鈴木均「自動車の世界史」 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

自動車の世界史
――T型フォードからEV、自動運転まで

「自動車産業および自動車市場の盛衰は、その国の豊かさと安定の指標である」(「はじめに」Pⅰ)

冒頭の一文からいきなり大上段に構えてきたなと思ったが、本書を読み終えたあと、なるほどと納得している部分がある。

本書では、自動車の世界史を眺める切り口として、具体的な企業、車種などをあげながら、各時代における「自動車産業に特化した国家間のグローバルな『序列』を可視化」(P19)している。
各ティア(層)にわけて説明しているが、最も上位のティア1は「独自の自動車ブランドが複数あり、その開発と生産・輸出、進出先で現地生産を行っている国が該当する」(P21)という具合である。

とにかく情報量が多い。
試みに目次に記載されている「本章に登場する主な車」の数を数えてみる。その数なんと186車種に及ぶ。
これが世界の自動車史の文脈の中で説明しきってしまうのだから、ものすごいことであると思った。
つい最近まで東京で暮らして、ペーパードライバー歴20年だった僕は自動車にはほとんど興味がなかったのだが、聞いたことのある企業名や車種も多くて、近現代史を背景にした業界地図が、世界史レベルで塗られていくようだった。

その世界史の中にいる日本。
日本は上述した層の中ではもちろんティア1に位置づけられる。
「敗戦後の焼け野原から立ち直り、豊かで安定した戦後日本を実現した原動力の一つが、1960年代に国内最大セクターに育ち、花形の輸出産業に成長した自動車産業だった」(P287)
「アメリカの半分以下の人口しかない『小さな市場』に大きなメーカーが八社ひしめく日本は、稀有な国である」(P233)
自動車の世界では、アメリカやヨーロッパの強豪を向こうにまわして、世界のニッポンとして活躍してきた歴史を感じた。
トヨタやホンダなど、世界の中の1プレイヤーとして描かれているに過ぎないのだが、だからこその世界の中の日本を感じることができ、それも読み応えがあってよかった。

本書は情報が濃密に凝縮された力作なのだが、逆に、著者が何者なんだろうかと途中からすごく気になっていた。
もちろん大学で教壇に立つような研究者なのは巻末の著者経歴を見ればわかるのだが、あとがきを読んで驚いた。
「趣味である自動車やオートバイを仕事のネタにすることには迷いがあり、今も葛藤がある」(P290)
趣味のレベルで書けるレベルではないよ。編集者の功績が大きいと謙遜しているけれど、いやあすごいな学者って。

自動車という、普段目にしているけどあまり関心がなかったものについての本を読んで、へーと思うことがたくさんあった。

ここからは、ちょっといつもより量が多くなってしまうけど、散発的に書き抜き。

1つ目のテーマが、自動車の最先端の技術のことで感銘したこと。

現代の最先端は、電気自動車ではなくて、その先の水素自動車。
「FCVは水素を酸素と反応させて電力を作り、その電力で車を走らせている」(P256)

ドライバー不在の自動運転の試みとして。やっぱりやっているんだなという話し。
「2021年10月、無人のインディ・カーが自律走行で速さを競った。(中略)自動運転の速さは『まだこれから』だが、プロ・ドライバーの運転をAIが超えるのも時間の問題であろう」(P261)


時代の潮流は自動運転だけど、もうここまで進んでいるという話し。
「渋滞時の前走車の自動追尾では、一台前の車にやみくもに等距離でついていくのではなく、二台前の車との距離と加減速も把握し、自車の加減速がギクシャクしないように制御してくれる」(P263)


2つ目のテーマが、自動車開発のあれこれ。

「自動車用のエアバッグの特許は、52年にアメリカ、53年にドイツで取得された。しかし当時のエアバッグは圧縮空気で展開したため、乗員を保護できる早さで開かなかった。これを現在のように火薬によって瞬時に展開できるよう63年に発明したのが、小堀保三郎だった。小堀は栃木県出身、小学校卒業後に奉公に出て以降、全て独学で学んだ努力の人だった。14ヶ国でエアバッグの特許を取得したが、肝心の日本では火薬の使用が消防法に抵触し、採用されなかった。資金難に陥った小堀は、75年に夫婦で心中している。世界的な発明は、母国で孤立無援のまま見殺しにされたのだった。
 その間、アメリカでは小堀に似た発想で研究が続けられ、GMが73年、政府に納入するシボレー・インパラにエアバッグを装備した。(中略)エアバッグの世界的な普及は、小堀の取得した特許の期限が切れた後だった」(P109-110)

「自動車が発明されてまもない時期、イギリスは開発の最前線から大きく後れを取った。原因は、馬車業界である。自動車の登場によって馬車乗りが失業すると業界団体が訴え、公道上の自動車の試走に厳しい制限が加えられた。ところが高性能な自動車が欧州大陸から次々に輸入され、規制自体が意味をなさなくなり、規制は廃止された。以降、ようやくイギリスの自動車産業は技術的に離陸したのである。どこで規制を強化し、どこで緩和するのか、イノベーションに関わる重要な分水嶺である」(P268)

3つ目は余談になるが、僕の愛車フィットについて。

「北米向けの車は本国の日本市場ではウケが悪かった。これはメーカーを問わず、北米ジレンマともいえる難題である。(中略)ホンダは北米市場を念頭に大きくなったシビックの代わりに一回り小さくて軽い初代フィット(2001年)を(中略)日本市場に投入している」(P131-132)