさぼってました。
持続できないのが僕の弱み。
7月も月末になって4月の振り返りなど行っております。

4月は、僕の業界の繁忙期にも関わらず、それなりの読書ペースをキープできたのではないかと思う。
どんなに時間がなくたってね、1日2時間くらい読書の時間は取れるはずなんだよ。
疲れ果てて本を開けなかった日だってあるわけだけれど、結局どこまでやるかは自分の覚悟次第なのだと思う。

4月はトピックスがありました。
まだ感想をアップできていないけれど、なんとジョイス「ユリシーズ」を読破いたしました。
2025年1月に読みはじめたから、足かけ16ヶ月の旅路でした。
1ページ読むのに2分くらいかかる重い読書を、80時間弱。
これは、僕の読書人生の中でもハイライトになりうる、快挙になりました。

ただ、そのあと、本の感想が書けなくなってしまった。
燃え尽き症候群だったのかもしれない。
書かないとブログからも足が遠のいてしまい、振り返りもさぼってしまいました。
ということで、3か月も前の振り返りになりました。

データは取ってあるから、5月振り返りも早めにしたいと思います。

地域と人口減少の経済学
――スマート・シュリンクという選択肢

本書のテーマは「人口問題」と「地域問題」である。
「人口変化がもたらす多くの課題は『確かな未来における、確かな変化によって起きる、確かな課題』」(P4)であるという。

人口が減って社会が変わる、ということについての本書に出てくる知見の多くは、個別に考えてみれば当たり前のことばかりだ。
しかし、無意識に受け入れているようなことも、一歩立ち止まって考えれば、深く考えさせられることに満ちている。

例えば、東京に人が集まることによって地方の活力が奪われているのではないかという東京一極集中の問題だ。
そもそも東京一極集中は悪であるという考え方と、その是正という政策目標に著者は疑問を呈する。
人々の自由な行動が結果的に最も効率的な経済をもたらすという考え方がある。それなのに、法によって人びとの移動を強制的に制限することは、経済の効率性を損ない、結果的に人々の福祉水準を低めることになる恐れがある、という。
また、用意された図表には、一定の人口集積がなければ、サービス施設が成立しにくいということも示される。
人々が集中することで成立するサービスというものがあることがわかる。

一極集中の是正や出生率の向上は、地方の人口減少に何とか歯止めをかけようとする発想から生まれた政策である。
現実の出生率を考えれば、地方はおろか、東京ですら、いずれ人口減少に転じると予測されているという。
大切なのは、人口が減少していくことを受け入れながら、どうやって人びとのウェルビーイングを向上させていくかという施策であるというのが、著者の結論である。

このシンプル過ぎるともいえる結論にいたるまでの、ごく常識的な論証の積み重ねに、かえって強い説得力があった。
僕が人口問題に感じていた違和感が言語化される、非常に有用な一冊であった。

少し脱線するが、著者の言葉で面白いなと思ったものを書き抜いて終わりにする。
それは、「経済学の『役立ち方』が質的に変化した」(P134)ということである。
かつて経済学は、経済・社会現象をよりロジカルに理解したり、経済政策の是非を論じる力を身に付けて、社会的意思決定に参画したりするのに役立ってきた。しかし、今や経済学者は、エンジニアのように汎用的な技術を身に付けて、企業や政府にアドバイスを行う。経済学は、直接的にビジネス上の利益をもたらし、効率的な行政運営を実現する手段になったという。
このような、学問と社会とのダイナミックな接近は、とても興味深いものだと思う。

 

 

 

アフリカ
――「経済大陸」の行動原理と地政学

心が動いた時に付せんを貼る。
それが僕の読書スタイルだ。

この本の読書中、1枚も付せんを貼っていない。
心が動かなかったわけではない。
むしろ、アフリカという広大な大陸に対して、あまりにも無知であったことに衝撃をうけ、ずっと心が動かされてきたからだ。
付せんを貼る間もなかったというのが実態だ。

とはいえ、せっかく1冊の本を読み終わったのだ。
もう一度本書を振り返りながら、言葉を紡いでいくしかない。

1つ目。
アフリカは広大な大陸である。
メルカトル地図だと赤道沿いの国々は縮小されてしまうのだが、実際のアフリカ大陸はとても広い。
なんと、アメリカ、中国、インド、ヨーロッパの主要な国々、日本などを合わせた面積に匹敵することが図表で示されており、その広大さを実感することができる。
また、アフリカはこれからの若い大陸である。
国連の人口推計によると、2024年段階のアフリカの人口は15億1514万人に達している。
これが、2050年には世界人口の4分の1にあたる24億6665万人に、2100年には世界人口の3分の1にあたる38億1388万人に拡大すると言われる。
アフリカはこれからの有望な市場として世界の注目を集めている。

2つ目。
アフリカの国々のありかたは、近代国家の起源であるヨーロッパとは異なるものであるという理解が必要だ。
極端な例になるが、ソマリアという国では1991年にシアド・バーレ政権が崩壊した後20年以上にわたり国際的に承認された中央政府が存在しなかった。
2012年にようやくソマリア連邦政府が樹立されたが、統治の実効性は確保できていない。
信じられないことにアフリカでは、「『国内的には統治能力がないにもかかわらず、国際社会において存続する国家』がきわめて容易に出現した」(P39)
こうした国家の実情に目を向けないと、複雑な国際関係を把握できないということを理解した。
もちろん、アフリカの国はすべてがこうだというわけではない。
世界が注目する、コバルト、タンタルをはじめとした脱炭素化に欠かせないクリティカルミネラル(重要鉱物)の産出によって経済的な恩恵を受ける国もある。ナイル川の上流で、GERD(グランド・エチオピア・ルネッサンス・ダム)建設を推進するエチオピアと下流の国々との間には対立がある。南アフリカ共和国には、アパルトヘイトという固有の歴史がある。
一口にアフリカと言っても、国や地域ごとに異なる歴史的・地政学的な事情がある。
日本ではあまり注目されないけれど、アフリカでは本当にいろいろなことが起こっているのだ。

