天正伊賀の乱
――信長を本気にさせた伊賀衆の意地
手当たり次第に中公新書を読んでいる。
自分の興味に偏っているのがわかるけど、まあ、今はそういう読書の時期。
好きなものだけ、食べる。
著者の和田裕弘氏の本はこれまで「織田信長の家臣団」「信長公記」の2冊を読んだ。
客観的な史料から事実を推測して積み上げたストーリーに、今まで小説などで理解していた人物像が大きく変化する。
歴史を眺める視点が非常に心地よく、安心して受け入れられる。
著者には「織田信忠」という中公新書から出ている本もある。
織田信忠は言うまでもなく織田信長の後継者であり、本能寺の変で信長と時を同じくして散った。
信忠があと10年生きていれば歴史は大きく変わっただろう、そう言われる人物である。
これもいずれ読むつもりである。
さて、天正伊賀の乱である。
2017年に天正伊賀の乱を題材として、主役の忍者を大野智に、妻役に石原さとみをキャスティングして「忍びの国」として映画化された。
元になった小説は「のぼうの城」「村上海賊の娘」で有名な和田竜である。
この映画を友達に誘われて、観た。
個人的にはあまり面白くなくて、一緒に見た人に席を立つ前に「おい」と軽く言ったら、ほとんど同じような感想だったようで「ごめん」とすぐに返事が来た。それでこの映画の感想会が終わったというのは今となっては一つの思い出だ。石原さとみはかわいかった。
本書の「はじめに」で「映画『忍びの国』でも忍者が縦横無尽に活躍するシーンがふんだんに盛り込まれていた」(「はじめに」Pⅱ)とこの話に触れてすぐに「戦国時代において、黒装束で手裏剣を使いこなし、印を結ぶような忍者がいたとは思えないが」(「はじめに」Pⅱ)と、映画に出てきたような超人的な能力を持った忍者の存在を否定する。
ここまでダラダラと本文にも入らずに自分の話しを書いたのだが、そもそも僕は忍者大好きっ子なのである。人間の能力を超えた忍者など存在しないことはわかりきっていることなのだが、改めてそう言われると、ではどういうモチベーションでこの本を読めばいいのかと、一瞬見失ってしまった。
僕らのイメージの中にある忍者はもちろん実在しないが、伊賀者などと呼ばれた、諜報活動や敵方の攪乱(かくらん)、城の乗っ取りなど、特異な能力を有した技能集団は確かに存在したらしい。武力がものをいった戦国時代、彼らのような存在は、歴史の闇の部分で確かに暗躍をしていた。
天正伊賀の乱の舞台となる伊賀(天正は当時の元号)の人々を説明するために、伊賀者についても説明があるのだが、あんなに忍者大好きなのに、なんの興味もわかなかった。正直退屈ですらあった。
実際に興味をもったのは、織田信長及び織田家と、伊賀の関係である。
「天正伊賀の乱」というタイトルだが、実際には戦国時代の伊賀の歴史、ともいうべき内容である。
そして、守護の力が弱く、小領主たちが割拠していた伊賀の国が、織田信長の巨大な軍勢に蹂躙され、伊賀独自の統治体制が崩壊するまでの物語である。そのため、伊賀の話しなのだが、織田信長の天下統一のためのワンシーンという読み方もできて、僕はその力点で興味深く読むことができた。
この本を読んで、一つ疑問が解消したことがある。
僕は東日本の人間なので、関西の方の地理に疎い。
信長は、那古野からでて、美濃を取り、近江を経て、京都への道をつなげたと思っていた。
まあ、それはそれで間違えていないのだと思うのだが、次男信雄がなぜ北畠の養子になったのか、北伊勢は織田家にとってどういう地域なのか、そしてなぜ伊賀への侵攻が必要だったのか、ということがいまいちぴんと来ていなかった。
地図を見ながら、本書の説明を読めば非常に明快である。
特に名門北畠家と織田家の関係についてははじめて聞くことばかりでとても面白かった。
織田信長という人物は爽快な革命児だと思っているが、戦乱期であればその手法はあまりにも血なまぐさい。
思わず目をそむけたくなるような、汚い策謀もそこにはある。権力闘争というものの露骨な残酷さをそこに見た。
戦国時代の伊賀の歴史という、伊賀の人には申し訳ないが、本当にどうでもいいような辺境な地域の物語だが、織田家という当時のスーパーパワーに飲み込まれていく様子がリアルで読みごたえがあった。
しかし、驚くべきは、本書が参考にした「主要参考文献」である。20ページ弱にわたって延々と書き連ねられている。
著者がいつも膨大な史料にあたり、取捨選択をして、1冊の本を書き上げるということを知っていたし、だからこそその記述も信頼しているのだが、その背景にはこれだけのものがあるのかと、史料名を眺めるだけでため息がもれる思いだった。
これだけの史料にあたれるようになったのも、一つはIT技術の進展によるものもあるだろう。ひと昔前なら、集めるだけで一生が終わってしまいそうな分量である。あらゆる分野で、ものすごい速度で、常識が塗り替えられているというのは、様々な本を読みながら日々感じることであるが、自分が知らないことがたくさんあることを痛感している。生涯勉強だと思うし、現代というのは、素晴らしい時代だと思う。