ハーディ「テス」1-3 | 世界文学登攀行

世界文学登攀行

世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

P201-293

平凡な女性の生き様を描いているに過ぎないのになんでこんなに面白いのだろう。
小説って、素晴らしいなと思う。

ちょっとだけ中身に触れる。
主人公は、過去につらい経験をする。
なにも知らなかった少女は、まず社会によって責められ、次第に自分で自分を責めるようになる。
そのことによって自分の生き方を規定するようになる。
現代に生きる我々からすれば、そんなことは大したことじゃないし、落ち込む必要なんかないよねと思うところである。
もちろん小説はどう読んだって自由である。

けれど、物語の設定部分などにこだわりすぎてしまうと、小説の深いところに入っていけないことがあるように思う。

僕らがそうであるように、小説の中の人物は、その人を取り巻く価値観などの文脈の中で生きている。
古典文学で大事なのは、その文脈自体まで、まず下りてみることなのだと思う。
時代背景というものを所与とすることで、その中で織りなされる物語が、輪郭を持ち、豊かなものになっていくに違いない。

なんかごちゃごちゃと書いてしまった。

平凡な女性の物語であるから、愛だの恋だのそんな話でもある。
情熱や愛情と自制と後悔の間で、主人公は揺れ続ける。
落ち着いた描写の中にいる主人公に自分自身を投影してしまう。
平凡であるということは、どこにでもあるということで、それは普遍的でもあるがゆえに、自分の感情と大いに共鳴しあっている。
わかるわかる、という気分を積み重ねながら、物語は静かに展開していく。

物語の中では、悲しい結末が暗示されているからこそ、喜びの絶頂の中でさえ、いや、主人公の幸せを願えばこそ、胸の奥が締め付けられるような気持ちになる。