青野利彦「冷戦史」上 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

冷戦史(上)
――第二次世界大戦終結からキューバ危機まで

世界の歴史というものがある。
広範で複雑な世界を記述するためには切り口が必要だ。
今まで、様々な切り口の「史」を読んできたが、その中でも「冷戦史」とは第二次世界大戦後から現代まで続くど真ん中のテーマである。
タイトルだけで興味深く、また2分冊である本の厚さにも心が躍った。

本書のテーマは「はしがき」の通りである。
「本書では、この新しい研究成果を取り入れて、冷戦の複合的な性格を明らかにしていく。例えば、『超大国』とよばれた米ソのみならず、同盟諸国や第三世界諸国、また1980年代初めの反核運動のような非国家主体が冷戦の展開に与えた影響についても目を向けていく」(「はしがき」Pⅲ)

読みはじめてすぐに、こんなに興味深い書物はなかなかないと思いながら没頭して読んでしまった。
冷戦前史ともいうべき、第二次世界大戦についても、その後につながる歴史からさかのぼって見つめ直すことで、世界の国々の思惑が見えてきて、今まで第二次世界大戦に持っていたイメージとは、また違った形を見せてくれる。

そして、第二次世界大戦後の世界は、まさに米ソの対立に世界を巻き込む形で進んでいくが、それは、単にビッグパワーが世界に影響を与えた、というだけではない。第二次世界大戦を経て、没落したかつての強国は、自国の利益のために奔走し、東南アジアや中東の国々など、これからの国は、ある国はアメリカに、ある国はソ連にすりより、またある国はアメリカからも、ソ連からも利益を引き出すためにしたたかに行動した。

第二次世界大戦後の世界のできごとは、この冷戦の知識なしに、正確な理解を得ることは難しいであろう。
冷戦構造というものは、まさに世界の体制であり、秩序であったのだから。
そして、日本の戦後の歩みも、冷戦の中の日本の位置づけの把握なしに、正確な理解を得ることはできない。
日本は西側諸国の一員として、アメリカに絶対服従してきたようなイメージがあるが、国家として国益を最大化するように行動をしてきたようだ。当然のことである。

本書は、上下巻の上巻なので、すべての感想を書くことはできないが、2つほど感想を書いておきたい。

冷戦を理解するという点で、イデオロギーは具体的な地政学的利益の追求を正当化するための「レトリック」に過ぎなかったという面と、多くの国家や政治勢力の世界観や行動決定にイデオロギーが影響を与えた面と、どちらも重要であるそうだ。
その中で「ソ連はしばしば地政学的利益を確保するための行動をとったが、全世界の共産主義革命という究極目標は冷戦後期まで決して放棄されなかった」(P9)とあり、もちろんイデオロギーなしに冷戦は成立しなかったのかもしれないが、共産主義の総本山であるソ連が、必ずしもイデオロギーに殉じた行動をとってきたわけではないことが意外であった。

また、最近、様々な戦争、紛争によって多くの人々が死んでおり、なんと愚かなことかと悲しんでいるが、第二次世界大戦後も、多くの戦争が実際起こっていて、また、起きそうになっていたことに愕然とした。世界は常に火種を抱えている。

世界核戦争の危機と言われたキューバ危機では、ソ連は核兵器をキューバに持ち込んでいた。
「キューバには広島原爆の4000発以上に相当する核爆弾があったと考えられる」(P252)
実はこのような一触即発の状態にも関わらず、米ソ間で様々な衝突が起きており、偶発的な事故や事件をきっかけに、世界核戦争が起こっても不思議ではなかったそうだ。
そして、著者は結論する。
「キューバ危機が核戦争に至らなかったのは、政治指導者の賢明な行動の結果でもあるが、単に人類が幸運だったからでもあった」(P253ー254)

おそろしいことである。