ハーディ「テス」1-2 | 世界文学登攀行

世界文学登攀行

世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

P101-200

「世界文学登攀行」と称して綴る僕のブログは「死ぬまでに読みたい本リスト」というものを作成して、それを上から読んでいく、ということをメインのテーマにしている。
自分一人では到底読み切れないような大作を、感想を綴りながら、ブログを読んでくださる読者の皆様のいいねを力に変えて、どんどん読み進めてしまおうという下心のあるブログなのである。

現在、30冊目の「テス」を読んでいるところだが、前回の100ページまで読んだ区切りの投稿が2023年8月のことで、もう半年が経ってしまった。
やっと戻ってこれたということで、安心とうれしさがある。
古典小説って、読みはじめてしまえばなんでこんな面白いものを読まずにいられたんだろうと思うのだけど、読みはじめるまでは億劫なところがあって、期間が空きがちなところがある。

さて。
半年前に200ページ弱読んだ感想なんていうのは、すっかり忘れてしまっていたので、もう一度最初から。

前回の感想を書いた時も書いていることなのだが、この本の著者は、とても話がうまい。
ストーリーなんて、つづめてしまえばひとことくらいで済みそうな、どこにでもあるような話なんだけど、そういうことを思うのはこうやってブログの記事を書くときに少し冷静になるからであって、読んでいる最中は主人公から目を離せずに夢中で読み進めている。
物語は、はじまっているのかはじまっていないのか、それすらよくわからないけれど、そんなことどうでもいいくらい面白い。

ある少女が、自分の行動によって、社会から好奇の目を向けられ、傷つくシーンがある。
悩み苦しみ、もがきながら長い年月を過ごし、悶々とした日々を送る中で、それが若さというべきものだろうか、ある時豁然と、社会に苦しめられている自分、それは、自然の、本当の自分自身ではないと悟る。
「不幸の大部分は、自分の因襲的なものの見方から起こったもので、生得の感情によるものではないのだ」(P152)
少女は社会と対峙させられたことで、大人の女性としての力強い一歩を踏み出すこととなった。

あまりにも平凡に見える人物の描写にたっぷり感情移入したところで、この先も読んでいく。