小笠原弘幸「オスマン帝国」 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

オスマン帝国
――繁栄と衰亡の600年史

オスマン帝国と聞くと、トルコの元になった帝国だなあという程度の認識しかない。
過去に中公新書「トルコ現代史」を読んだおぼろげな記憶があるが、帝国末期から語り起こされたものであってみれば、オスマン帝国については崩壊直前の歴史しか知らず、悪いイメージしかなかった。

しかし「はしがき」の、それも1ページ目からぐっと興味をひきつけられた。
「かつてアジア・アフリカ・ヨーロッパの三大陸にまたがる国土を誇り、600年というひとつの王朝としては史上例を見ない命脈を保ったオスマン帝国は」(「はしがき」Pi)と語り起こされるような空前の大帝国なのである。
一時的に隆盛を誇る国家というものはある。しかし、日本で言えば鎌倉時代から第一次世界大戦直後まで、多くの国土、民族、宗教、文化を内包し、存続した国家なのだ。
長い時間に耐えられるということはそれだけ優れたシステムがあり、時代の変化に対応する柔軟さがなければ難しい。

前王朝というのは、現在の支配体制を正当化するために悪く言われがちである。
勉強不足なので詳しくはないのだが、日本の徳川幕府にしても、中国の清王朝にしても、長く存続した裏には優れた機能を有していたのだろうと思っていて興味がある。それでも、徳川幕府は1603~1867年、清王朝は1616~1912年である。
オスマン帝国は13世紀末に姿をあらわし、1922年に滅亡するまで、現在のトルコよりもはるかに広大な空間を支配していたのだ。
世界史上の奇跡のような存在を、まったく知らなかったことがうかつだったし、これからその通史を読むということだけで好奇心がわいた。

「本書は、日本語でオスマン帝国全史をあつかう、半世紀ぶりの試み」(「はしがき」Pⅲ)であり、王ごとの事績が手際よく語られていく。日本の天皇と違い、オスマン王家の王というのは、実際の権力を持っており、その交代によって国家の体制も性格も大きく変貌していくので、歴史の概観が非常につかみやすいのだ。

感想を書こうと思うのだが、非常に複雑多岐にわたる国家の歴史をまとめたものを読んで、さらに自分の感想にまとめるというのは難しい作業である。
その中でとても印象深かったことを書いていこうと思う。
オスマン王家の正当性というのは、当然、連綿と続く王家の血筋というものに求められる。しかし、血筋による統治体制というのは、通常、長い歴史にさらされると、うまく機能しないことがある、ということを僕も知っている。
オスマン王家にも、当然同じような困難があった。彼らはどう乗り越えてきたのだろうか。

オスマン帝国の初期、王が死亡すると、必ずと言っていいほど後継者争いが起こった。
元々遊牧民族であった彼らの王位争奪戦は、それはそれは激しいもので、何年も王位継承候補者同士が戦い、ようやく後継者が決定する頃には、国力が疲弊していた。
学習した彼らが選択したのは、兄弟殺しの合法化である。
「そして五人の弟の処刑など、スルタン即位のための一連の儀礼と慣行はつつがなく執り行われ、ここにムラト三世の治世が始まることとなった」(P157)
「メフメト三世には、19人の幼い弟たちがいた。兄弟殺しについて何も知らぬ幼い弟たちは、メフメトの即位にあたって祝辞を述べたが、彼らの運命を知るメフメトは哀しみで顔を背けてそれを受けたという」(P163)
ちなみに「イスラム法(シャリーア)は、自由人のムスリムを裁判なしに処刑することを禁じている」(P82)のだが、王の兄弟の殺害だけは合法化された。血筋による統治という、もっとも人間的な素朴な感情を基にする制度を保護するための施策がとても非人道的な法の適用だったということに、非常に衝撃を受けた。

その他にも、王の権力の代行者である大宰相などの高級官僚は、エリート教育を施した奴隷の中から選抜した。
彼らは、帝国の権力をどれだけ集めても奴隷の身分から解放されなかった。そのため、王の一存で処刑され、強大な権力の集中は未然に防がれた。
また、母親の血統というものはまったく評価されなかったため、外戚(王の妻の実家)が入り込んでくる要素はほとんどなかったため、中国の歴史でよく見られる、外戚による政治の混乱というものもなかった。

様々な国の歴史を読んでいると、必ず起こる権力の腐敗というものが、未然に防がれる体制が取られているのが面白かった。
まさに、近代的な統治機構、優秀な官僚組織とそれを使いこなすブレーンというものが、相当に早い段階から整備されていたことにも驚きを禁じ得なかった。
しかし、王よりも、国家の方が重いということを実地に実現しようとするための施策の実態は、権力者から人間性をはぎ取るようなものであったこともまた、いろいろと考えさせられた。人間の血統を国家の機関とするということの重さについて考えさせられたのかもしれない。

まだまだ世界は広くて学ぶべきことがある。純粋に知識欲がかりたてられる。もっと知りたい。もっと学びたい。
読書って素晴らしいなあ。