3つ目。
アフリカと国際社会の関係だ。
主要国による「アフリカ+1」サミットが開催されており、日本もTICADを1993年から開催している。
しかも、日本のODA(政府開発援助)供与額は、1991年から2000年までの10年間、ドルベースの実績で世界一であった。
しかし、2001年以降、日本はODAの予算削減に直面し、トップドナーの座を明け渡した。その地位は後退の一途をたどったものの、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の取り組み、人材育成、気候変動対策などを通じた共創関係の構築を掲げ、援助から投資へという新たな方向性を打ち出している。
近年では、中国が、52か国のアフリカ諸国およびアフリカ連合(AU)と「一帯一路」共同建設の協力覚書に調印するなど、アフリカ大陸での影響力を大きくしているが、その影響を注視しながらも、日本もアフリカとの関係を築くための外交努力を続けている。
自分が知らないだけで、アフリカは遠い大陸ではなかったのだ。

今回の読書を通じて、僕の世界地図にアフリカ大陸が加わったという実感がある。
これからもアフリカ関係は特に興味を持って学んでいきたいと思う。

 

 

 

鳥は飛びながら眠る
――超小型センサーで覗く野生動物の私生活

動物の体に小型の計測機器を取り付ける研究手法である「バイオロギング」
本書はバイオロギングの技術を使った研究を中心に、生物学者である著者が感銘を受けた野生動物の日常生活をめぐる科学的成果を紹介する。

たくさんの面白い実例が「怠ける」「食べる」「眠る」「産む、育てる」「群れる」の5つのカテゴリーに分類されて紹介される。
専門家の知見に基づく鋭い洞察は、単に事例の紹介にとどまらず、生物の本質に迫る。
それは、野生動物の一種である人間についても考えさせられる契機となり、非常に読みごたえのある一冊であった。

この記事では、多くの事例の中でも、感銘を受けたものを3つ紹介したいと思う。

1つ目。
アフリカに生息する小鳥、ノドグロミツオシエ。
おとぎ話のような不思議な話だが、この鳥は、ヒトにハチの巣の場所を教えるという。
現在でもヤオ族は、ノドグロミツオシエを利用して蜂蜜を集めている。
ノドグロミツオシエの好物はハチの巣にある蜜蠟である。
しかし、ハチの巣を襲えば、反撃されて痛い目にあう。
そこで、この小鳥は、ヒトにハチの巣、すなわち蜂蜜のありかを教えることで、巣を襲撃させ、ヒトにとって必要がないため捨てられる蜜蠟にありつくことができるのだ。

2つ目。
カモなどの鳥は、半球睡眠という睡眠法を獲得した。
脳の左右いずれか半分(半球)だけが眠り、もう半分は覚醒しているという睡眠法だ。
もちろんそれは、外敵からの襲撃に備えるためだ。
どんな生物も眠らなければ死んでしまう。しかし熟睡すれば外敵に襲われた時に何の反応もできずに食べられてしまう。そうした中で獲得した睡眠法に、進化の面白さを見ることができる。
しかし、このような進化は、長い年月をかけて獲得されるものである。
ここでは、同じように半球睡眠を獲得したオットセイの悲劇が紹介される。
オットセイが海で眠るときはシャチやサメのような天敵を警戒する必要がある。
従って、警戒はもっぱら海中の敵に向かい、海上からの敵には無防備だった。
そこにあらわれたのがヒトである。ヒトはオットセイの睡眠中を狙って船でやってきた。
海の敵に備えるために進化してきたオットセイは、想定外の方向からの外敵に備える術もなく、狩られてしまうのだという。

3つ目。
ヒトの閉経について。
閉経とは繁殖能力を失うことだ。
実は、生涯の途中でメスが閉経するのは、ヒトやハクジラ類の一種など、あまり多くない例であるという。
科学の発達によりヒトが想定外の長寿になった結果、閉経が生じたという説に対して、著者は疑問を呈する。
あえて、自らの繁殖能力を停止させる意味がないからだ。現にヒトのオスの繁殖能力は衰えはするもののなくならない。
なぜ、女性が閉経するのか。なぜ、閉経しなければならなかったのか。
これは、女性が閉経しない場合、自分の子と、娘の子が同時期に生まれることで、限られた資源をめぐる世代間の対立が起きてしまうという不都合が生じるからだ。
だから、女性は繁殖を終えたあと、娘の子(孫)の養育を助けることで、その生存率を上げるという戦略を取ってきたのだ。
そして、この話には続きがあり、ヒトの寿命にも触れる。
「ヒトは80歳前後で急速に衰えて死亡率が上がるが、この事実にもおそらく進化生物学的な意味がある。80歳という年齢は、自分の娘が閉経し、繁殖を終える時期に相当する。孫の世話という大役を果たし、新たな孫のできる可能性が消滅すれば、生涯の目的(己の遺伝子をなるべく多く後世に残すこと)は見事に達成されたことになる。そうなればあっぱれ、あとはこの世を去るだけなのだ」(P293-294)

個性のある生き物の姿を通すことで、人間も動物の一種であり、自然の輪の中にある存在だということを再確認できた。
本書は、知られざる生き物の姿や、進化についての面白い読み物であると同時に、多くを考えさせる一冊であった。