身体の美学入門
――感性から捉えなおす人間の本質
「美学は、感性を扱う学問です」(「はじめに」Pⅰ)
知性と言われるもののように「私」によって意識され、制御される範囲で起こる働きがある。
しかし、私たちの中には、意識的な知覚も反省もされていない無数の知覚が絶えず存在している。
このような魂の奥底にある、意識にのぼらない闇の領域、すなわち「私の中の他者」についての学問が美学である。
自分の中にあるものなのに、自分の外にあるもの。
感性は、普段意識に登らないけど、自分の中に厳然とある、ということはもちろん知っている。
自分の中を流れる豊かな水脈を、言葉によって初めてたどる旅は、ゾクゾクとするような快さであった。
感性は、いろいろな働きをする。
自分たちでないものを醜とし、遠ざける「他者化」の働き。
逆に、私たちは彼らとは違うという、私たちなりの美、による「差別化」の働き。
しかし、感性にはもっと大きな働きがある。
それは、対象を「タグ」や「ラベル」といった言語化可能な特徴で同定し、わかったことにしようとする意識を超えるところにある。
タグやラベルを超えたところにある、唯一無二の個別的な存在として相手に出会おうとする。
「言語を超えたところにある対象の個別性に出会おうとするこの姿勢が、逸脱的感性に、対象に対する圧倒的な『受動性』と、そこから新たな見方を立ち上げようとする『能動性』を与えます」(P141)
ここまで読んで僕は、気づくことがあった。
なぜ自分は、時間も労力もかけて、読書をしているのか、という自分への問いだ。
読みたいから読んでいる、読んだ方がいいから読んでいる、そうに違いないのだがなんだかしっくりこなかった。
普段、意識が制御している目の前の小さな世界。
それは制限された現実かもしれないし、繰り返される習慣かもしれない。
しかし、人生の主人公である自分自身はもっと個別性があって、自我があって、大きな存在であってほしい。
本書の言葉を借りるなら「筆の限りを尽くしてその魅力を語ろうと試みても、有り余る、言葉では捉えきることができない実物の圧倒的なリアリティ」(P163)に触れることで、目の前の世界に屈しそうになっている、自分の奥底に眠る感性を激しく揺さぶりたい。
読書はそのあがきのための手段であるのだろうと納得した。
