藤原辰史「トラクターの世界史」 | 世界文学登攀行

世界文学登攀行

世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

トラクターの世界史
――人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち


土を耕すと、収穫される農作物の質も上がるし量も増える。
大昔から、人類は、人力によって、あるいは家畜の力を利用して、土を耕してきた。
そして20世紀、ついに土を耕す車、トラクターが出現した。
トラクターの世界史とは、農作業が機械化された100年ほどの歴史にすぎない。


と、ここまで書いてきたが、トラクターの形は目に浮かぶが、何をするものなのか考えたこともなかったので、本書のタイトルを見たときは絶句した。
中公新書を端から読むということをやっていて、自分で本を選んだわけではない。本を開く前は、好奇心より先に、まったく興味がないものの世界史を読まされる恐怖すらわいた。


現代は飽食の時代と言われる。
お金を払えば食べ物を買うことができる。
食べ物は、流通経路を通って商店に並ぶ。その先である生産地では、農家のルーティーンの作業によって、食べ物が湧いてくるような錯覚があった。そんなわけはない。
人類の歴史は、ほとんど最近まで、どうやったら食料の絶対量が増え、国民全員が食べていけるのか、そういう壮絶な条件の下に規定されてきたのだ。


効率的に農作物を収穫するためには土を耕さなければならない。
土を耕すというのは過酷な労働である。
家畜を利用したとしても、家畜の世話も含めると膨大な労働量となる。
蒸気機関に続いて出現した、内燃機関による農作業の機械化は、農民を過酷な労働から解放する福音のように思われた。
トラクターは人類の夢の象徴であり、昨今の人工知能による人間界の席巻のはしりのような事態である。
トラクター自体に興味はなくても、とても魅力的なテーマなのである。


さて。人間が生きるためには、食べなければいけない。
それは、資本主義国も、社会主義国も同様である。
トラクターに乗って見渡す景色は、冷戦によって色分けされるほどに強固で異質な制度の壁を、たやすく乗り越え、そこに生きる人間たちの姿を的確にとらえることができる。
トラクターは、どのようにそれぞれの国で受け入れられていったのか、その様相の違いも大変面白い。
生きなければならぬ。食べなければならぬ。
この大原則を知ることなしには、イデオロギーを理解することなどできないし、わかったつもりで大きく見誤ることでもあろう。


また、トラクターは、その製作技術を軍事に転用して、戦車が生まれた。
戦争により、多くの働き手を戦場に送り込んだ人手不足の農村でトラクターの使用が推奨されるのだが、戦車製造を優先するためトラクターの生産が滞る。トラクターを通して、戦争が社会を変貌させるインパクトを肌で実感することもできる。


戦後のトラクター普及による主要産業の自動化。
農村では人手が必要なくなり、余剰人員は都市部へと流入していく。
社会は刻々と変化している。ダイナミックな転換期を凝視する思いであった。
歴史に学ぶとはこういうことなのだろう。勉強になった。


トラクターが何か知らなくても、この本から多くの刺激を受けると思う。
もしかしたら、タイトルが読者を選んでしまうかもしれない。
それだけが、少し不安である。



トラクターの世界史 - 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち (中公新書)/中央公論新社
¥929
Amazon.co.jp